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境海の不思議探偵リリィーナ『夜の遊びの国』  作者: ゆめあき千路


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(七)境海の紋章

 リリィーナは灰色の旅人用マントのフードをはね上げた。

 古びた木製の看板は、(いかり)に巻き付いた葡萄蔓(ぶどうづる)の絵だ。かすれて読めない店名が歳月の長さを物語る。


 石と煉瓦造りの街は、境海にはよくある典型的な港湾都市の風景だ。古代より貿易で栄えてきた歴史がある。

 多次元管理局を境海の中心とみなしたとき、局を取り巻く発達した文明圏と、その外周に広がりゆく発展途上文明圏との交流点となる国だ。

 東西南北のあらゆる文化が交流する、文明の交易路でもあった。

 文化都市としての栄光の座は、近年、隣の湾に出来た新しい港に奪われたが、今もこの国で一番古く大きな港であることには変わりがない。


 そんな海風の吹きぬける街の、細い路地裏に、その酒場はあった。


 店内はカウンターが十五席のみ。薄暗い点内を照らす黄色い灯りは、船で使われる青銅色のオイルランプだ。切り盛りは年老いたバーテンダーが一人きり。

 リリィーナは奥から三番目の席に座った。店内には、バーテンダーとリリィーナと、今入ってきた男の客が、入り口近くの席に座った。

 バーテンダーは、リリィーナの前に来ると軽く頭をさげた。初対面だが、この店は多次元管理局が昔から情報収集に使っている。リリィーナの容姿と用件は、局の手配で事前に伝えてあった。

「あの男です」

 バーテンダーが目線で入り口近くの男を示した。

 リリィーナは銀色の貨幣を二枚カウンターに置いた。バーテンダーの背後の棚に並んでいる酒瓶の一つを指差して、

「一番上のそいつをボトルで。グラスは二つ頼む」

 それを聞いて、ビールを瓶でラッパ飲みしていた男が、パッと振り向いた。

 船乗りらしく潮風に洗われ、日焼けした顔は真っ黒だ。短く刈り上げた硬そうな黒い髪、狭い額には皺が深く刻まれ、右頬にはこめかみから唇の横まで細長い傷痕が走っている。ゆったりした袖の麻シャツにゆとりのあるズボンは、境海の、それも次元世界を越えて航海をする船乗りが好むスタンダードな服装だ。

「境海の外周に詳しい船乗りを探している。今頃ならここらにいると、港湾事務所で聞いてきた」

 リリィーナはグラス二つに琥珀色の酒をなみなみと注いだ。その一つを船乗りの方へ(すべ)らせ、片目を瞑ってみせる。

 船乗りは滑ってきたグラスをすばやく取りあげ、片方の眉を上げた。グラスを目の上にちょいと掲げ、舌なめずりしながら香りを嗅いで、一口味わい、すぐに一息に(あお)った。リリィーナへ向かって、大仰に顔をしかめてうなずく。

「こいつぁ、地球産の限定品だ! 気が利くじゃねえか。境海の外周へ出る船乗りにもいろいろいるぜ。何を聞きたいんだい?」

 船乗りはカラのショットグラスを持って、リリィーナの隣に移ってきた。スイと差し出されたそのグラスに、リリィーナは酒を縁一杯まで注いでやった。

境海世界では珍しいシングルモルト・ウイスキーだ。店内で二番目に高級な銘柄は、船主か船長でもなければ、そう口に出来るシロモノではない。


「魔の海にあるタンゲイトーへ物資を運ぶ定期船が、どの港に入るかを知りたい」


 すると船乗りは、遠慮なく二杯目を飲み干してから右頬を歪めて笑った。傷がひきつり、いかつい顔立ちにいっそうの凄みをそえる。

「タンゲイトーなんて島は聞いたこともないぜ。俺の縄張りはここらの内海の、ちょいと向こうまでだ。次元まで越える外周の果ての情報は、他を当たってくれ」

 なめらかな解答は、事前に用意されていたに違いない。

 リリィーナはグラスの横に金貨を置いた。

 船乗りが目を見張った。ありふれた通貨ではない。大商人が大口の取引でのみ、手形代わりに使用する黄金のコインだ。表面には通称『境海(サール)紋章(バント)』と呼ばれる、七つの鎖を輪繋ぎにした紋章が刻印されている。

