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(五)姫君と魔法玩具師

 ラリゼルとトイズマスターは霧深い路地を歩かされていた。


 白く寂しい通りから連れ出された二人は、街外れで六頭立ての四輪馬車に乗せられた。漆黒の車体に繋がれた六頭の馬もまた炭のごとき黒馬だ。御者台で手綱を取る太めの道化師(ピエロ)だけが、どぎつい赤をまとっていた。


 見張り役だった黒服の男が荷物を馬車に放り込み、外からドアに鍵を掛けた。

 走り出した馬車の窓ガラスに、ラリゼルは張り付いた。

 こちらからは開かない窓だ。街の景色がどんどん遠くなっていく。

「ここに辻馬車の駅なんか無かったはずよ。なぜ、街の人は誰も気付かないの?」

 白く寂しい通りは多次元管理局のお膝元だ。管理局の局員はもちろん、魔法使いや魔術師も多く、妖精や精霊など、人間ではない種族も居住している。

向かいに座るトイズマスターが窓の外に目を向けた。肩に掛かる長めの黒髪には艶が無く、短く刈り込んだ髭のある横顔はラリゼルの記憶にある顔よりもひどくやつれていた。丸眼鏡の奥の目は窪み、濃い(くま)に縁取られている。まだ五十歳にはなっていないはずだが、疲れきった表情は老人のようだ。

「この馬車は強力な魔法に包まれているのだよ。真夜中に人間の世界にやってきては子供を連れ去るという、伝説の馬車だ。暗闇を材料に魔法で作られたんだそうだ。闇の馬車として(かたど)られた瞬間から、恐ろしい呪いそのものとしてね」

 トイズマスターは静かな目をしていた。何もかもを諦めた、世捨て人のような眼差しだ。

「でも、あなたも優れた魔法使いのはずだわ、だって魔法玩具師(トイズマスター)ですもの」

 ラリゼルはトイズマスターを、まっすぐに見つめた。

 呪いの魔法は解けるものだ。人為的なものであれば、解析し、無害にできる人たちが存在するのを、ラリゼルは知っている。

「残念だが、私の魔法はオモチャ作り限定でね。私が学んだのは魔法の薬に魔法の人形、魔法の国の知識に魔法の物語だけだ。君の知る他の魔法使いのように、邪悪な魔物退治や自由な空間などは出来ないんだよ」

 トイズマスターは鼻の上にずり落ちた丸眼鏡を押し上げ、目を伏せた。

 ラリゼルは目を逸らした。

 胸のどこかでトイズマスターを責める気持ちが暗く澱むのを押さえきれない。

 大人なのに。

 魔法使いなのに、どうして捕まったの?――――と考えてしまうのだ。

 これは八つ当たりだとわかっていた。


 いつしか窓の外は、見知らぬ草原になった。

 目を凝らしても街はすでに黄昏の向こうに沈んでしまった。

 窓ガラスは鏡となってラリゼルの青い眼を映している。今にも涙がこぼれそうなほど不安に怯える自分の顔が情けなくて、窓から顔を背けた。その拍子に、白銀色の長い巻き毛がピシリと窓枠を打った。膝の上でギュッと両手を握る。

 御者台からときどき、ヒュンッ、とムチを振るう音が聞こえる。

 御者は白塗りに赤の毒毒しい隈取くまど)りをした顔の道化師一人だ。

 だが、油断は禁物。

 魔法の馬車を御するには、それなりの魔術の心得が要る。

 あんな道化師の格好をしていても、単独で境海世界を移動できるほど強い魔術師なのだ。


「……君はバスティア国の出身だったね。あの王国の人たちは、生まれながらの魔法使いだと聞くよ。私たち異世界の人間にとっては、それこそおとぎ話の彼方の伝説だがね」

 トイズマスターが微笑した。

 ラリゼルの故郷バスティア王国は古い歴史と伝統を持つので有名だが、それ以上に優れた魔法使いを多く生み出してきた事でも世に知られていた。

 魔術も魔法も、突き詰めれば同様の魔力と作用に行き着く。

 一般的に知られている区別としては、魔術とは主に知識と技術で後天的に身につけられる要素が大きく、魔法使いと呼ばれる者は、魔法の血統によることが多い。

「それは、ずいぶん昔の話よ。現代では、他国よりも魔法使い人口が少し多いだけの普通の国です。わたしも、魔法は使えないもの」

 ラリゼルは、バスティア王国の姫君として最も血統正しい王族の直系だが、魔法使いではない。魔法を使うには特別な勉強が必要だ。王族でも例外はなく、優れた魔法使いになるにはさらに厳しい修行がいる。

