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(二)魔界からの刺客

「るるっぷっー! どうして、早くトイズマスターを捜しに行かないのですか?」

 リリィーナはシャーキスを小脇に抱えたまま、頭をぐりぐりなでた。

 シャーキスはじたばたと暴れた。

「だから、まず多次元管理局(たじげんかんりきょく)に行くんだよ。捜査資料があるからね」

 多次元世界の治安を(つかさど)るのが多次元管理局だ。国に首都があるように、多次元管理局はこの街の中央にある。この地域の歴史は古く、多次元管理局の創立とともにあるがゆえに、境海世界での(はじ)まりの地を意味する第ゼロ次元とも呼ばれていた。

「るぷーいぷうっ! こんな扱いは不本意です。だんこ、抗議しますっ」

「ぬいぐるみのくせに、生意気だぞ」

 体の前にシャーキスを抱き直したが、短い左腕がリリィーナの胸をトントン叩いた。

「るるっぷ、それは大間違いのコンコンチキです。ボクはぬいぐるみ妖精シャーキス。トイズマスターが魔法を覚えたときに初めて作った魔法のテディベア、オモチャ作りのパートナーです」

「はいはい、ぬいぐるみ妖精ね。間違えて悪かったな」

 リリィーナは歩道から降り、路の真ん中に止まった。『白く寂しい通り』の名にふさわしく、街の風景は乳白色の霧の海に沈んでいる。通りに面する煉瓦造りの建物は二階以上が霧に隠され、街灯の明かりだけが淡い黄色に透けている。

 一つ向こうの街灯の下で、人影が揺れて留まった。

 リリィーナはその場に止まり、霧に映る影を凝視した。


「お待ちしておりました」


 影は霧の中から若者となって歩み出た。ひょろりと長身で、鮮やかな緑のコートには白霧がうっすらとまつわりついている。


「私はホリディと申します。その汚いぬいぐるみを渡して貰いましょうか」

 ホリディは人なつこい笑みで会釈した。ゆるいカールの黒髪が揺れる顔立ちには抜け切れ無い少年めいた幼さが残っている。首や肩の線も細い。奇妙に老成した雰囲気を持っているが、二十歳にやっと手が届いたところだろうか。

 リリィーナは、シャーキスの襟首を掴んでぶら下げた。

「欲しいのはコイツだけかい?」

「もうひとつ、あなたの命も頂戴したい。局に通報されては困るのです」

 さらりと言って微笑を留めた顔は、整った仮面のようだ。上っ面だけで感情を伴っていない作り物。その仮面の裏側には凄まじい殺気が渦巻いている。氷のように冷たい魔力の気配だ。それがホリディという人間を構成するもの。闇のごとく暗く、地獄のように禍禍(まがまが)しい――魔術師なのだ。

「そりゃ、遅かったな。コイツがとっくに言いふらしたよ。トイズマスターの誘拐事件は、この街で発行されるすべての新聞の一面を飾る。今日の夕方には、各次元世界へ一斉に配給されるだろう」

 リリィーナは皮肉な笑みで返し、シャーキスを後ろに放り投げた。ポーン、と飛んだシャーキスは逃げもせず、リリィーナの後ろでふわふわと飛び回った。

「汚いなんて失礼千万、ぬいぐるみ妖精はスミレのように清潔なのです、ぷうッ!」

 喫茶店でやらかしたことも、目の前の敵に狙われている現実も理解していない。

 ホリディは肩をすくめた。

「まあ、済んだことは仕方がない。ともかく、あなたが外れれば、それだけでも我我の負担は軽くなりますから」

 快活ながら、慇懃無礼(いんぎんぶれい)なモノ言いだった。ホリディの両手は体の両脇に垂れている。手ぶらに見えるが、コートの中に武器を隠している可能性は高い。

「なるほど、私を高く評価してくれているわけだ。シャーキス、どこかに隠れていろ」

 シャーキスは飛んできてリリィーナの左肩に留まり、丸っこい手で口元を押さえてささやいた。

「るっぷりい、どうして多次元管理局に駆け込まないのですか。もうそこですよ」

「局への良い手土産になる。すぐに済むよ。私から離れていろ」

 シャーキスは飛んで、近くの三階屋根の軒先に腰掛けた。見物するつもりだ。

 ホリディの周囲で、ざわ、と霧に溶けた殺気がさざめいた。薄い口唇は真一文字に引き結ばれている。手土産と表現されたのがプライドを傷つけたらしい。

「たいした自信ですね。ご安心下さい、私もすぐに終わらせて差し上げましょう」

 ホリディにまとわりついていた霧が、みるみるうちにその背後へ引いた。

 周囲の街灯がつぎつぎと消えていく。

 ホリディの全身が黄金色の光で塗りつぶされた。光は球形に膨らみ、建物を凌駕するほどに巨大化すると、一気に溶け崩れた!