 十分に眺めて意味を呑み込める時間を与えてから、リリィーナは言った。

「この金貨の値打ちは知っているな。タンゲイトーにある夜の遊びの国と同じくらいに」

 サールバントは金の含有率が九十四パーセントと高く、裏面の中央には金剛石(ダイヤモンド)の粒が埋め込んである。繊細な彫金は美術品としても評価されており、値打ちを知る近隣世界で一枚を現金化すれば、一ヶ月は豪遊して暮らせる。

 船乗りは金貨から目を離し、リリィーナを凝視した。

「あんた何者だ。探検家にしちゃ若すぎるし、細っこいし、辺境の旅には向かないな。その旅装のマントの下は、背広に――革靴か。中央都市圏の紳士風に決めてるじゃないか。たまに、遠い世界の魔術師くずれが、魔法の秘密を求めて中央に来るが、そのクチかい?」

「さしずめ、今は魔法医師かな。あるいは記憶喪失の特効薬を売り歩く、旅の薬剤師だ」

 リリィーナは金貨を指の間に挟み、五指の間をくるくると回転させた。船乗りの黒い瞳に金色が映っている。パチリ、と金貨をカウンターの上に置いた。

 船乗りは置かれた金貨をしばらく眺めてから、ニヤリ、とした。

「なーるほど。いい薬だな。それが二枚ありゃ、怪しい噂のある海域へ行った船を思い出せるかも」

「では、もう一枚」

 リリィーナは指先に出現させた金貨を、先の金貨の上に音もなく重ねた。

 船乗りはまだ手を出さない。見ないふりをして、とぼけている。

「きのう、ここへ入港したかなぁ。滞在は明後日までらしいぜ。ただし、排他的な連中だから、不用意に近付くと殺されるぞ。案内人を雇わないとな。なんなら、俺が知り合いに話を通してやってもいいが……おっ!」

 またたくまに、重ねた金貨は四枚になった。

「こりゃ、また太っ腹だな。大枚をはたいてでも欲するものがあるというわけか。魔術師の探す物と言えば、隠された魔法の宝か、秘密の魔導書か。言っておくが、俺ができるのは、タンゲイトーの創造主への仲介だけだぜ?」

 ついに船乗りは手を伸ばした。

 金貨を一枚取り、眼前でクルクルと眺め回す。

 リリィーナは微笑んだ。


「タンゲイトーには永遠の命があると聞いたんだ。タンゲイトーの創造主が契約者にそれを与えるとね」

 

「――――なるほど、そっちの探求者だったか」

 船乗りは、けっけっけっ、と下品な笑い声をあげた。

「魔術修行の果てに、境海の悪魔との取り引きを望むとは、愚か者の極みだぜ。タンゲイトーの創造主との不老不死の取り引きは、代償が恐ろしく高くつくぞ?」


「リングマスターを知っていると認めたな。かまわないさ、金はいくらでも出す」

 リリィーナはマントの下から革袋を取り出し、口を開けた。

 ギッシリ詰まった金貨に、船乗りがゴクリと唾を呑み込んだ。

「いいだろう。そいつをよこせ。そうしたら、リングマスターと取り引きできる店を教える」

「リングマスターは島から出ないんだろう?」

「ああ、でも、リングマスターの代理をしている黒騎士団が、贔屓にしている娼館があるんだ。月に一度は来るから、仲介料を女将に渡せば、繋ぎが取れる。それが、一番リングマスターに近い連絡方法だ」

「その店なら知っている。私が知りたいのは、リングマスターとは直接取り引きはなくとも、タンゲイトーへ入れる許可証を持った特別な船のリストだ。こいつだけは黒騎士も知らなかったのでね」

 金貨をもう一枚取ろうと伸びた船乗りの手が、途中で止まった。

「あ? あんた、なんで、それを知って、いや、……いったい、何者だ?」

 リリィーナは指先の金貨を一枚、弾き上げた。

 黄金のきらめきが船乗りの顔に映る。

 あんぐり口を開けていた船乗りは、落ちてきた金貨を慌てて空中でつかみ取った。


「嘘はついていないぞ。タンゲイトーへ行く船を探している、白く寂しい通りの探偵さ」


「きさまが不思議探偵のリリィーナか!」

 船乗りは握っていた金貨をリリィーナに投げつけ、ドアに体当たりする勢いで店から走り出て行った。


 バーテンダーが開け放されたドアを眺め、「追わないので?」とリリィーナに尋ねた。

「走る必要はないからね」

 リリィーナはその場から一瞬で姿を消した。

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