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(十二)道化の王

「ぼくのゆめ……? ぼくは、将来……」

 男の子に奇妙な変化が生じた。

 白い耀(かがや)きが全身を包んだ。光の中で背が伸び、長くなった足のズボンの布が突っ張った。短い(すそ)から足首が覗く。靴の先が破れて爪先がにょっきりはみ出てきた。

 その間も、ラリゼルは、男の子の手をしっかり掴んでいた。

 光が収まり、男の子の変化も終了した。

 さっきよりほんの少し大きくなった手が、ラリゼルの手を強く握り返した。


「思い出したよ。ぼくは、ジャンボジェットのパイロットになりたかったんだ」


 はにかみながら喋る声は、声変わりして低くなっていた。落ち着いた黒い瞳がラリゼルを見つめている。それは小年期の終わりの抜けきれぬ幼さと、近い未来に彼が手に入れるしっかりした大人らしさが少しだけ入り交じった、整った顔だった。

「それは、何のこと?」

 ラリゼルは素直に憧れをこめて尋ねた。 

「ぼくの世界の、空を飛ぶ乗り物だよ。飛行機って言うんだ。ものすごく大きな乗り物で、お客さんをたくさん乗せて、世界中を飛び回るんだよ」

 男の子は照れくさそうに笑ってラリゼルの手を放した。

「とてもすてきな夢だわ」

 ラリゼルは同意を込めてうなずいた。

「うん。大学に行って、いつか航空会社の試験を受けたいって…………ずっと考えていた進路だったんだけど…………」

 男の子は自分の両手を眺めて、ゆっくりと拳を握って、開いた。もう一度、ラリゼルに向いて哀しそうに微笑んだ。笑顔は美しかった。顔の造作よりも内面から発する優しさや思いやりが現れた人間らしい顔だった。

 遊園地の魔法に惑わされた幼い姿の時にはすっかり埋没していた人としての精神的な財産が、再び呼び起こされたのだ。

「すっかり思い出したよ。僕は勉強にとても疲れていたんだ。何もかも、どうでもいい気分になってしまっていた。そんな嫌な気分になっていた日に、窓の外からチケットが飛んできたんだ。変な話だけど、その時は変だと思わなかった」

「それが真夜中の馬車の招待状だったのね」

 ラリゼルは目頭がじんわりと熱くなった。


 なぜ彼が変化したのかが、ラリゼルにはわかった。

 人間の潜在意識に秘められているという、特殊な魔法の作用だ。それを発動させるのは、人間の意思の力だけ。男の子の心がラリゼルの言葉で揺さぶられ、惑わしの魔法で眠らされていた男の子の真の自我が目覚めたのだ。

 彼は、自分の力で、この遊園地に満ちる邪悪な魔法を拒絶して、はね除けた。このような拒絶こそ、この世で最も強力な解呪(かいじゅ)であり、魔に属するものどもが何よりも忌み嫌う人間の力だと、魔法大学付属学院の授業で習った。


「満月の夜、四つ辻に六頭立ての真っ黒な馬車がやって来る。それに乗れば、毎日遊んで暮らせる夜の遊びの国へ行けるって、チケットの裏に書いてあった。家に帰りたければ、好きな時に帰れるともね。古い伝説そのままだったよ。ただ、ぼくの場合、馬車の乗り場は信号機のある交差点だったけどね。気晴らしに一日だけ、珍しい遊園地で遊んでこようと思ったんだ」

 

 巧妙な誘惑だ。

 どんなに賢い子でも、二度と帰れぬ旅路だとは夢にも思わないだろう。

「一日だけのつもりが、一年になったのね」

「いつの間にかね。遊び(ほう)けているうちに、思考回路もまるっきり子どもに戻っていたみたいだ。ぜんぶ夢だったような気がするけど…………君がいるから、これは現実なんだね」