 光の洪水が通りに溢れた。石畳に流れて波打ち、建物にぶつかって屋根よりも高く立ち上がる。

 まばゆい波濤(はとう)がリリィーナへと押し寄せてきた。

 ただの光に(あら)ず、ホリディの魔力によって生み出されたエネルギー刃だ。生き物が触れればその皮膚を切り裂き、傷口から骨までも焼き尽くす。

 リリィーナは胸の前で右手を開いた。掌に白光が湧き上がる。耀(かがや)きは、瞬時に十字柄の長剣と変じた。握った柄も刃も白銀だ。振り上げた刀身に走る波紋は稲妻のごとき光を放っている。振り下ろした切っ先から、一条の銀線が走り、光の波濤は左右真っ二つに切り分けられた。

 光の洪水の裂け目から、白く寂しい通りの元の風景が覗いた。

 一拍のち、裂かれた波は切り口から粒子状に分解を始め、チラチラと光りながら消滅していった。

 ホリディは同じ場所にいた。明るい陽の下で、緑のコートの表面には絡みつく(つた)のような濃緑の模様が浮かび上がっている。魔術の紋様だ。魔力の強化と防御の鎧。その左袖口が切り裂かれている。

「ほーう、それが局員が持つという魔法の剣ですか。では、あなたが元多次元管理局の腕利き局員だ、という噂も、本当なんですね」

 ゆっくりと両手を広げたホリディの左右で空気が揺れている。あたりの地面から陽炎(かげろう)が立ち上る。陽光の下で両眼は影に塗りつぶされ、陰影がはっきりとついた顔は、切り込み細工さながらに表情が失われていた。

「では、局員はみんな凄腕の剣士という噂の真相はどうでしょう?」

 あなたに風が斬れますかね?

 その嘲りがリリィーナの耳に届く前に、ホリディの両手で光が閃いた。左右の手から赤い光が飛び立った。赤光は空中高くで左右に別れ、異なる二つの螺旋(らせん)を描きながら、風を巻いて飛んできた。

 キュインッ、とリリィーナの正面で火花が散った。断続的に金属が擦れるような音がした。リリィーナが身を捻った直後、体の両脇を熱風が吹きぬけた。その風を追うように鼻先をかすめていった微風には、鉄錆びにも似た冷たい匂いがついていた。

 とっさに、リリィーナは左手を眼前にかざした。

 ホリディの細い目が、カッ、と見開かれた。

 リリィーナの左手の前に、赤い球が二つ浮いていた。鮮血のごとく赤く、大きさはピンポン玉くらい。これが赤い光の正体だ。ホリディが操っていた魔球。

「狙いはなかなか正確だったな」

 リリィーナは左手の五指を大きく開けた。二つの赤い玉は、あっという間に黒ずみ、細かくひび割れると、風に崩れさった。

 乾いた拍手が通りにこだました。

「お見事です。今も局でナンバー1(ワン)の腕利きというのは、伊達ではありませんね。この攻撃で生き延びたのは、あなたが初めてです――――。でも、これで最後にしますがね」

