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辺境伯の娘

この国では、国をまとめるのは王家であり、その序列として貴族や平民と呼ばれる区分はあるものの、貴族の爵位による階級格差はほぼなく、昔の名残程度に呼び名として残っている程度である。

現在は貴族を中心に領地の自治を行っているが、平民を見守る管理人のようなもので、強い命令をくだす権限は持ち合わせていない。

しかし、辺境の土地だけは少し異なっていた。


その先に隣国があるかもわからない未知の空間を背に持つこれらの土地では、管理以外にも調査、開拓という仕事を担っている。

見知らぬ土地の調査や開拓には当然危険が伴う。

森を切り開けば獣に襲われることもあるし、拓けたところには先住民がいることもあるし、仮に迷ったり事故に巻き込まれた場合は助けが来ないこともある。

また、もし敵に奇襲を受けるようなことがあれば、最前線で戦うのも辺境を任された貴族の仕事。

王家が背中を預けるに値する能力を有し、信頼の厚い貴族がこれらの土地を任されており、繁栄を担っているため、いまだに強い権力を持っているのだ。

そんな辺境伯の長女がアリシアだ。


王家は重要な貴族との繋がりを維持するため、王子や姫と産まれたときに親同士で婚約を決める。

貴族や平民という階級格差はあってないようなものとはいえ、まだまだこの世界には政略結婚という考え方は、信頼の象徴として根強く残っている。



時は経ち、アリシアが生まれてから一年を過ぎた頃になると、アリシアは言葉を発するまでに成長した。

まだ小さい身体で重たい頭を必死で支えながらよたよたと歩く姿が愛らしい。


「あえー」


などと言いながら、垣根の中に向かって突進してみたり、誰もいないところに向かって呼びかけたりすることがたびたびあったが、夫婦は特に気にもとめなかった。

彼らにとってははじめての子供であり、成長過程なのだから、きっと壁に向かって話しかけるのも、ぬいぐるみに向かって話しかけるのも似たようなものだと考えていたのだった。

しかし、さらに成長すると、その行動は異質なものとして認識されるようになった。


ある夏の晴れた日。

領内のすでに開拓と調査の終わった森の中を親子三人で仲良く散歩しているときのことだった。

アリシアは父親であるクレメンテに抱えられ、その後ろにバスケットを抱えたアニーがついていく。

森林浴を兼ねているので歩くペースはゆっくりで、何気ない会話をしながら穏やかな時間が過ぎていく。

日差しの照りつける暑い夏は草原ではなく、森の中でもやや拓けたところに、木材を組んだだけの簡易的なテーブルと椅子になるようなものを設置したスペースがあるので、そこでお茶をして帰ったりするのが夫婦二人の時からの息抜きだった。

吹き抜ける風、青々と茂る葉のささやき、鳥のさえずり、領地の森すべてを感じ、その恩恵に感謝ながら過ごすひとときを、心地よく大切なものと感じているのである。

肌で感じることを少しでも子どもに伝えたいと考えた二人は、アリシアを外に出せるようになってからは、頻繁に森や安全な領地に連れて歩いた。


いつも通り目的地に到着すると、アニーはお茶の準備を始める。

手慣れた手つきでバスケットからパンやスープを取り出してテーブルに並べていく。

クレメンテはその間、アリシアをテーブル周辺で歩かせ、その後ろをおっかなびっくりついて歩いたりしながら見守っていた。

ここでも突然、木に向かって何か話しかけたり、背の低い垣根のようなところに自ら突っ込んで行ったりすることがあったが、それもほほえましい光景だった。


軽食の準備ができると、アリシアはアニーの膝に抱かれて食事をする。

まだうまく食べられないアリシアに食事をさせながら、アニー自身も器用に食事を進めていく。

その向かい側に座ったクレメンテがその様子を愛おしげに見つめながら、こちらも食事を進めていく。

この夏に何度も繰り返された食事風景だったが、今日に限っては少し異なっていた。

アリシアが食事に飽きてしまったのか、食事中にアニーの膝から下りたがって、手足をバタバタと始めたのだ。

普段はおとなしいアリシアの動作にアニーは戸惑いを覚えたものの、目の届く所ならいいだろうと彼女を下して遊ばせることにした。

すると、アリシアは椅子につかまって立ちあがった状態で、アニーのパンに手を伸ばしてきたので、アニーは自分のパンをアリシアの手に収まるサイズにちぎって渡した。

パンを受け取ったアリシアは、


「あいあー」


と、お礼のような言葉を言ってよちよちと歩き出すと、テーブルから少し離れた地面にぽてっと座りこんだ。

二人はアリシアが転んだのではないかと思ったが、きゃっきゃと声を出しているだけで泣いたりする様子がないのでそのまま様子を眺めていることにした。


ほどなくして、アリシアの周りに大量の鳥が舞い降りてきた。

アリシアが一人になるのを待っていたのか、一瞬のうちに彼女の周りを取り囲んでいる。

アリシアは嬉しそうな声を上げながら、パンを一生懸命ちぎってその鳥たちに与えているようだ。


クレメンテは驚愕していた。

切り開かれていない森の中ならばいざ知らず、遊歩道として切り開かれた場所に警戒することなく鳥が現れることが不思議だったのだ。

自分が調査の過程でこの道を通ってもこのようなことは起こらない。

もちろん他の者からも多くの鳥の生息に関する報告は上がっていない。


「この森にこんなに鳥がいたとはな」

「アリシアが鳥に好かれるのはきっと心のきれいなやさしい子だからね」


アニーは嬉しそうに答えた。


しばらくその様子を眺めていると、クレメンテは奥の茂みのほうからガサガサと音がすることに気がついた。

ちらっとその方向をみると、獣がアリシアの方をじっと眺めていた。

その気配にいち早く気がついたクレメンテは、視線を獣の方に注意をむけた。

オオカミのような、犬のような、イノシシのような四足の動物で、アリシアの体より大きいことはわかるが、茂みに隠れているため種類までは判別できなかった。

今のところ襲ってくる様子はないが、何かあってからでは遅い。

そして、アニーもアリシアも気が付いていないようだ。


「そろそろ戻るとしようか」


クレメンテはそれとなくその場を離れるように促す。


「そうですね」


アニーはそう言ってテーブルの上のものを手早くバスケットに戻して帰り支度を始めた。

クレメンテは獣に注意を向けつつ、アリシアに近づいていった。

アリシアの周りにいた鳥たちはクレメンテが近づいたことで一斉に飛び立って四方に散った。


「あー」


という残念そうな声を上げながら空に向かって手を伸ばすアリシアの体をクレメンテは抱えあげて、アニーに声をかけた。


「行こう」


クレメンテは周囲を警戒しながら森を後にすることにしたが、獣が彼らの後ろをついてくることはなかった。

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