 彼は悪夢の中にいたのだ。自分の家も本来の歳も忘れ果てて。

 そういえば、まだ名前を聞いていない。

「あなたの名前は? 年はいくつ?」

「コータロー。もうすぐ十六歳に……なるはずだったと思うけど、今はいくつになったのかわからないや。たぶん、一年以上はいたはずだから」

 コータローは首を竦めた。

「ここは悪夢の世界だから、あなたの時間の感覚が狂ってしまったのよ。ここは魔界だけど、時間は外の世界と同じに進んでいるわ」


 魔に呪縛された遊園地にいる子どもは、過ぎ去る日日に何の疑問も抱かない。遊園地に掛けられた魔法の作用が、人間的な感覚を鈍らせるからだ。自分が正常な状態ではないと気づくことさえできなくなる。これは呪いの常套手段(じょうとうしゅだん)だ。

 夜の遊びの国の魔法とは、呪いそのものなのだ。


 コータローの表情が暗くなった。

「君も僕も本当の家に帰らなくちゃ。帰りの馬車は新月に出るそうだよ。帰る世界は別でも、魔法の馬車はいろんな所へ行くから、次の新月には一緒に帰りの馬車に乗り込もう」

 力強い言葉だった。

 ラリゼルの胸の奥がちくりと痛んだ。

 話すべきかどうか一瞬迷い、けっきょく真実を告げた。

「それは嘘なの。ここには帰還の馬車は無いわ。遊びに来た子どもは二度と帰れない。遊園地の創造者がそう決めたの」

「それは、王城にいる王様のこと?」

「王と言うより支配者ね。この遊園地は夜の遊びの国という、魔法で作られた国なの。人工魔界といって、創造主はリングマスターと呼ばれているわ。恐ろしい力を持つ魔法使いで、この国のどこかにいるの」

 ラリゼルの説明を聞き終えたコータローは、腑に落ちたように頷いた。

「それは、王様じゃなくて青いピエロのことかも。会えると願いを叶えてもらえるという、伝説の存在だよ。一度だけ、遠くから見たことがあるよ。他のピエロが青いピエロにリングマスターと呼びかけて、お辞儀していたんだ。王様だと思っている子もいたけど、王様は王城の舞踏会にしか出て来ないという噂だし、僕も会ったことがないよ。この国では、王様の名にかけて願うだけで、ほとんどの望みが叶うから、会いたいとは思わないんだよ」


 とすると、リングマスターは青いピエロの格好で、この国の支配者として君臨していることになる。王様とは別物らしいが、目撃者は境海の伝説を知らず魔法の知識も無い子供ばかりだ。境海の悪魔とは気付かれないだろうとタカをくくって姿を現した可能性もある。


 コータローは続けた。

「ここに来てから数日で疲れたというか、遊ぶのに飽きちゃって。次にはこの国が何なのか知りたくなって、片っ端から聞いてみた事があるんだ。でもこの遊園地の事情を知っている子はいなかったよ。ピエロは喋らないしね。青いピエロの伝説を教えてくれた子の名前は忘れたよ。いつの間にかいなくなってしまったから……」

 うつむいたコータローの顔を、横からラリゼルは覗き込んだ。

「私と一緒にトイズマスターのおじさんの所へ行きましょう。私の保護者なの。あなたにも、きっと何かいい方法を考えてくれるわ」

 すると、コータローはラリゼルをじっと見つめた。

「まさか、ピエロじゃない大人がいるの。その人は何者なんだい?」

 洗脳魔法が解けるとともに、まともな思考能力もすっかり戻ったらしい。

「トイズマスターは、魔法のオモチャを作る魔法使いよ。誘拐されてきてむりやり働かされているの。おまけに今は私が人質にされているから、逃げることも出来ないのよ」

 誘拐、監禁、人質を取り、脅迫した上での強制労働。重犯罪のオンパレードだ。この世の楽園のような平和な遊園地ですぐに信じて貰うのは無理かも知れない、とラリゼルは覚悟したが、コータローは意外にあっさりと納得した。

