森の家族
アリシアが意識を取り戻し、目を開けると、見慣れた自室の天井が見えた。
森の中で意識を失ったため、どのように戻ってきたのかは分からないが、今いる場所が安心できるところであることだけはわかった。
首を動かして確認すると、部屋には誰もいないようだ。
自分で体を起こすために力を入れると、膝や肩、頭などに痛みが走った。
「ぃたっ!」
そしてそのまま起こしかけた体がベッドに倒れる。
アリシアは背中から倒れたことに今までにない恐怖を感じると同時に、さっき起こったことは悪い夢ではなく現実のことだと認識し体の震えが止まらなくなった。
何が何だか分からないが、いきなり暴力をふるわれた恐怖と、まだ痛みの残る体や頭を隠すように、震えたまま布団の中にもぐりこんでいた。
この時はまだ夕方だったが、極度の恐怖と疲れからか、翌朝まで目を覚ますことはなかった。
「おうちのベッド?」
翌朝目を覚ましてアリシアがつぶやくと、その声に気がついた侍女が確認のためにベッドの近くに寄ってきて、彼女の顔を覗き込んだ。
「お嬢様、気がつかれましたか」
アリシアは首を縦に振った。
「お飲み物ご用意しますね」
そう言うと侍女はすぐにレモン水を運んできた。
「ずっとお休みになっていましたから、のどが渇いてしまっていますよね。ゆっくり飲んでくださいね」
アリシアはベッドの上で体を起こすと、コップに注がれたレモン水を受け取って、口をつけた。
思った以上にのどが渇いていたのか、一気に飲みきってしまった。
そして二杯目をゆっくりと飲みきると、
「ありがとう」
と言ってコップを渡した。
そして、ベッドからゆっくりと降りてみることにした。
前日ほどの痛みはないものの、傷の深かったところはまだズキズキと痛みが残っていたが、歩けないほどではなかった。
最初に意識が戻った時には気がつかなかったが、汚れた服は着替えさせられており、汚れた体も髪もきれいに拭きとられていたため、清潔な状態でベッドに寝かされていたようで、部屋の外に出るためには着替えるだけでよさそうだった。
「お医者様からは、今日はゆっくり休んでくださいと言われていますから、お食事はお部屋にお持ちしますね」
そう言い残して侍女は部屋を出て行った。
朝食後、家からは出ないものの念のため着替えを済ませて自室にいると、誰かが訪ねてきた。
人数が多いようで、足音がアリシアの部屋まで聞こえていた。
どうやら客間に移動するようだ。
アリシアは足音がしなくなるのを待って、自室のドアは静かに開けて廊下の様子をうかがった。
廊下にも人がいないので、おそらく全員客間に移動したのだろう。
客間のドアは少し開いているらしく、なにやら挨拶のようなものが聞こえてきた。
アリシアは誰が来たのか気になって、ドアを開けたまま聞き耳を立てた。
「この度は、息子たちがお嬢様に対して暴力を働いたこと深くお詫びいたします」
大きめの男性の声が、はっきり聞こえてきた。
昨日の男の子たちの親が謝罪に来たようだった。
会いたくない、怖いと思ったアリシアは部屋のドアを閉めてベッドの上に戻った。
窓から外を見ながら、早く帰ってくれないかと考えていると、聞き覚えのある男の子のよく通る声が聞こえてきた。
「だって、あいつ、何もないとこに向かって話しかけてて気持ち悪いんだよ。ずっと一人でしゃべっててさー」
「なんか、そういや、妖精さんとか言ってたなー」
「そんなもんいるわけねーし、どうせウソだろ?よく独りで会話が続くよな」
廊下に出てしゃべり始めた彼らに反省の色はないようだ。
その後、大きな足音をさせた人が声の方に向かって行くのがわかった。
「アリシアが君たちに妖精がいるというウソを言ったのかね?」
クレメンテの声が響いた。
「どうなんだ?」
しばらく間があってから、一人が答えた。
「ずっと同じところに突っ立って、妖精さんが~って聞こえるようにしゃべってんだから、変じゃん」
「それで君たちは一人で遊んでいる娘に一方的に危害を加えたのか」
親はそれ以上言わせまいと黙らせようとしたがすでに手遅れだった。
「いや、これは……」
