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(三)多次元管理局

ガラスの自動ドアを抜けると、広いロビーは無人だった。

一般来訪者のために美人受付嬢が応対する案内カウンターも存在するが、必要がないリリィーナの前には現れない。

「るっぷりい、どこまで行くんですか?」

万課(ばんか)のオフィスだよ。魔界絡みの凶悪な組織犯罪は、万能捜査課(ばんのうそうさか)の管轄だからね」

 多次元世界はその呼び名の通り、多くの世界が存在する『多次元宇宙』だ。境海は、無限にも等しい境海は、それら、ひとつひとつが独立した次元宇宙を隔てる境目の『海』である。その境海には数え切れない大陸や島島が浮かぶ。

 それらにある国国は、肉眼では一海峡を隔てるだけの隣国に見えようとも、属する次元と存在する位相が異なれば、物理的には何千~何万キロも離れていることもあった。


 また、境海世界では、次元世界の位相が違えば、その土地の文明の進化度も微妙に異なっていた。

 一つの文明は一つの世界でもあった。それは一個の惑星のようなものだ。惑星によって文明の発達や科学技術の進歩は違う。遠く離れれば離れるほど、生命体もまるで異なった様相となっていく。

 多次元管理局とはそんな多次元宇宙の中央、第ゼロ次元にある境海世界最大の情報集積所でもあり、文字通りに多くの次元と空間の、正義と秩序の管理所だ。

 近くは白く寂しい通りに隣接する町内の民事訴訟から、遠くは境海を越えた司法どころか大気成分すら異なる国の凶悪事件まで、毎日ありとあらゆる問題が持ち込まれている。


 奥の壁に複数の扉がある。等間隔に七つ。重厚な木製の、両開きの扉だ。

 リリィーナは左端の扉の横のボタンを押した。扉の上にある金属プレートの文字が金色に光る。ノブをひねって開けると、

「あれ?」

 ガラスの壁で仕切られた見透しの良いオフィスは、空っぽだった。

 整然と並んだ机の上は整頓されている。

 リリィーナは一歩下がって、ドアのネームプレートを見直した。

『多次元管理局・万能捜査課』

 多次元管理局は、近世以前の文化程度が七割以上を占める境海世界においては、世界の違いを一切問わずに活動する刑事警察機構でもあった。広大な境海で発生するありとあらゆる事件を扱う。

 多次元管理局には多くの部署があるが、その中でも万能捜査課、略して『万課』は選りすぐりの局員をそろえたエリートチームなのだ。


「でも、誰もいませんね、ぷうっ!」

 オフィスに入ると、シャーキスは奥まで飛んで行き、すぐに全速力で戻ってきた。

「るっぷ、ここは広すぎます。ボクが最高速度を出しても奥まで行き着けません。いったい、何百人分のオフィスなんですか?」

 リリィーナも感覚を研ぎ澄ましてみたが、このフロアに人の気配はなかった。

「さてね、これも局の七不思議だよ。局内のすべてを把握できているのは、誰も会ったことがない幻の局長だけだ、という伝説もあるくらいだからね」

 背後で、コツンと床を突く音がした。


「一足遅かったな、リリィーナ。すでに先発隊は出発したよ」


 振り返ると、トレンチコートの紳士がいた。目深に帽子を被り、顔は陰になって判然としない。がっしりした長身にふさわしい、深みのある重厚な(テノール)だけが朗朗と響いた。

「どこへですか、スカウトマン?」

 リリィーナの元上司であり、万課を統括する指揮官だ。局でも幹部クラスの地位にあり、あらゆる世界から人種や経歴を問わずに有能な人材を勧誘(スカウト)してくるのも彼の仕事なので、スカウトマンと呼ばれていた。彼の本当の名前は誰も知らない。


「さきほど、君が白く寂しい通りで決闘した男には追跡者を付けておいた。君たちの会話の内容から、トイズマスターが連れて行かれたのはタンゲイトーだと推察したのでね。あのホリディは境海の港で魔術師として活動している。過去の犯罪記録は無いが、タンゲイトーに出入りする関係者リストにはあった。君に監視を付けておいて幸いだったな」

 スカウトマンがステッキを上げると、シャラシャラと音がした。ステッキの握りは銀製の馬の頭部だ。馬の口に銀の(かん)で銀鎖の手綱が留めてあり、揺れるたび鈴にも似た澄んだ音色を奏でる。

「あいかわらず抜け目がないですね。いったい、どこから見ていたんですか?」

「君が白く寂しい通りにある事務所を出て、二軒先の喫茶エクメーネに入った時だ」

 局に、監視を付けられていたとは!

