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(四)暗号名『白猫』

 壁には作り付けの本棚で、天井近くまで本がギッシリだ。

 大理石の柱や壁の上部は植物をモチーフにした彫刻で飾られている。

 その蔵書量たるやすさまじく、奥に続く部屋がどこまであるか見えないほどだ。ひとつの資料室と言うより大図書館と呼ぶほうがふさわしい。

 そんな広大な部屋の中央にぽつんと円卓があり、スレンダーな体つきの青年がひとり、椅子に座らずに円卓の端に腰掛けて本のページを繰っていた。

「そうそう、言うのを忘れていた。現役時代、君のパートナーだった暗号名(コードネーム)白猫(しろねこ)』ことブランシュ君が戻っているよ」

 スカウトマンに紹介された青年は本を閉じた。すらりとした長身を上品な灰色(グレー)の背広で包んでいる。顔を上げた拍子に、肩にかかった混じりけのない白銀色(プラチナブロンド)の豊かな巻き毛がフワリと揺れた。

「やあ、久しぶり」

 澄んだ緑の瞳が、まっすぐにリリィーナを見つめている。


 リリィーナは息を()んだ。時間を隔てて彼に出会った時にはいつもそうだ。ずっと以前、詩人が彼を見て(うた)いあげた古代詩の一編が耳元に(よみがえ)る。


(いにしえ)より女たちが、命をかけて争った、最高のエメラルド』


 この世でたったひとつの生きた緑の宝石を手に入れるために、古代王国の女王は国を投げ出し、乙女達は命を()して闘ったという、魂を奪う美貌の(たと)え。その顕現が生きてまさに、目の前にいる。


「ブランシュ!」

 リリィーナの親愛に溢れた呼びかけに、彼はにっこりした。

「一年ぶりだね。支局へ飛ばされた上に、本局(こっち)にはしばらく顔を出していなかったし、不思議探偵の君はいつも出張していたしね。元気そうで何よりだ」

「ああ、でも、君は当分、戻れないはずだろう?」

 握手を交わし、リリィーナはスカウトマンに振り返った。

「彼を呼び戻したのは、ラリゼル姫のためですか。それとも一斉捜査のためですか?」

 一斉捜査には大勢の局員が駆り出される。万課でも一番の腕利きであるブランシュは、絶対に外せないメンバーだ。

 コツン、と、スカウトマンの杖が床を突いた。

「そうとも。それに彼は、ラリゼル姫の婚約者だからな」

 ブランシュはテーブルから腰を上げた。

「私の支局勤務は、姫君が十六歳になるまでの約束ですが。国に連絡はしたのですか?」

 ブランシュの出身国はバスティアと言い、ラリゼル姫の生国でもある。

 バスティアはきわめて古い歴史と伝統のある大王国だ。ラリゼル姫は現女王を母に持つ第一位王位継承者である。

 次代の女王が、こちらの不手際で誘拐されたとなれば通常の国際問題ではすむまい。

「すでに詳細を連絡し、対処はこちらに一任するとの解答も貰っている。その際、姫と君を会わせないように、と、またもや厳重な注意がそえられていたがね」

 スカウトマンの説明に、ブランシュは苦笑を浮かべた。

 つられて笑いかけ、リリィーナは慌ててポーカーフェイスを作った。


 母君の女王が、ラリゼル姫を成人前にブランシュに会わせたくない理由はよくわかる。もしもラリゼル姫がブランシュに会って夢中になったら、勉強が手に着かなくなるだろう。魂を奪われたように、毎日をぼんやりと過ごすようになる可能性もある。これまでにそうなった男女の何と多いことか。

 しかし。と、リリィーナは別の可能性を考えた。ラリゼル姫自身も絶世の美少女だ。毎日、鏡で自分の美貌を見慣れていて美しい貌には免疫抵抗力があるはず。だったら、婚約者の美貌の虜になることはないかもしれない、と思うのだが。

 リリィーナは、バスティア国からラリゼル姫の後見を任命されている。魔法大学付属学院の公式行事の際の保護者役だ。

 今回の誘拐事件はリリィーナの責任では無いが、何であれ、契約違反となる突発事故はお断りだ。ブランシュと姫が偶然に出会いそうな機会があれば、白く寂しい通りにおいては全力で阻止するつもりだった。


