再発
別の噂によってアリシアは再び居心地の悪い日々を過ごすことになった。
噂のおかげでやっと卒なく話せるようになった人たちには再び距離を置かれることになり、元からあまりよく思われていなかった人たちには聞こえるように陰口を言われる生活に戻ってしまった。
今回の噂は、人々に理解できないものが対象であるため、以前のような証明を行うことができないことに加えて、そもそも彼女にとっては真実であるため、自ら噂を否定することもできなかった。
学校の中庭や芝生、温室などで変わらず彼らを頼りにしているアリシアは、人間に否定されるより彼らを自ら否定する方が苦痛だったのだ。
そんなある日。
その日も渡り廊下の隙間から芝生をこっそりと覗きこみ、誰もいないことを確認して中に入って行った。
渡り廊下から離れた森に近い場所に座りお昼御飯を詰めている籠を広げると、たくさんの鳥たちが集まってきた。
アリシアは持ってきているパンを彼らのために細かくちぎって食べさせていく。
「今日はお天気もいいし、暖かくてよかったわね」
「雨だと羽が重くなって飛びにくいからよかったよ」
「暗いと周りが見えにくいからいやなんだー」
一羽ずつパンのかけらを与えながら話を聞いているだけで、張りつめていた糸が緩んでいくのを感じていた。
肩に乗ってふわふわの羽を顔に擦り付けてくる鳥の感触も心地よい。
「森はあいかわらずだよー」
「なんにもかわんなーい」
「たまには泉にも遊びに来てって言ってたー」
彼らは学校で会うたびにアリシアに森の様子を教えてくれる。
「今度の休みは晴れたら泉に行きたいわね」
アリシアも答える。
お昼だけが、人間から受ける冷たい視線や言葉を忘れられる時間だった。
「申し訳ないんだけど、これを返してから食堂に行くよ」
ロビンソンは授業が終わると、クラスメイトにそう声をかけて一人でさっさと教室を出ていった。
「待てよ、一緒に行くから」
出て行ったロビンソンに気がついたアレクは、友人との話をきりの良いところで打ち切ると、慌てて後を追いかけた。
「じゃあ、二人の席取っておくからっ早く戻ってこいよー」
後ろから声を掛けられて、
「わかった」
とアレクは振り返りもせず言葉だけの返事をした。
彼らは新入生が一週間かけて覚える校舎の構造も三日くらいで大体覚え、移動もスムーズに行えるようになっていた。
あまりにも短期間で馴染んでいる彼らに、友人たちも特に場所を教える必要はないと判断したのだろう。
場所が分からないだろうから一緒に行くという人はいなかった。
ロビンソンは目的地に向かうため渡り廊下を速足で歩いていた。
すると、芝生の方からたくさんの鳥の声が聞こえてきた。
何かあったのかと思い、足を止めて木々の先にある芝生に目をやった。
芝生の上には女神のような少女がいた。
太陽の光を受けて輝く黒い髪と対照的な白っぽいワンピースを着た彼女は、膝にパンの入った籠を乗せて座っている。
えさを与えていたせいなのか、日ごろから懐いているのか分からないが、その周りに鳥たちが集っていた。
少女は肩にも頭の上にも鳥を乗せて、鳥たちに手を差し伸べては微笑んでいる。
ロビンソンはまるで絵画のようだと渡り廊下で足を止めて見とれていた。
後ろから追いかけてきたアレクは、足を止めているロビンソンに追いつくと、声をかけることなく立ち止まり彼の目線を追った。
「まるで女神のようだな」
ロビンソンがつぶやいたのを聞いてアレクも
「そうですね」
と返した。
「用事を先に済ませてくるか」
アレクの言葉で我に返ったロビンソンは渡り廊下を進み始めた。
突然、物音を察知した鳥たちが彼女の周りから一斉に飛び立った。
残っていた鳥たちにアリシアは、
「逃げなさい」
と小さな声で言ってはばたくよう促した。
鳥たちは近くの木の上に留まり、アリシア以外の人間がいなくなるのを待っているようだった。
この日、不幸にも普段であればこの時間に行われていないはずの実地研修から戻ってきた生徒と鉢合わせすることになってしまった。
アリシアは正規の授業ですでに別日に実地研修を終えていたため知らされていなかったが、この日は実習の予備日で、再度実習が必要な場合や、研修に参加できなかった人が森に出かける日だったのだ。