「たしか、魔法大学付属学院には、魔法関係の講座がいろいろ自由選択であったはずだけど」

 トイズマスターは首を傾げた。

 ラリゼルが留学中の魔法大学付属学院は多次元管理局が経営しており、建物も同じ敷地内にある。白く寂しい通りの商店街はすぐ近所だ。

「ええ、魔法学は教養のうちだけど、魔法を使うための実践講座は取っていないの。わたしが留学したのは別の目的があったから……。本当は知っているんでしょう、トイズマスター。お喋りなクラスメートが、お店に行ったときに黙っているとは思えないわ」

 魔法玩具店『カラクリ』は、トイズマスター手作りのオモチャと雑貨の店だ。ラリゼルたち魔法大学付属学院の学生がよく買い物に行く溜まり場でもある。

 学院の先生たちの品評から生徒の友人関係やゴシップまで、トイズマスターは何でも耳にしているはずだ。

 トイズマスターはおずおずと、上目遣いにラリゼルを見て、答えた。

「姫が留学したかった本当の目的は、顔も見たことがないという謎の婚約者捜し……だったかな?」

「ええ。いまだに名前すら教えてもらえないの」

 考えるたびに不満がこみ上げる。伝統を守る王族とはいえ、いまどき顔も知らない人と自動的に結婚させられるなんて、クラシックにもほどがある。

「でも、その人が多次元管理局に勤めているというのは、確かなのかい?」

「局員なのは確かよ。職業だけは教えてもらったわ。ずっと年上というだけで、肖像画も写真もないの。とにかく、私が十六歳になるまで、絶対に会ってはいけないんですって」

 ラリゼルが小さな溜め息をつくと、トイズマスターも肩を落とした。

「ええと、なんというか、王女様というのは、ややこしい決まり事があってたいへんだね」

「ちがいますっ! 私の国に、そんな変な掟なんかありません! 何百年前ならいざしらず、そんな婚約をさせられたのは、なぜか、私だけなんです。その人が私のお見合い候補に挙がった時、重臣が全員一致で決定したそうです」

 つい興奮して、ラリゼルは壁を拳で叩いた。

 キルト仕上げの内壁でもけっこう痛い。

「トイズマスターも局員の人とは知り合いでしょう。今までにバスティア国の出身者らしい人を、見たことはないかしら。年齢はたぶん二十代で、髪の色が私と似ている人よ」

 それは一目でわかる種族的特徴で、局勤めなら申し分のない有能な人物のはずだ。バスティア国人ならば優秀な魔法使いの可能性が高い。

 白く寂しい通りにはいろんな局員の噂が流れるのに、そういった人物の手掛かりが全く聞こえてこないのは逆に変だった。

 トイズマスターはつかのま唖然としていたが、すぐに生真面目な表情で首を横に振った。

「そ、そういう銀の巻き毛なんて、見たことも……いやその、し、知らないね。局員といっても、たくさんいるから、ね……」

 気まずそうに言葉尻を(にご)らせる。

 ラリゼルは心の内で舌打ちした。知っていそうな人にこの話題を持ち出すと、皆がトイズマスターと似たような反応を示し、話題の転換をはかるのだ。

「局員がよく利用する喫茶エクメーネのマスターも、私のほかにバスティア国の人間は知らないと言っていたわ。きっと、その局員はうまく素性を隠しているのね」

 ラリゼルはスカートのシワをのばして座り直し、窓の外に目をやった。空は黒雲に覆われて暗く、わずかな雲間を縫って針のような月光が差し込むだけだ。

「いつのまに、夜になったのかしら?」

 ラリゼルは呟いた。

 馬車に乗るまでは午前中だった。

 まだ一時間もゆられていない。

「いや、本当の夜ではないよ。いくら魔法の馬車が速くとも、数十分程度では遠い夜の領域へは到達できないさ。朝から夜までは何千キロものへだたりがあるからね。これは(ダーク)(ロード)だ。永遠の夜の街道と言われる亜空間だよ。世界と世界の狭間(はざま)にある、境海という空間にある、一つの側面だ」

