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(八)境海の船乗り

 船乗りは街の方へ向かっていた。


 いくども角を曲がり、すえた生ゴミの匂いが漂う裏通りでようやく足を止める。

 狭い道をきょろきょろと見回している。

 肩で息をしながら額の汗を袖で(ぬぐ)った。

 裏通りは狭苦しい。通用口の階段やら住宅の一階を通り抜けるアーチ屋根の通路やらが入り組んで、歩き慣れた者でなければ道の先がどこに通じているのかは見当もつかない、迷路のような路地裏だ。

「やれやれ、あれがあの不思議探偵とはな。あんな若い男みたいなやつとは思わなかったぜ。誰だよ、謎めいた美女なんて噂を流したのは…………」

 街の裏側は静かだった。

 陽の高い今は怪しい取引もなく、ほかに人影はない。

「まったくだ」

 相槌を打ったリリィーナの声に、船乗りは飛び上がった。

 建物の影から歩み出た瞬間、リリィーナは全身を実体化させた。石畳に影がくっきり落ちる。

 その一部始終を目撃した船乗りは、はくはくと口を開閉させた。

「魔術かっ!? 魔術で俺の影に潜んでいたのか!?」

 光があれば物質は影を持つ。あらゆる景色が融合する影の世界では、街の風景は、影絵に過ぎない。生身で影に潜れる魔術師は自らも影絵となって影に溶け込み、(さえぎ)るものが一切ない二次元の街をいともたやすく移動できるのだ。

 小刻みに体を震わせる船乗りの前に、リリィーナは立った。

「お前の名はコール。密輸専門の『海を渡る風号』の航海長であり、リングマスターと正式な契約を交わしている人間の一人だ。だが、近くの港に『海を渡る風号』は入港していない。お前が船から離れた酒場へ来たのは、船荷の帳簿をごまかしてこっそり小遣い稼ぎをするためだ。船長が知ればタダではすまないな」

「は、始めから俺を知っていたのか」

 名前を呼ばれた船乗りは急速に顔色を青ざめさせた。

「『黒い珊瑚礁(さんごしょう)』の海図を渡せ、コール。船長の他に持ち出せるのは契約者のお前だけだ。いろいろ吐いてもらうのはそれからだ」

 リリィーナが一歩進むと、コールは一歩後退する。その後ろは細い袋小路だ。

「バカを言うな。あれにはリングマスターの魔法が織り込まれている。それに、持ち出したりすれば、船長に八つ裂きにされらッ!」

 コールはポケットからナイフを取り出した。地面に(つば)を吐き捨て、

「魔術師め! 魔術をかけるなら、かけてみやがれッ」

 コールはナイフをかまえた。木造船の作業に使う、わざと刃を(にぶ)くした小さなナイフだ。

 うわあああ、と叫びながら、コールはナイフをメチャクチャに振り回して突っ込んで来た。リリィーナは軽く身を躱した。突き出されたナイフを手刀の一撃で叩き落とし、その手でコールの右肘を掴んだ。コールの勢いを殺さずに建物の壁の方へ投げ放し、コールの背中に蹴りを一撃した。

 コールは潰れたカエルのように、「ぐえッ」と壁にへばりついてから、壁に顔面を押し当てたままで、ずるずると下にずり落ちた。地面に手をついて這う這うの体で体の向きを変え、壁を背にして座り込む。胸を押さえているのはアバラでも折れたのだろう。

「……魔術師のくせに魔術を使わないなんて、なんて乱暴なヤツなんだ」

「落ち着け、コール。私と取り引きをしろ。協力してもらえれば、局は報酬を支払う用意があるぞ」

 両手を広げてみせたリリィーナを、コールは鼻先でせせら笑った。

「ふん、よく言うぜ。不思議探偵はいつも局とツルんでるって話じゃないか。どうせ逮捕されるなら、船長に殺されるのと同じだ」

「黒い珊瑚礁の海図を持ち出せないなら、情報を渡せ。島の大人が必要とする、物資を運ぶ定期船がある。荷を搬入する密輸船の乗組員は無条件で島への上陸を許されている。お前の船の乗組員のようにな、コール」

「くそ、そこまで知ってるんなら、かってに船を仕立てて行きゃいいだろうに」

「リングマスターの契約者か黒い珊瑚礁の海図がなければ、船はタンゲイトーの海域で座礁するからな。海図を持ってくるか?」

「俺から何を聞きたいんだ? 何でも言うよ。船長に殺されるより、局に逮捕される方がマシだ。ただ、多次元管理局のラクター刑務所だけには入りたくないんだ。二度と出られないと有名だからな。なんとかしてくれるか?」

「いいだろう。刑務所を選ばせてやる。不思議探偵リリィーナの名にかけて」

 リリィーナは心の中で苦笑した。

 ラクター刑務所へ送られるのは局が魔術師と認定した凶悪犯や、生まれながらに強い魔力を持つ者だけだ。何の魔力も持たず、簡単な魔術すら使えないコールは局で裁判を受けたとしても、ごく普通の刑務所で刑期を務める事になるだろうに。

「なんなら、私が局と掛け合って、この港湾都市の司法局に引き渡してやってもかまわんが」

リリィーナは港湾局のある方へ向かう、背後の道の方をチラリと見た。

「本当か!」

 コールの目が貪欲に光った。

 人間相手の裁判所なら抜け道を利用できると考えたのだろう。

 境海を越える事件の関係者でも、魔術絡みではない殺人や密輸は、人間の管理する司法局でも裁くことはできる。そして、港湾都市の司法局なら賄賂工作が効く。

 コール程度の小物なら、保釈金を積めば仮釈放も望みがある。

「ああ、いいとも。港湾都市の司法局には私の友人も居るしな。連絡しておこう」

 後で、局からコールの犯罪の証拠を港湾局の裁判所に送れば良いだけだ。

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