温室
ナイフを向けられた翌日、結局、昨日の件は学校の教職員に知られることはなかったようで、アリシアが事情を聞かれるようなことはなかった。
生徒が置いていったナイフはアリシアの手元にあるが、黙って返す方法が思い浮かばないため、家の引き出しにしまってきた。
もし遅れて教職員の耳に入ってその内容を聞かれるようなことがあれば、その時に彼らに渡せばよいし、持ち歩いていてあらぬ疑いをかけられるような二次被害は避けたかった。
現場の一部始終を見ていた生徒がいることを知らない彼女は、いつも通り授業午前中の授業を終え、動物たちへの予告通り温室に向かっていた。
温室に動物たちは来られないものの、植物が多いため妖精たちが遊びに来られるからだ。
早めに教室を抜けたロビンソンは、見つからないように彼女の教室のそばで、アリシアが出てくるのを待っていた。
そして、彼女が授業終了と同時に教室を飛び出したのを確認すると、足音も立てず彼女の後を追いかけた。
教室から温室までは五分くらいだろうか、彼女を追いかけていくと、ガラスの多い別の建物が見えてきた。
彼女が中に入って行く様子を見守り、周囲を確認してから後を追った。
温室の扉はガラスの見た目に反して軽く、簡単に開いた。
扉を開けると熱がこもっているせいか外よりも暑い。
大きな葉を広げた背の高い木なども植えてあり、天井が高く開放感があった。
ロビンソンは一定の距離を保ちながら、アリシアに見つからず、彼女を見失わないように慎重に進んでいった。
そして彼女がベンチに座ったところで、ロビンソンは気配をおさえて彼女に近づいていった。
「ごめんなさい。気がつかなくて」
急に自分の視界にロビンソンが現れたことに驚いて、アリシアはまだ広げていないお昼と自分のカバンを抱えてベンチから勢いよく立ちあがった。
「待って」
その場を離れようとするアリシアの手首を咄嗟にロビンソンはつかんだ。
「お話が、したいんだ……」
まっすぐにアリシアを見つめて、威圧感のない弱弱しい声を出しながら、つかんだ手首を握る力を触れている程度まで緩めた。
アリシアは、きょろきょろとあたりを見回して誰もいないことを確認すると、
「わかりました」
と答えてから、続けた。
「とりあえず、座りませんか?」
「そうだね」
アリシアがベンチに座ったのを確認して、ロビンソンは彼女から手を離して隣に腰を下ろした。
「えっと、突然声をかけてごめんね。僕はロビンソン。王都から遠いこの辺境の地に興味があって、三十日留学を認められてここにきたんだ。よろしくね」
「アリシアです。よろしくおねがいします」
ロビンソンに対して、アリシアは最低限の返しをする。
「この学校には温室があるんだね」
「植物が多いのでその生態を研究するために使われている研究用の温室です。この地域は冬だけではなく、春や秋でも日が落ちるとすごく冷えるので、特に暖かい時期にしか採取できない薬草やお花などは温室で常に育てているんです」
「そうなんだね」
「王都には温室などはないのですか?」
「温室かぁ。初等学校にはないと思う。研究施設にはあるかな。あと、王宮内とか?でも、植物を見るなら植物園があるからそこに行けば色々なものが楽しめるよ?あんまり考えたことなかったなぁ」
最後は小さくうなり声を出しながら、ロビンソンはアリシアにあわせた会話を考えていた。
少しして、ふと思いついたことを口にした。
「あのさ、できれば君に学校の外を案内してほしいんだけど、お願いできないかな?」
「それはちょっと……他にお二人を案内したいという方にお願いしていただきたいです」
取り巻きの多い彼らに関わることで、これ以上何か言われたくないとアリシアは思っていた。
昨日のこともあり、女子生徒だけではなく男子生徒からもまだまだこのような仕打ちを受けるのだと彼女は再認識したばかりだった。
「うーん。彼らは街の中には詳しいけど、森の中は詳しくないみたいなんだよね」
ロビンソンは首を傾けて彼女の顔を覗き込んだ。
「森は観光ができるように拡張された道や看板がありますから、道を外れなければ迷子にはならないと思いますよ?」
アリシアは模範解答のような返事をする。
「残念だなぁ」
「え?」
アリシアがきょとんとした顔をすると、ロビンソンは急に話を変えた。
「そうだ、お昼食べながらお話していいかな?時間なくなっちゃうよね」
「そうですね」
話題の変化に驚いたものの、このままでは二人ともお昼抜きで午後の授業を受けることになってしまう。
アリシアはすぐに同意して、食べ物を広げると、ロビンソンも持っている袋からパンを取り出してかぶりつき始めた。
アリシアもその隣で食事を始める。
「森の辺境は、まだ開拓を続けているんだよね?」
「はい。広大な森なので、どこに何があるのか全容はわかりませんし、どこまで続いているのかもわかりませんから」
「観光地以外には入れないの?」
「入れないことはありませんが……」
アリシアはその先の言葉を飲み込んだ。
そこにロビンソンが嬉しそうに食いついてきた。
「じゃあ、入れるんだ!」
「えっと……」
「僕はそういうところに行きたいんだ。観光だったらいつでも行けるし。アリシアは詳しいんでしょ?」
「未開拓の場所は、許可がないと難しいと思います。迷った時に帰ってこられる保証ができないので、領外の方を案内するのは私ではちょっと……」
純粋に興味を持ってくれた人への案内を断るのは申し訳ないと思いつつ、最後を濁して伝えた。
ちなみに、この内容は嘘ではないが本当でもない。
アリシアの立場であれば許可はクレメンテからもらえばいいし、物心ついた時からずっと森の中で遊んでいた彼女が道に迷ったことはない。
もし仮に道に迷ったとしても、最悪の時は妖精たちに助けを求めることもできるし、怪我をしたりすることがなければ確実に戻ってこられる自信がある。
ただ純粋に、目の前にいる人気者の留学生を案内するには役不足だと感じているし、ずっと一緒にいて会話を楽しめるほどのコミュニケーション能力をアリシアは持っていないと思っていた。
アリシアは森の辺境と呼ばれるこの領地に好意を持って足を運んでくれた彼には、良い思い出を作って帰ってもらいたかった。
「そうなんだ。無理を言ってこめんね。困らせるつもりはないから今の話は忘れていいからね」
少し寂しそうなロビンソンに申し訳ないと思いつつ、アリシアは彼が諦めてくれたことに胸をなでおろした。
その後はたわいもない会話を続け、お昼を食べ終えると、二人はそれぞれ授業の教室に向かっていった。