「そうか、そんな人が居るんだ。ここは悪夢の王国だったのか……」

 コータローの小さな呟きは、ラリゼルにもはっきりと聞こえた。

 それで気付いた。

 子どもの喧騒が遠い。

 このベンチは空白地帯の中心になっていた。

 ラリゼルはピエロに見張られているのを思い出した。急いでコータローに、逃げよう、と目で合図してベンチを立ったが、遅かった。


 大勢のピエロが、遠巻きに取り囲んでいる。


 四方八方、ズラリと居並ぶピエロたちは、紅白模様の壁のようだ。

 ラリゼルがコータローを背後に(かば)った次の瞬間、ピエロたちは(うやうや)しくお辞儀をしながら左右に分かれ、中央に道を開けた。


 その道を、ひときわ鮮やかな青い衣裳のピエロがやって来た。


 大勢のピエロは小さい帽子か無帽なのに、彼だけは、(とが)った三本角の帽子で髪をすっかり隠していた。細身の体に纏う衣裳は、空の青と海の青を交互に配色した縦縞で、動くと流れ水のような光沢で輝く。大きなフリルの襟に取り巻かれた首には、黄金のチョーカーが巻かれ、胸元にはハトの卵大の琥珀色(こはくいろ)の石を連ねた重たげなネックレスが飾られていた。

 青いピエロは立ち竦むラリゼルとコータローの前で止まった。

 その顔は白い仮面。すっと通った細い鼻筋、繊細な弓形の眉。アーモンド型の目の周りに青い化粧を施し、頬には涙の(しずく)代わりにダイヤの粒がきらめく。

 申し分なく美しい装いだが、ラリゼルは怖かった。

――――まさか、リングマスター?!

 仮面の下に隠された真実の顔貌(かお)など、恐ろしくて知りたくもない。

「姫君は館にお戻り下さい」

 と、喋りかけてきたのは、ラリゼルの右手に立つ大勢のピエロの一人だ。

 青いピエロは無言。その仮面のかすかな動きで意図を察した部下のピエロが、代わりに喋っているのだ。

 コータローがラリゼルの前に出た。さっきまでラリゼルより幼く小柄だった少年は、ラリゼルが見上げるほど背が高くなっていた。

「ええ、すぐ帰るわ」

 ラリゼルはコータローの手を引いて歩きかけたが、行く手をピエロに阻まれた。

 ピエロたちが笑っている。毒毒しいピエロの化粧仮面の下でニヤニヤしているのがラリゼルにはわかった。

「いくら本物のお姫さまでもわがままはいけませんね。これはこの国の決まりなのです。この子は私たちが保護します。さ、姫君はこちらへ」

 一歩進み出たピエロが、礼儀正しくラリゼルに手を差し出した

「こっちに来ないでッ! わたしたちは一緒に、トイズマスターの所に帰るんだからッ」

 ラリゼルはコータローを背後に(かば)ったまま退()がろうとし、肩をぶつけ、その場に止まった。振り向くと、ラリゼルより頭一つ分背の高い少年が、悲しそうな目で首を横に振った。背中が背後にあった建物の壁についたのだ。コータローは成長してしまった。夜の遊びの国には、成長を始めた子供は(とど)まれない。

「わがままはいけませんね。その子をこちらにお渡しください。あの館に部外者は入れないのですから」

 ラリゼルの前に来たピエロの物腰は穏やかだった。

 ピエロが距離を詰めてくる。ラリゼルはコータローの左腕にしがみついた。彼らにコータローを引き渡せば、どんな目に遭わされるかわからない。

 青いピエロが仮面の顔を少し上向け、右手を真横に挙げた。

 ラリゼルがそれに目を奪われた一瞬、前にいたピエロが二人、ふっと消した。

 同時に、ラリゼルの手の中からコータローの腕が消えた。

 すりぬけたのではない。瞬きよりも早く、消失したのだ。

「やめて!」

 ラリゼルが叫んだら、青いピエロのはるか向こうに、二人のピエロとコータローの後ろ姿が現れた。

 ピエロが両側からコータローの腕を持って連れて行く。

「やめて、連れて行かないで!」

 ラリゼルは青いピエロの横をすりぬけ、追いかけた。

 三人が建物の角を曲がった。

 追いかけるラリゼルは三秒と遅れていない。

 だが、曲がった先に、ピエロとコータローの姿は無かった。

 振り返ると、青いピエロと大勢の紅白のピエロも消えていた。

 これがラリゼルが拘束されない理由だ。

――――どうせ逃げられはしない。

 言葉にされなかった脅迫を改めて噛みしめながら、ラリゼルは匠の館に戻った。

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