-序章-
『空無の石』
それが何なのか。
愛し合う”二人”など居ない、身分が低い方が一方的に罰を受けるだけの儀式であり妖術師がその二人の内の一人をまやかしているという。特に、今回は片方は姫君のひとである。場合によっては死に至る様な背中への傷を浴びせる事は村長でさえ敵わず、故にこうなることは分かりきっていた。それを平民が知ったのは義前日の深々とした月明かりが沈む頃だった。
だが平民は思案し覚悟を決めた。
自らの消えゆく事への深い悲しみをも上回るほどの愛を。
死にゆくは自分だけで良しとし、ただ愛する人を死なせまいと、そのために分かっておりながらもこの儀へと自らを堕としたのだと。
だが平民は知らなかった。姫君は既に平民への愛は尽きていた、この世は諸行無常だと。本来死を前に人は愛など忘れるのだろうと義を受ける直前に絶望が身体を走った。
ならばこの義はただの切腹と同義か、或いは罰を受けるための口実だったのだろうか?傷は増えていく、意識は薄れ音が遠ざかり、ずっと視界に入っていた姫君の側近の、下衆共の、顔の口角が上がっていくのさえもいよいよかすみ始めた。
平民は背中の傷の痛みをかぞえながら思いだしていた
これまでのあの言葉の数々と、死さえ覚悟してしたあの日の口付けの意味を自らに問いていた。いや、それは最早自分なのか怪しかった。ただ哲学への道を開ける程の啓蒙がこの義の間に培われたかのような…