プロローグ
――――…バキャッ ド ゴッ カシャーンッ!!
「ウェイティア!?」
「な、何て事ッ!!」
「しっかり!しっかりして下さいッ!!ティア様!!!」
「誰か!早く医術師を呼んで来いッ!!」
「ウ、ウェイティア嬢っ…!!?」
「…何という事だっ……!」
「貴方っ……。」
「…ぅ……ぅぅ………。」
冬期の厳しい寒さが和らぎ、眩い程の暖かな日差しと瑞々しい若草色の芝生が美しい庭園は。春の訪れを知らせる、淡く愛らしい初春の花々で優しく彩られ。そこへ純白の日除け傘と純白のテーブルセットに、香しい紅茶と数々の旬の果物をふんだんに使った豪奢な生菓子。軽食としてあっさりとした生鮮野菜と生ハムのサンドイッチや、ぎっしりと挽肉の詰まった小さなミートパイがたっぷり並べられた…。
実に和やかで優雅な"昼下がりの茶会"の一時は。突如、一脚の純白の椅子の後ろ脚が嫌な音をな発し。その椅子へ腰かけていたとある令嬢が、その「太ましやかな躯体」に任せ後ろへ勢いよく倒れ込み。態々異国から取り寄せた、やはり白く良質な石材の踏み石に後頭部を打ち付け。その緩く結われた栗色の髪に僅かに血を滲ませ、半ば意識を飛ばし呻く痛ましい姿に。
…今日この日、令嬢との顔合わせで対面に座っていた。僅かに濃い緑の色彩が混じる黒髪と瞳を持つ、『オリビアント大公家』の次男エレストとその大公家当主であり現王の"王弟"であるエレストの父とその妻。同じくして、渦中の令嬢を挟み座っていた―――『デセール伯爵家』第二女である"ウェイティア・ル・スゥ=デセール"の父母は。
何の前触れもなく起こった。事実上の「御見合い」であり、まだ正式には決まってはいないものの…。絶好の転校に恵まれ、後は適当に顔を合わせて互いを認識させるだけの酷く形式的な茶会となる筈が。見合い相手であり、実の娘である少女が後頭部から血を流し意識朦朧となっている事態に。居合わせた護衛騎士や侍女使用人の誰もが騒然とし。瞬く間に、慌ただしく運悪く休みを出していた医術師を呼ぶために若い侍従一人が使いに出され。
令嬢ウェイティア付きの侍女が顔を蒼褪めさせ、主である少女を半狂乱に揺するのを近くにいた騎士が宥め一旦引き離すと。荒事や流血沙汰に慣れた女性騎士と、本日の茶会主催地である伯爵邸の侍女長達が駆け寄り。…太ましい、通常の令嬢より尚豊満で大きなウェイティアの体を必死に。誰かが持ってきた担架へ、何とか移動させ。ここで男性騎士達が駆り出され、重い貴重品を運ぶが如く。伯爵邸の庭園から一番近い客室の寝台へと、慎重に移送させてゆく……。
「「「「「……………。」」」」」
余りの出来事に一同言葉を失い…。その中で今の惨事に一人顔色を悪くさせ、僅かに縮こまるエレストを諌め慰める公爵夫人の囁き声のみが響く中。束の間の静寂を破り言葉を発した、ウェイティアの父ゼスタスは。先程の騒動の動揺を微塵も見せる事無く。大公とその子息に夫人へ深く頭を下げ、ゼスタスの妻アスティリアもそれに習う。
「……我がデセールア伯爵家の娘ウェイティアとの顔合わせの茶会にお越しいただいた。栄えあるオリビアント大公にして、我らが国王陛下の弟君たる"ヴィンセント閣下"の前で。……不運な事故とはいえ、我が娘が無様を働き。誠に……。」
「…構わん。デセール伯爵そしてご夫人、顔を上げられよ。貴殿の言う様に、此度の事は誠に"不運な事故"であり。確かに、今日この我が息子エレストとの祝いある顔合わせの席であったが。大公家当主としても、あの様な事故は想定など出来ん…。故に、其方等デセール伯爵家に責はなく、害意もなかった。……そうだな?セレンナ?」
「はい、同意い致しますわ。…エレストも、流石に突然の事で取り乱しておりますが。決して、ウェイティア伯爵令嬢に何か悪感情がある訳でありませんし。どうぞ、デセール伯爵、デセール伯爵夫人。今は不幸にもお怪我を負ったご息女の心配をなさってやって下さいませ。」
「……ご温情、有難く思います。閣下、大公妃殿下。」
粛々としながら、心から「申し訳ない」という心情がひしひしと伝わる真摯な謝罪を受け。大公ヴィンセントはその謝罪を受け入れ、許しを与える。
「でわ、早速なのですが。此度の茶会の"主役"の一人でありました我が娘ウェイティアが……あの様な事となってしまいましたが…。勿論、此度のもう一人主役であるご子息エレスト殿とこのまま縁を結び。これよりの我が伯爵家と大公家の絆を深めるのも、また良き事とは存じております。しかし、失礼を承知で言わせてい頂きますが。先程の惨事で閣下や大公妃殿下、エレスト殿もやはり気分を害し。興が冷めおいでとお見受けいたします…。」
「…私も、本当に、勝手を承知で言うならば。本日の茶会はこれにてお開きとし。是非に、後日"仕切り直し"と致したく思うのですが。……如何でしょうか?」
「…ふむ……確かに、此度の主役の片割れである貴殿等のご息女が居られぬ会では。些か、趣旨に欠けてはいるな…。」
「そうですわね。…エレストも、折角待ち遠しにしていたウェイティア嬢のあの様な姿を見た後で。茶話など、してはいられないでしょうし。貴方、今日は伯爵のお言葉に甘え。また日を改めた方がいいのではない?ねぇ、エレストも、そう思うでしょう?」
「は、はい…母上……。」
一見、先程の惨事の為。渋々、両家共に茶会の仕切り直しを約束する一連の会話。しかし、その会話に含まれる真意は酷く冷め切ったものであり。ごく形式的なもの…。
デセール伯爵家の謝罪と、大公子息の気分が優れない様子は"本当"であるが。その言葉中に見受けられるウェイティアへの心配は、酷く軽薄で多くの偽りが混じっており。それはウェイティアの実の親であるゼスタスやアスティリアでさえ例外ではない……。
その後、すぐさま今だ顔色の悪いエレストを連れデセール伯爵邸を後にする大公一家を見送り。妻アスティリアを傍に置き、背後の密かに常ならぬ喧騒に見舞われている邸を見つめ。大きく嘆息し、吐き出す。
「……あの"醜い娘"は…何時まで、我が伯爵家を貶め続けるのだろうなっ……。」