「こんなところで一人とか、むなしくねーの?」
「お嬢様が地べたに座って何が楽しいんだか」
芝生の奥にある森への出入口から現れた数人の男子生徒が、ひとりで芝生に座りこんでいるアリシアに向かって声をあげた。
彼らは同じ授業を取っていて、年齢は上だが、成績も実技もレベルの低い人たちだった。
日ごろから彼女のレベルに追いつくことができないこともあり、一人でいる彼女をののしり始めたのだ。
おそらく、実習でも何かやらかしたのだろう。
しばらく言葉の暴力が続いたが、言い返すことなく黙っているアリシアに、いじめがいがないと感じたのか、アリシアに見えないところで一人が実習の自衛用に持っていたナイフを取り出した。
「お前、目ざわりなんだよ!」
そう叫ぶと、彼はナイフを持って彼女に切りかかろうとしたのだ。
一方その頃、アレクとロビンソンが用事を終えた戻り道。
渡り廊下の隙間から様子をうかがうと、まだ彼女は同じ場所にいた。
二人が足を止めてこの美しい情景を眺めていると、彼女の周りにいた鳥たちが一斉に飛び立ち、彼女の背後にある森から数人の少年が姿を現し、彼女の周りを囲んだ。
この位置からは大声を出されなければ声は聞こえないが、明らかにその男たちは彼女に嫌がらせをしているように見える。
ロビンソンは上級貴族という権力を盾にすれば穏便に彼女を守れるのではないか、ということが頭をよぎったが、自分は今、ただの留学生であり、すぐにここからいなくなる。
しかも権力を行使して一時的に収まったとしても、自分がいなくなればまたこのような嫌がらせはすぐに行われるのではないかという考えが同時によぎる。
「だめです」
「わかっている」
飛び出して行きかねないロビンソンをアレクが引き止めた。
それでもロビンソンは冷たい視線を向けてその場でじっと監視を続けていた。
もし彼女がひどい怪我をするようであれば容赦なく飛び出していくつもりだった。
しばらくすると飛び立って彼女から離れて行った鳥に導かれるようにアリシアの背後から犬が走ってくるのが見えた。
その時少年の一人の手の中に光るものを見つけ、アレクとロビンソンが止めに入ろうと渡り廊下の柵を飛び越えた時、白く大きい犬は勇敢にもアリシアに危害を加えようとした男子生徒に飛びかかっていた。
犬は迷うことなく、ナイフを持った少年からナイフを奪い、アリシアを守るかのように立ちはだかっていた。
犬に驚いた少年たちはナイフを回収することもなく、すぐに退散していった。
犬は彼らがいなくなると、加えていたナイフをアリシアの足元に置いた。
「ありがとう。でも大丈夫よ。あなたたちまで怪我をしてはいけないわ」
足元に戻ってきた犬をなでながらアリシアはねぎらいの言葉をかけた。
状況が落ち着いたことがわかったのだろうか、少しすると犬とアリシアの周りに鳥たちも彼女の周りに集ってくる。
「そうだ、明日は温室に行くわね」
アリシアはそう言いながら自分をかばってくれた犬の頭をやさしくなでていた。
その一連の様子を渡り廊下の柵を乗り越えた二人は、近い木陰に隠れて眺めていた。
ただの傍観者となれば彼らと同類とみなされる可能性がある。
だからといって助けに入ろうとしたとはいえ、事が終わってから出て行くことに抵抗があり、できれば見つからずにうまくその場を離れることはできないのかと、タイミングを見計らうことにしたのだ。
アレクがロビンソンの方を見ると彼はアリシアを見つめながら複雑な表情を浮かべていた。
どれだけ自分が出て行って彼女を守りたかったか。
あの犬のように果敢に立ち向かっていく勇気のない自分を、これほどまでに惨めに思ったことはなかった。
自分は身分がなければ、守りたいものすら守れないのか……。
渡り廊下という安全な場所からその様子を眺めながら、自分の力の無さを感じたロビンソンは下唇を強く噛んだ。
「温室か……」
ロビンソンはそうつぶやくと背を向けて歩き出した。
アレクも彼のあとを追うように静かにその場を後にした。
そして、二人は友人たちの待つ食堂に向かうのだった。




