マリーの涙
「ご用意いたしましたお部屋はこちらでございます。フランツ様のお部屋は隣になります」
アリシアのために用意した部屋のドアの前に着くと、マリーは他のお客様を迎えるのと同じようにアリシアを案内した。
「ねぇ、マリー、普通に話して。せっかく会えたのに、なんだか距離ができたみたいで寂しいわ」
「ええ……」
「とりあえず中に入っていいかしら?マリーも入って?せっかく時間をもらったのだもの。ゆっくり話しましょう?」
アリシアがドアを開けて中に入ると、整えられたベッドに小さめの丸テーブルと椅子が二脚用意されているシンプルな部屋だった。
マリーは開いたドアの入口に立ったまま、じっとアリシアを見ていた。
「マリー、どうしたの?」
「アリシアはフランツ様と各領地を訪ねて回っていたのよね」
「ええ、大きな領地へのご挨拶に回っていたのよ。……マリー、とりあえず中に入って。座って話をしましょう?」
マリーは黙って頷くと、ドアを閉めてテーブルのところにある椅子に腰を下ろした。
そして向かい側に座ったアリシアをじっと見つめているうちに、涙が溢れて止まらなくなった。
驚いたアリシアが席を立ってマリーの側に駆け寄った。
「どうしたの、マリー……」
マリーは椅子の横に立ったアリシアの方へ向きを変えて、彼女を見上げた。
ずっと気丈に振る舞っていたが、一度溢れてしまった涙は上を向いても止まらない。
ごまかしようがなくなったマリーは涙をぬぐいながら話し始めた。
「それで……、アリシアとフランツ様は、視察先で命を狙われて、アリシアは倒れたってアレク様から聞いたの……。私、アリシアに何かあったらどうしようって……」
アリシアは俯いてしまったマリーと目線を合わせるため膝を曲げて話しかけた。
「もう解決したから大丈夫よ。色々な土地にお邪魔するのだもの、歓迎されるとは限らないわよ」
「でも……」
アリシアは立ち上がると、マリーの背中に腕をまわして、子どもをあやすように背中をトントンと叩き始めた。
マリーはぐずった子どものように、しばらく声を殺して泣いていたが、落ち着いたところで涙をぬぐいながら顔を上げた。
「本当に無事でよかった。元気な姿を見られて良かったわ。やっと安心して眠れるもの」
そんなマリーの頭を撫でながら、アリシアは微笑みを浮かべて言った。
「心配してくれてありがとう。私もフランツ様も怪我ひとつしていないわ。私はずっとフランツ様に匿われていたから危険なこともなかったのよ」
アリシアに撫でられながらマリーは続けた。
「アリシア、いいにおいがするわ。それになんだか、こうされていると、とても落ち着く。不思議な気分だわ」
ふと我に返って手を止めたアリシアが言った。
「弟妹をあやしている時の癖でついやってしまったわ。ごめんなさい。マリーは子どもじゃないのに……」
そしてまわしていた腕を解いて少し距離を取る。
「ううん。私こそ急に泣き出してしまってごめんなさい。私はもう大丈夫よ。それより、お茶も出さないでごめんなさい。今用意するから」
マリーはいつもの明るさを取り戻すとお茶の用意のために席を立った。
アリシアがテーブルの席に座っていると、用意したお茶を出しながらマリーは尋ねた。
「アリシアはいつもあんな感じで弟さんや妹さんをあやしていたの?」
「ええ。年が離れているせいか、生まれた時から抱きあげてあやしていたわ。だから、泣きそうな子を見るとついやってしまうみたい。この間、フランツ様にも同じようなことをしてしまって……」
「あ、えっ?……アリシア、それは……」
自分がされたことを思い起こしたマリーは、同じことをフランツにもしたと聞いて驚愕した。
そして相手が他の男性ではなかったことに安堵する。
一方のアリシアはフランツにしてしまったことの方を気にしていた。
「今考えると、弟妹と同じ扱いなんて不敬よね……。なんてことをしてしまったのかしら……」
「ええ……、それは大丈夫だと思うけど……」
マリーはその後の言葉を一度飲みこんで、話しを少し変えることにした。
「それじゃあ、少しはフランツ様とお話しできたの?」
王宮に入った当時、あまりに自分の意見を主張しないアリシアが、我慢のしすぎで病気になるのではないかと、みんなが本気で心配したくらいである。
あれから少しでも自分のやりたいことを一つでも伝えられるようになっていたらいいとマリーは思っていた。
「そうね……。個人的なお話を細かくする余裕はなかったわ。ただ、私が思っている以上にフランツ様は私のことを心配してくださっているということがわかったわ」
「……そう」
あまりにも周囲にはわかりきっていることをアリシアがはっきりと言いきったため、マリーは一瞬呆気に取られたが、それもアリシアらしいと笑みを浮かべて続けた。
「よかったわ。二人がうまくいっているみたいで」
「そうね……これでいいのかどうかは分からないのだけれど……」
アリシアは返答に困ってそう返した。
「アリシア、たぶん正解はないのよ。だけど私から見たら、二人はお互いを大切にしながらうまくやっている。だからきっと幸せになれるわ。もっと自信を持っていいと思うの」
「そうかしら……。私はマリーとアレク様はとても親しげで、結婚はまだなのに本当の家族のようで微笑ましいと思うわ。もちろん王宮での生活にそのようなものは求めていないけど、少し羨ましい……」
思わぬ答えにマリーは驚いていた。
アリシアがフランツとの結婚について具体的なビジョンを持っているとは考えていなかったのである。
「アリシア、フランツ様とのこと、そこまで前向きに考えていたのね……。私はてっきり貴族として流されての婚約だから、そんな風に考えているなんて思わなかったわ」
アリシアも無意識のうちに発した自分の言葉に戸惑っていた。
「私も……自分で少し驚いているわ。私はもしかしたら、自分を大切にしてくれて、自分も相手を思いやれる、温かい家庭というものに憧れているのかもしれないわね」
もやもやとして整理しきれない感情を、何とか言葉に紡ぎながら、アリシアは家庭というものについて考えていた。
「まだわからなくてもいいんじゃないかしら?」
マリーは考え込んでしまったアリシアに声をかけた。
「家庭って一人で作るものではないもの。フランツ様と一緒に考えて、一緒に築いていけばいいんじゃないかしら?私は上級学校を卒業してから、アレク様やお母様、お父様たちと一緒にここで生活しながら、みんなで少しずつ変化させていったのよ。そして今の形になったの。アリシアはお父様やお母様になる国王陛下や王妃様たちと一緒に生活することは少ないと思うし、もしかしたらフランツ様と二人で新しい生活をすることになるかもしれないでしょう?」
それはマリーの言う通りである。
アリシアとフランツは結婚後、どこで生活するのかすら決まっていない。
王宮に留まることになるのか、どこかの領地に引っ越すことになるのか、全く分からない。
王宮に留まることになるのであれば、国王陛下や王妃、第一王子とも家族として接することになるが、王宮から出ることになれば、フランツと二人で新たな家庭を築くことになるのである。
「そうね……。今考えても仕方がないわね」
アリシアはマリーに向き直った。
「それと、アリシアだけが悩む必要はないと思うわ」
マリーがそう言った時、ドアをノックする音がした。
アリシアの代わりにマリーが対応する。
「夕食の準備ができたみたい。食堂へ行きましょう。アレク様のご両親も同席されると思うから紹介できると思うわ」
「ありがとう。楽しみだわ」
こうして二人はテーブルにお茶を残したまま、食堂に向かうのだった。




