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(十七)変身譚

 地面に目を凝らせば、逃走の痕跡があった。靴跡はよく探せば肉眼でも見える。だが、これは魔法の残照だ。蝶が振りまく鱗粉のように、移動の跡がほのかにきらめいている。

 リリィーナは二つ目の角を曲がった。

 ホリディがいた。

 よろめきながら歩いている。

 緑のコートが、店と店の隙間にある路地裏へ曲がっていく。


 リリィーナは路地を覗いた。大人が二人並んで通れる程度の細い道だ。陽光は両側の建物に遮られ、薄闇に包まれている。その奥まった先の影の中にホリディはうずくまっていた。

「くそッ、オレはまだ……」

 ホリディは壁にすがって立った。壁に手をつきながら、ギクシャクと歩き出したが、すぐに片膝を付き、路地に差し込む光と影の分かれ目で動かなくなった。


 左の壁に、人影が映った。


 ホリディの影は彼の足下にある。

 リリィーナの影は路地の入口から奥へ向かって、ほぼ等身大に伸びている。だが、ホリディの左側の壁に映っている影も、やっぱりホリディの影だ。その足下から自然の光の方向に逆らって分離した影は、ホリディよりも一回り大きかった。

 ホリディが顔を上げた。顔を壁に向けている。

「やめろ……やめろ、オレは変身なんか、しないぞ……」

 壁に映る影が怪しく蠢いた。輪郭が崩れ、不定形の生き物のようにぐにゃぐにゃと定まらない。

 ホリディはガクガクと震え出した。額から汗が流れている。地面にしたたり落ちた汗は小さな水溜まりになった。

 リリィーナは路地の入口に足を踏み入れた。

 ざわ、と空気が揺れた。

 壁面の影が膨れ上がる。壁から抜け出した立体的な影色の人形ひとがたは、その足を地面に着けた。

 そのとたん、影色が、大海原のごとき深い青色に変じた。

 三本角の青い帽子は王冠のパロディだ。角の先には星が光る。長い肩衣(マント)には金の星屑(ほしくず)がきらめき、前の合わせ目から覗くゆったりした道化服の胸元には、青い宝石が散りばめられている。その顔は白い仮面。目と口の部分が三月形に切り込まれ、人を嘲り笑っているような表情の。


 ホリディが口元をわななかせた。声は聞こえなかった。唇の動きから、「リングマスター」と呟いたのを、リリィーナは読み取った。


「これも契約だ、ホリディ」


 リングマスターの低い声には抑揚がなく、石が声を発したようだった。


 ホリディは汗にまみれた顔を上げた。

「いいや、もう一つ、約束した。オレだけは特別だと……」

「口約束はしたが、これが真の契約というものの効力さ。失敗は期限をわずかに早めるきっかけにはなったが、ささいなことだ。どうせお前の身に染みついた呪いは自動的に執行されたのだから」

 愉快そうに告げる声は、狭い路地の壁に反響した。

 ホリディは、獣のように呻いた。

「ちがう、誤解だ。オレは失敗なんかしていない。あいつは必ず仕留める。すぐに魔法を解いてくれ」

 だが、青いピエロの首は横に振られた。

「いったん発動すれば、わたくしにも解けない自動魔法だ。変化をうながすのはお前自身の内面なのだ。宿命というやつを、お前は自ら(まね)き寄せたのさ」

 リングマスターを睨みつけるホリディの目の縁から涙がこぼれた。くいしばった唇の端から小さな牙がはみ出ている。

「イヤだ、絶対に!……オレは獣になんか、ならない……変身なぞ、するものか」


「リングマスターッ!」

 リリィーナはポケットに手を入れた。小さな銀の剣が指先に触れる。(つか)み出し、指先で刃をつまんで投擲(とうてき)した。


 風を切って飛ぶ最中に銀の剣は長剣と化し、一直線に、リングマスターの胸に突き刺さった――が、剣は通り抜けて、後方の壁に突き刺さった。

 剣に胸を貫かれた瞬間、リングマスターは透き通り、再びはっきり現れた。

 仮面がゆっくりとリリィーナの方へ向く。

 青い衣裳には破れ目すらなかった。


「リングマスター。その姿は、きさまが支配する王国の象徴でしかない。タンゲイトーの外では顕現(けんげん)できない程度の魔力らしいな」

 リリィーナはゆっくりと近付いた。光と影を境界線に、ゾッとするほど冷たい空気が漂っている。背後にした大通りは真昼の明るい陽射しに満ちているのに、まるで異界に踏み込んだようだ。

「そこまでだ。彼は局が保護する」

あと一歩。それでホリディがリリィーナの間合いに入る。

 その絶妙な距離で、リングマスターは両手を左右に広げた。

 リリィーナの歩みが止まる。

 リングマスターの青いマントがフワリと広がり、ホリディを包み隠した。

「なるほど、お前が白く寂しい通りの不思議探偵リリィーナか。嫌な魔剣を所持しているな。影であっても剣の衝撃を感じたぞ。だが、一足遅かったな」

 嘲笑する声は仮面にこもり、低く響いた。

「よく()るがいい。このわたくしはただの影だ。いかなる魔法も使ってはいない」

 青いマントが大きく(ひるがえ)った直後、リングマスターの姿は路地からかき消えた。


 その後ろの壁には、銀の剣が刀身の半ばまで壁に食い込んでいた。

 リリィーナは片手で剣を引き抜いた。

 ホリディは壁際に、体を丸めて転がっていた。

 細身だったコートはずんぐりと膨らみ、自分を抱きしめるように体に回された両手には、びっしり青白い毛が生えている。耳は大きな三角形に変形しつつある。顔は両腕に押し付けられて額しか見えていないが、細かな毛に覆われていく。


 リリィーナの影がホリディの上に落ちた。

 グウゥ……、とホリディから低い呻き声がもれた。どうにでもしやがれ、みたいな投げやりな響きに聞こえる。


「君を逮捕する」


 リリィーナは毛むくじゃらの左手を掴み、その手首に銀色の手錠を掛けた。細い金属の輪を繊細な鎖でつないだ拘束具だ。カチャリ、と銀の輪が毛深い両手首を絞めて、錠が下りる。


 ホリディはぱっちり目を開けた。急に夢から覚めたように、頭をブルブルと振る。すでに顔の毛は無い。手も人間の五指に戻った。その手を慌てて耳にやり、人間の耳の形を確かめている。体つきもすっきり伸びて元通りだ。

「……オレは人間のままなのか。変身の呪いは……あんたが呪いを解いたのか?」

 ホリディは、キョトンと目を丸くしてリリィーナを見上げ、自分の両手首を見下ろした。シャラリと鎖が鳴った。銀の鈴のような涼しい音色だった。

「……なんだよ、この手錠は?」

「局の封魔錠(ふうまじょう)だ。これを着けている間はいかなる魔力も発動できない、究極の呪い封じさ。いかなる刃物も魔法も、この鎖と輪を切ることは不可能だ。だが、局へ行けば呪いも封魔錠も、すべて解除される」

 ホリディは真剣この上ない目つきで、リリィーナを見つめた。

「リングマスターの魔法もか?」

「そうだ」

 すると、ホリディはぱたりと手を下ろした。

「……そうか」

 それきり何も言わず、ホリディはおとなしく引き立てられた。


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