 ホリディは笑った。

「気が済んだのなら、一緒に来てもらおうか。君にとっては悪い話じゃない」

 リリィーナは剣の切っ先を地面に向けた。

「あんたがたの言う事なんか信用できませんね」

 ホリディは子どもっぽく唇を尖らせた。それはごく自然な表情の切り替えだった。まるで十五、六歳のようだ。大人の言うことなんか聞くものか、と反抗する年頃の子ども。

「では、拘束して連れて行く」

「嫌なこった!」

 リリィーナが言い終える前に、ホリディは後方へ大きく跳躍した。

 白く寂しい通りを冷気が吹きぬけた。

 空に雲が流れ、太陽が隠れた。

 霧が左右の建物の屋根から流れ落ちて石畳を這い、道の真ん中で合流する。

 ほどなくホリディの姿は、白いカーテンの内に包み隠された。

「あんたの腕はわかったよ。今日のところは出直してやる」

 霧の向こうへ気配が遠ざかる。

 リリィーナは下げていた剣を一振りした。空気を切り裂いて銀の閃光が飛び、霧の向こうへ走り去る。

「あいにくだが、出直しを待つ気はない。そこで止まりたまえ」

 リリィーナは霧の中を進んだ。

 とつぜん、前方のどこかで、ホリディが叫んだ。

「壁が! 街を閉ざしたのか」

 硬い靴音があちらへ走り、こちらへ走って移動する。

 その距離、前方約三十メートル。

 リリィーナは駆け出した。

 乳白色の空気はしっとりと重く、伸ばした手の先も見えない。だしぬけに、ホリディの気配が感知できた。右から左へ移動している。リリィーナは気配を追った。

 前方に、より密度の濃い純白の霧が湧き上がり、視界は完全に遮られた。

 リリィーナは立ち止まり、剣を構えた。

 次の瞬間、リリィーナは剣を振り抜いた。刀身から一条の銀光が飛ぶ。風を切る音色は白く寂しい通りにこだました。

「おおっ!」

 遠くでホリディの驚愕の声がした。

 すかさず、リリィーナは左手首を一捻りした。袖口から銀色の稲妻が閃いて、霧の向こうへ潜り込む。

 一秒後、細い苦痛の呻きがあがり、ぷつりと途切れた。

 リリィーナは進んだ。

 石畳に銀の短剣(ダガー)が落ちていた。リリィーナが袖口から放った短剣だ。

 血溜まりがあった。そこから北へ、血痕が点点と続いている。

「これだけの手傷を負いながらも、それで私の作った壁を破って逃げるとはね……」

 白く寂しい通りはリリィーナの庭のようなものだ。路地裏の壁の落書きから石畳の途切れ目まで知り尽くしている。リリィーナが魔法の壁で完全に封鎖した街から力ずくで逃走を図るとは、ホリディはかなり腕の立つ魔術師らしい。

「るっぷ!」上からシャーキスが降ってきた。リリィーナの頭でポンと(はず)み、そのまま頭にお尻をのせて居座っている。

「るぷう! 逃がしたんですね!」

 リリィーナは、短剣を拾い、左袖口に仕舞った。

「手応えと収獲はあった。私のことを知っていた。とすると、トイズマスターが連れて行かれた魔界は限定される。私が最近手がけた事件に関係があるらしいな」

「それは、どこです? ご主人さまはどこにいるのですか?」

 シャーキスはリリィーナの頭上から左肩へ滑り降りた。


「夢幻世界の一つ、タンゲイトー。多次元世界の西の果て、夢と現実の境目が近い魔の海に浮かぶ、小さな島だ。島そのものが一つの閉じた世界となっている」


 リリィーナは長剣の柄を握る手に力を込めた。長剣は一瞬で縮み、掌に収まった。人形の道具みたいなサイズの剣をポケットに仕舞う。

 シャーキスはリリィーナの左肩で飛び跳ねた。

「るるるいっぷうッ! それは、驚きです、ショックです! そんなものを、どうして今まで放って置いたのですか」

 プリプリ怒りながら、歩き出したリリィーナの頭上に浮かび、くるりくるりと右廻りに回転する。

「やつらは司法の手が迫ったと知ると、魔界ごと移動するんだよ。証拠となる物も人間も、あらゆるものを消し去ってね。局は百年以上、夜の遊びの国の盟主を追っているんだ。トイズマスターとラリゼル姫がいるなら、一斉捜査で踏み込める。今度こそリングマスターを逮捕できるだろう」

 リリィーナは目の前に浮遊してきたシャーキスのお尻を手で受け止めた。

 シャーキスはリリィーナの掌で弾み、ポーン、と高く飛び上がった。

 空中にゆるやかな弧を描き、前方へ落ちていく。

 霧の向こうに見失う前にリリィーナは落下地点に走り、抱き止めた。

「るっぷりい! 謎です、疑問です、初めて聞きます。リングマスターとはいったい、何のマスターですか?」

「タンゲイトーの創造主だ。閉鎖された夢幻世界を造り出す魔法使いをそう呼ぶんだよ。局には詳しい資料がある。ほら、もうそこだ」

 ちょうど霧が晴れてきた道の行き止まりに、巨大なクリスタルの門があった。


 多次元管理局は白く寂しい通りの中央にある。

 正門の幅は三十メートルばかり、そこを入ってまっすぐ玄関まで続く通路の左右には、独立した門柱が七本ずつ建っている。一本は直径が二メートルほどもあり、陽光を浴びて黄金色に透けている。

 七階建てのビルに匹敵する建物の頂上の、紫水晶色した三角屋根のてっぺんが、キラリと光った。

 シャーキスが仰ぎ見て、

「ぷーい、あそこに何か居ますよ。あの光ったのです」

「クリスタルの鳥だよ。あれが門番だ」

 ほっそりした長い首を伸ばし、羽づくろいをしている。動くたびにクリスタルの体躯を透過する光はさまざまな角度に屈折し、七色に分けられ、いくつもの光の輪を生み出しながら、複数の虹を地表に投げ落としていた。

 輝く鳥はリリィーナに気付き、両の翼を大きく広げた。歓迎の意だ。

 リリィーナがたしかな筋から仕入れた局内伝説によると、クリスタルの鳥の起源は古く、多次元管理局の創立時より門を護り続けているという。

 この建物の向こうには、クリスタルの塔が(そび)え建つ。境海という多次元世界の中心において、第ゼロ次元と呼ばれるただ一つの場所だ。

「あそこから動けないのですか。なんと哀れで不自由な!」

「こら、門番を怒らせたら、入れてもらえないぞ」

「るるるいっぷうっ! ボクはとっても良い子だから、どこでも行けるのです!」

 シャーキスはリリィーナの手を離れ、いち早く建物の玄関をくぐった。

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