「変な子には何をしてもいいという教育方針なのですな。お話しすることはありません。お引き取りください」
「本当に申し訳ありませんでした」
と、男の子たちの両親は出ていく間際まで何度も頭を下げて帰っていった。
アリシアはその声だけを部屋で黙って聞いていた。
アリシアにとってこの森に住む動植物すべてが家族と同じだった。
同じ家で寝食を共にすることはなくても、同じ土地に暮らし、人間と共存するためにたくさん努力していることも知っている。
みんな優しくて親切で、たくさんの知識を持っていて、人間にはわからないことを敏感に感じ取れる彼らのことを知ろうともしないで、存在しないと決め付けられたことが悔しかった。
同時に、自分を本当に心配してくれるのは誰なのだろうかと部屋の中で一人、真剣に考えていたのだった。
アリシアはベッドの上に座って窓から外を眺めて考え込んでいると、アリシアから詳しく話しを聞きたいと両親がアリシアの部屋を訪ねてきた。
医師によるとまだ部屋で休んでいなければならないというが、朝食を部屋で食べたという報告を侍女から受けて、話ができると判断したのだ。
「一体何があったんだい?」
「私が妖精さんとお話をしていたら、男の子たちが邪魔をしてきたの」
「妖精さんがいたの?」
母親に疑問の言葉を返されたことで、アリシアの中にあった親への信頼が壊れ始めた。
「私、嘘なんてついてない!誰も信じてくれないならそれでいいわ。お父さまもお母さまも、私が一人で遊んでいたって思っているのでしょう。私はこれからも私を信じてくれる妖精さんや動物さんたちを大切にしていくわ。人間よりも、森の子たちの方がやさしいもの」
謝罪に来た子供の親に話していた内容を聞いていたアリシアは、両親にも信じてもらえないと思ったのだろう。感情が高ぶっていることもあり、目に涙を溜めながら大きな声を出していた。
立っていたアニーが何も言わずに彼女の体を抱きしめると、その腕から必死に逃れようと暴れ、何度も何度も母親の体をこぶしで叩き、体をよじって逃げ出そうとする。
アリシアが落ち着く様子を見せないため、クレメンテは、ばたばたと上下に動かしているアリシアの手首を押さえて自分の方に体を向けた。
「いいかい、アリシア。これから話すことは、とても大切なことだから、よく覚えておいてほしい。」
クレメンテは肩を震わせて涙を流しているアリシアの頭をなでながら話し始めた。
「まず、お父さんもお母さんも、妖精さんとはお話しできないんだ」
「そうなの?」
「アリシアは彼らに選ばれた特別な子なんだと思う」
クレメンテは娘を傷つけないように言葉を選びながら続ける。
「人間は、自分にできないことのできる人や、目に見えないものが見える人は怖いと感じてしまう。だから、他の人がいるところでは、妖精さんたちの話をしてはいけないよ」
おとなしく話を聞いていたアリシアがだんだんうつむいていく。
クレメンテは妖精がいること、話ができることは否定せずに、隠して生活するように諭す。
「学校に通うようになったら同じ年齢の友人ができる。そこでは、周りのお友達の話をよく聞いて、妖精さん以外の話をたくさんするようにしなさい」
「はい」
アリシアが返事をすると、クレメンテは最後に、
「アリシアが人間である以上、人間の中で生きていかなければならないし、人間の中で生きていくために必要ならば、このことを隠して生きていかなければいけないよ」
と伝えて部屋を出た。
両親は、いつも外から楽しそうに出かけていき、帰ってくる娘の姿を見て安心していたが、街よりも森を好んで遊び場にしていたアリシアには人間の友達が一人もいなかった。
危ないことがあれば報告があるものの、怪我もせず元気に遊んでいることもが異常であるという感覚を監視する側の人間は持ち合わせていなかった。
晴れていれば毎日のように外に出かけ、遊びに行くのだから友達がいるに違いないと信じていた。
まさかずっと一人で遊んでいるとは思っていなかったのだ。
この事があって初めて、両親は都合の悪いところから目をそらし続けていたことに気がついたのだった。