(六)幽閉場所
ガクン、と大きく揺れて、馬車が停まった。
飛び起きたラリゼルは、ドキドキする心臓をなだめた。
トイズマスターは怖い目つきで窓の外を睨んでいる。座席で身を固くしていると、扉の窓越しに御者のピエロが覗き込む。
いつのまに御者台から下りたのだろう。
とつぜん、扉が開いた。
「降りろッ」
ラリゼルとトイズマスターは馬車から降ろされた。
あたりは薄暗い。湿っぽい土の匂いがたちこめ、重苦しい圧迫感がある。地面は平らで広い。天井は高さもわからないほど真っ暗で、背後から吹きつける風は濃い潮の匂いを運んでくる。どうやら洞窟の中のようだ。暗さに目が慣れてくると、ラリゼルはすぐ前にある複数の影にギョッとして、馬車の方へあとずさった。
白塗りの顔に紅い隈取り化粧をしたピエロの顔、顔、顔。数十人はいる。馬車を半円形に取り囲み、赤と白のストライプ模様の服、先の尖ったブーツのツマ先の鈴が身動きするたびにチリンと鳴り、洞窟の中に不気味にこだました。
ピエロの一人が先導を勤め、後ろから三人がついてくる。うち二人はトイズマスターの大きな鞄の運搬係だ。
じめじめした石造りの長い通路を通り、赤茶けた煉瓦の扉をくぐり抜ける。
乾いた室内に出たら、ラリゼルの背中に吹きつけていた地下通路の風が止んだ。
背後の扉は閉まっている。ピエロもいない。荷物だけが足下に置かれていた。出てきたはずの扉は、煉瓦の壁に埋もれてすでに見えない。
ラリゼルは壁に触った。継ぎ目はなかった。仕掛けではなく、おそらくは魔法で穴を開けるタイプの出入り口だろう。
あきらめて壁に背を向けた。
室内は明るく、新しい木の匂いがした。なんだか見覚えがあると思ったら、ここは白く寂しい通りにある魔法玩具店『カラクリ』の工房にそっくりなのだ。大きな作業台に道具、作りかけのオモチャが散らばり、トイズマスターが休憩するお茶のテーブルまで同じデザインの物が置いてある。
ラリゼルの頭に幽閉場所という単語が閃いた。トイズマスターは半年間、ここに閉じ込められていたのだ。そして、これからはラリゼルも一緒に長い時間を過ごすのだろう。
「私のせいでこんな所へ来させてしまった。だが、あきらめないで。きっと君は助けてあげるからね。……そうだ!」
トイズマスターは、ラリゼルの顔を覗き込んだ。
「なにか、欲しいオモチャはないかな? ここには道具も材料も揃っているから、私の手に適う物なら、何でも作れるんだよ」
トイズマスターを、ラリゼルは瞬きして見直した。
カラクリへ行くたびに、眺めては溜め息をついた仕掛け時計にオルゴール、宇宙の模型にきれいなお人形。ひとつひとつが丁寧な手作りで、世に二つと無いものばかり。
トイズマスターの作るオモチャは少し凝った仕組みの物となると、王女といえどもお小遣いで購入できる品物ではない。それを何でもただで、となると、さすがに心が動いた。
「この前のお誕生日にお友達から頂いた『月の井戸』は素敵だったわ。何度も小さな瑠璃の井戸から月光を汲み上げて、いろんな形のお月様をお部屋に浮かべて遊んだわ。一晩のうちにたくさん作りすぎると、月の色が薄くなってしまったけど」
トイズマスターの三日月型の両眉がへにゃと垂れてハの字になった。なんとも哀しげだ。
「ああ、あれは時どき夜の窓辺で、月光に当ててやらないとね。井戸の枠を作るにはとびきり上等な月光石と白く寂しい通りで集めた満月の月の光が、どうしても必要なんだよ」
と説明されて、ラリゼルがしょんぼりしたのも束の間で、トイズマスターは、ポン、と手を叩いた。
「月光石を取り寄せるには時間がかかりすぎる。どうだろう、君は秘密を守れるかな」
守れるわ、とラリゼルはうなずいた。
「だったら、誰にも内緒でテディベアを作ってあげよう。特別なぬいぐるみだよ」
ラリゼルはキョトンとトイズマスターを見つめた。
テディベアと言えば、幼い子供が抱きかかえられる可愛い熊のぬいぐるみだ。これまでカラクリでぬいぐるみを買ったことはない。もうそんな歳は卒業した。
だが、ラリゼルはトイズマスターの手で作られるぬいぐるみが何であるかを、ちゃんと思い出せた!
「もしかして……それは、ピンクの小さな花柄の?」
カラクリで一番のぬいぐるみ。
それは手足のバランスが少し歪つで、黒いボタンの目をしたテディベア、ぬいぐるみ妖精のシャーキスだ!
ラリゼルの理解を知り、トイズマスターは力強く肯いた。
「そうとも!」
トイズマスターの眼鏡の奥で、つぶらな瞳が生き生きと輝きだす。
「君のために、最高の材料を使おう。目は黒曜石を磨いたボタンを付けて、リボンネクタイは赤い絹かな。なに、布が少し足りなくて手足が短くなっても、どうってことないさ。とにかく可愛くできればね」
シャーキスは魔法のパペットと呼ばれる、生きているぬいぐるみだ。トイズマスターといつも一緒で魔法玩具作りのパートナーであり、一人で店番もできる。ラリゼルとトイズマスターが白く寂しい通りから連れ去られた時は店にいたはずだ。
「それはきっと、まるで魔法を使ったみたいに、でしょう?」
ラリゼルは声が弾んだ。シャーキスは魔法を使う。自我を持ち、言葉を喋り、空を飛んで、どこにでも行ける。カラクリと同じ白く寂しい通りにあるリリィーナ不思議探偵事務所にもだ。
トイズマスターは両手を広げた。
「あれれ、知らなかったのかい? オモチャはすべて魔法の生き物なんだよ。しかもとってもお喋りなんだ。ここの作業場はすこし散らかっているけれど、二人で片付けながら材料を探せば、すてきなテディができると思うよ。君の思うとおり、不思議なくらいにね」
だから今ごろはお喋りシャーキスが、不思議探偵リリィーナに知らせてくれているはずだ。トイズマスターの言わんとするところが、ラリゼルにもわかった。
「あたりを片付けて、まずはひと休みしようか。お茶でも飲んで気を落ち着けよう」
トイズマスターは壁際の紐を引いた。
遠くでベルの音が鳴る。
ほどなく廊下側のドアがノックされ、ピエロが現れた。
トイズマスターはピエロにお茶を頼み、ドアを閉めたあとで、ラリゼルに向かって片目をつむってみせた。