「ともあれ、姫君の誘拐は突発的な事故ではあるが、局の手落ちだ。一刻も早く姫君を保護し、犯人を検挙せねばならない」

 淡淡としたスカウトマンの言葉に、ブランシュの目が細められた。感情が読み取れない局員の表情だ。美しいがゆえにいっそう、冷徹な迫力が増す。

「姫君の安全保障は局の責任だ。わが国を代表して抗議しますよ」

 ブランシュは一歩も引かぬ構えだ。

「君が外交代表となり、君の手で姫君が救出されれば、なんら問題はあるまい」

 スカウトマンの口調には含みが感じられた。


 局のターゲットは、境海を越えて犯罪を行う超凶悪犯だ。手段を選ばない悪に対して、局も捕縛するための手段を選ばないことがある。


 リリィーナが知る限り、局が担当した誘拐事件での人質救出率は百パーセント。

 だが、万課員だったリリィーナですら知らぬ事件は存在する。

 局内伝説となっている未解決事件、次世代に持ち越して現在も捜査継続中の伝説に近い幻の事件は最高機密の書庫に密かにファイルされ、厳重に管理されている。


「一斉捜査の足掛かりを作るために、姫君の誘拐を見過ごしたのではないでしょうね?」

 リリィーナはストレートに疑問を投げかけた。

 スカウトマンの顔がこちらを向く。けっして晴れぬ(かげ)りに覆われた表情は読み取れないものの、その口元は愉快そうにほころんでいた。

「もしそうなら、最初から不思議探偵の名声を利用したとも。局にとっては都合が良いアイテムだし、君の探偵事務所は万年赤字だ。それを私が利用しないとでも?」

「……お褒めにあずかり、光栄です」

 リリィーナは横合いから視線を感じた。

 この上なく美しくも、おおいに呆れ果てた親友の目がリリィーナを見つめている。

「君、また局に借金してるのかい。いくらか貸そうか?」

「気持ちだけもらっとくよ。この事件が解決すれば、今抱えているペナルティもゼロになる。……はずだからね」

 局には『ペナルティ制度』がある。始末書とは別に、仕事での失敗や、局内規定の違反者にマイナス評価が付けられるのだ。たいがいは罰金で済むが、だいたい元の事情が金銭では(あがな)えないものなので、局内の規定労働で等価返済されるのがオチだ。また、ペナルティが仕事上の手柄でも相殺される仕組みになっている。

 リリィーナのペナルティとは、純然たる借金にほかならない。手持ちが無いときに、事務所の家賃と生活費を局員の共済組合から借りている。フリーの不思議探偵業は、当たれば実入りが大きい分、依頼人が事務所に来なければ、収入源がほぼ無いのだ。

「なかなか計算高いことだが、それは君が主犯を逮捕した場合の報酬だよ、リリィーナ」

 スカウトマンの声が嬉しそうなのは気のせいではあるまい。これで、借金を完済するまでリリィーナの好き嫌いに関わらず、局からリリィーナ向きだと思われる仕事を振ってもらえるだろう。

 仕事が在るのは良いことだ。

 リリィーナは思考をペナルティ&借金問題から仕事に切り替えた。

「では、タンゲイトーの内偵は、ほぼ終わっているのですね」

「君らに召集をかけるくらいにはね。君にはブランシュと共に、最後の潜入捜査に入ってもらう。まだ、肝心のリングマスターこと、境海の悪魔フィクス・タルトウの所在が割れていない。島に居る誰がフィクス・タルトウなのかを突き止めるのが、君たちの任務だ」

「夜の遊びの国への潜入ですか。普通の大人は正式な契約が無ければ島に入れないし、むりやり上陸しても島を護る呪いの作用で、いずれは島から(はじ)き出される。今回の潜入手段は?」

 これまでも人工魔界の潜入捜査で一番ネックになっていた問題だ。

 魔法で子どもの姿になるのは簡単だが、敵もそこらを見越して魔法の障壁をグレードアップしている。確立されている安全な潜入方法はない。

「大人の契約者には魔法の刻印が押される。すなわち、境海の悪魔フィクス・タルトウの支配の(しるし)だ。それは死ぬまで逃れられない宿命となる。だから君たちは契約や魔法以外の手段で島に滞在できる者とすり替わるのだ。せいぜい派手にやりたまえ」

 スカウトマンの言葉に、リリィーナはブランシュと顔を見合わせた。


 通常の魔法による変装では見破られる危険性が高い。

 かなり特殊な道具立てや魔法が必要だが、いかなる魔法も島で使えば、リングマスターに察知されるところとなる。

 かといって、魔法を一切使わない潜入など考えられない。

 一斉捜査では、おおまかな作戦指示は局から与えられるが、現場では個人の判断が命の綱だ。

 万課員は、それができるからこその万課員なのだ。


「それが不思議探偵に期待する、もっとも重要な役割だ。島で内偵している局員は動けない。今回の一斉捜査では、君たち二人が局の第一手となる。君たちの前に、境海の悪魔フィクス・タルトウの真の姿を引きずり出すのだ」

 そして、スカウトマンは(おごそ)かに告げた。

「これより一斉捜査を開始する」

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