 トイズマスターは窓に顔を近づけた。

 ラリゼルは外の風景をじっと見つめた。

 境海とは多次元世界の境目だ。その語源は古く、海だけを指すのではなかった。意味は広く解釈でき、目には見えないだけで大地にも天空にも世界の境目は存在するのだと、異世界学の授業で習った。

「まともな旅人は決して使わない、悪霊に呪われた(みち)ね」

 荒涼とした風景だった。たとえるならば、真夜中の荒野だ。

 トイズマスターは細い溜め息をついた。

「遠い昔は魔法に満ちた高次元の世界への近道でもあったんだ。いまは白く寂しい通りが魔法界の代名詞だ。多次元管理局があり、妖精も魔法使いも、不思議探偵もいる……」

「境海世界で不思議探偵と名乗っているのは、リリィーナだけですってね。白く寂しい通りの不思議探偵と言えば誰もがリリィーナだとわかるくらい、有名だと聞いたわ」

 そう答えながら、ラリゼルは額に落ちた巻き毛をかき上げた。トイズマスターの顔は見えないが、膝に置かれた両拳は見える。それはかすかに震えていた。

「リリィーナは姫君のボディガードをしたことがあったんだね。それで、今回も、姫君が留学する条件として、国元が局を通じて後見人に不思議探偵を指名したと聞いているよ」

 リリィーナは、ラリゼルが私用で遠出する時のボディガードでもある。リリィーナがいない時は局から局員が派遣されるが、どちらも事前に連絡しておかないとラリゼルが怒られるし、場合によっては外出禁止の憂き目にあう。

「寮を出る時には寮母さんに言うんだけど、白く寂しい通りでの買い物は、いちいち報告しなくても良かったの。だからもう少し時間が経たないと、わたしたちが連れ去られたことは誰も気付かないわ」


「本当に、すまない。白く寂しい通りに戻るのではなかった。偶然、誰かに出会えたら、助けを求めようとは考えていたが、まさか、こんな早朝にラリゼル姫に会うなんて……」

トイズマスターの声は苦渋に満ちていた。


「今日はお友達のお誕生日なの。それで昨日遅くにシャーキスにプレゼントのラッピングを頼んだので、それを取りに来たのよ。この半年、ずっとシャーキスが店番をしていたわ。トイズマスターは材料の仕入れに遠方へ旅行に出て、帰りが遅いのだと説明されてたわ」

 パーティは午後からだ。ラリゼルも仕度を手伝うつもりだったから、朝一番にカラクリへやって来たのだ。友達はそろそろラリゼルの不在に気付いただろうか。


「半年前、仕入れに行った先で拉致されて、西の海の果てにある島に監禁されていた。おもちゃを作らされていたんだ。今日は工房に道具を取りに来たんだよ。私の手作りのオリジナルで、それがないと作れない物があると、むりやり言い立ててね。一時間だけ、監視付きで取りに戻ることを許されたんだ。白く寂しい通りに来れば、誰かに目撃されるか、管理局へ駆け込む隙もあるかと考えたんだが……それが、こんなことになるなんて……」

 トイズマスターの使う魔法玩具の材料は高価で稀少な物品が多いため、遠方へ仕入れ旅行に出かけて長期の留守にすることがしばしばあった。

 友人のリリィーナや喫茶エクメーネのマスターすら、今回もそうだろうと話していた。

 トイズマスターは小さく「すまない」と繰り返し、ラリゼルから視線を外した。


 車内の空気が重苦しくなった。

 ラリゼルはキルト張りの内壁に寄りかかった。

 カタン、コトンと馬車が揺れる。

 時間が過ぎるほどに単調な揺れは心地よく、ラリゼルの意識はしだいに暗闇に沈んだ。

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