 リリィーナに気付かれずに監視ができる局員となると、局でも腕利きのベテランと呼ばれる連中だろう。リリィーナの大先輩だ。

 ふだんは単独捜査がメインの彼らが、まとめて駆り出されるにはいくつかの条件が必要だ。案件の内容が、境海を越えて複数の世界にまたがる非常に凶悪な事件であること。その多くは魔法や魔術絡みの組織犯罪である。

リリィーナはピンときた。万課が一時的に空っぽになるほど大規模な人数が動員されるのは、『一斉捜査(いっせいそうさ)』しかない。

 局の行う摘発の中でも、最も大掛かりな極秘作戦だ。

 局は密かに捜査を進め、絶対確実な証拠を固めると、一気に解決まで持ち込む。作戦の際に中心となって動くのは万課員だが、一斉捜査では専従の捜査班というものは存在しない。捜査班の構成員はその都度顔ぶれが替わる。同じ万課でも班が違うと、誰が何の捜査についているかは公開されない。

「タンゲイトーは精巧な人工魔界だ。リングマスターと呼ばれる創造主の正体は『フィクス・タルトウ』という。その活動履歴や魔力の痕跡は人間ではあり得ない。一般に境海の悪魔と称される魔力ある存在だ。名前以外、真の姿は掴めていない。我我はタンゲイトーに関わるあらゆる事象を監視している。捜査の過程で接触する人間も、すべてをだ」

 スカウトマンの口元が軽くほころんだ。リリィーナに見えたのはそれだけだ。

 スカウトマンの顔は常に微妙な影に覆われていて、角度をいくら変えてもどんな顔をしているのか、はっきりとは判別できない。ただ、これまでにリリィーナが蓄積した一瞬見えた映像を集めると、一つの顔がモンタージュのようにできあがる。それは穏やかな黒い目をした壮年の紳士だ。おおらかさと太陽をおもわせる生気にあふれ、力強い手にはいつも銀の馬頭のステッキが握られている。


「この件だが、ラリゼル姫が朝から行方不明になっている。それで、捜査協力を不思議探偵にも依頼するかどうか、万課のチームに打診している最中だったのだよ。まあ、君にはいつも一斉捜査に協力してもらっているがね」

「さっき、シャーキスから依頼されたのは私ですが。なるほど、良いタイミングでしたね」

 リリィーナは皮肉を込めた。局から依頼される仕事は料金がいい。またリリィーナが情報を提供し、局から依頼を受けての合同捜査は、さらに料金が割増になる。今回は残念ながら、シャーキスのおかげで前者の料金体系となるが。

「そう苦い顔をするな。では、一緒に来たまえ」

 オフィスから出ると、入ってきた時とはまったく別の廊下になっていた。

「君が自主退職し、不思議探偵という珍妙な看板を上げて開業したときは仰天したぞ。境海で不思議探偵などと名乗るのは君一人だ。他の者のように『元局員』でも通用するだろうに」

 大きな歩幅で先を歩くスカウトマンに遅れぬよう、リリィーナは早足になった。シャーキスはふわふわと天井近くを飛んでついて来ている。

「それは、依頼を選り好みしないという決意の表明ですよ。元・万課局員の(よろず)ではただの二番煎じですから、他にはないという意味でも、この世のあらゆる不可解な現象すべてを扱うことにしたんです。だから、局の召喚にも、毎回、素直に応じているんですよ」

 リリィーナは手すりの外を覗いた。大きな螺旋を描く緋色の絨毯を敷いた長い長い階段が、ぐるぐると果てしなく続いている。地下に行くのは久しぶりだ。


 局内の通路には面白い特性がある。

 忙しい局員は、屋上から地下七階の大資料庫まで五分で行き着ける。

 逆に、時間が掛かることもある。求める情報の質や緊急性によって、たまに距離が変わるのだ。重要な情報ほど深みにあり、人によっては引き出しに行くのが難しくなる。関係者といえど、おいそれとは利用できない厳格な仕組みなのだ。

 好奇心だけでは階段すら見つからない。

 侵入者ともなれば局の玄関に踏み行った瞬間、その者に相応しい場所へと自動的に移送される。ドアを開けたら局の拘置所の中だった、という結果になるのだ。

 

 長い階段が終わった。

 リリィーナの感覚では地下二十階に降りている。

 明るい廊下には他の階と同じく、等間隔に同じデザインのドアが並んでいる。

「ここは、夜の遊びの国の資料室だ。多次元管理局の開局以来、多岐にわたって収拾された資料の中から、人工魔界についての情報だけを集めてある」

 スカウトマンはドアを開け、リリィーナも続いて中に入った。

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