(十一)遊園地
ラリゼルはポケットからハンカチを出し、額の汗をぬぐった。
遊園地の風景はどこまでも続く。
信じがたい面積の敷地内に、たくさんの娯楽施設が用意されていた。
観覧車にジェットコースター、いくつものドーム屋根の建物に、極彩色の看板が目立つ。園内は幅広い道路が網目のように敷かれ、大勢の子供が騒がしく行き交っている。
ここでは建物に入るのもアトラクションに乗り込むのも、すぐだ。
どういう仕組みなのか、どれほど大人数で子供が押しかけようと、行列も待ち時間も発生しない。
男の子たちがギャーギャー騒ぎながら、ラリゼルには目もくれずに走って行く。
一人で園内をぶらつくうちに、ざわめいていたラリゼルの思考は鎮まった。
道の真ん中で立ち止まる。
固まっていても仕方がない。わかっているのに、この先どうなるのか不安な気持ちばかりが頭の中でぐるぐる回る。
もう、トイズマスターの所に戻ろうか?
いや、せっかく出てきたのだから、外を見るだけでも見ていこう。と、ラリゼルが再び歩き出したら、走ってきた誰かとぶつかった。
「わっ!」
お互いにビックリして相手を見れば、迷彩色のシャツに半ズボンの男の子が仰天した顔でラリゼルの前にいた。
「ごめんなさい!」
ラリゼルはすぐ謝った。
男の子の返事がない。
怒ったのだろうか、とラリゼルが恐る恐る相手の表情を窺うと、男の子はさっきとは少し異なるぽかんとした表情でラリゼルを見つめていた。
ラリゼルがもう一度謝ろうと口を開きかけたら、男の子が先に喋った。
「何をぼんやりしてたんだよ?」
言葉とは裏腹に、責める口調ではなかった。
ラリゼルは安心した。
「あの観覧車の方へ行こうと考えていたの。高いところなら、遊園地の景色がよく見えると思って」
ラリゼルがにっこりして説明すると、男の子の頬がサッと赤くなった。黒い髪にソバカスのある日焼けした顔は、ラリゼルより少し下の十二、三歳だろうか。表情が幼いのでもっと若いかもしれない。
「どうして遊園地を見るの。ここは遊ぶ所だよ。君、遊園地を知らないの?」
「いえ、あの……つまり、何も教えられずに誘拐されて来たのよ」
男の子の無邪気な問いかけに、ラリゼルは苦笑するしかなかった。
すると男の子は、目をまん丸に見開いた。
「誘拐だって!? そりゃ、犯罪じゃないか!」
今度はラリゼルが唖然として男の子の顔を見つめる番だった。正しい指摘だが、しかし、男の子が考えなければならない点は、そこではないはずだ。
「だったら、あなたはどうやってここへ来たというの?」
男の子の顔が、パッ、と明るくなった。
「特別な招待券をもらったんだよ。魔法の四輪馬車に乗れるやつだよ。世界中で選ばれた良い子だけがここへ来られて、毎日、遊園地で楽しく遊んで暮らせるんだ」
得意そうに『特別』という処を強調する。
男の子にとってはステイタスなのだろう。
「それが良い子のすることとは思えないわ。あなたの家族はどこにいるの?」
ラリゼルは呆れた。永遠に遊園地に留め置かれる地獄さながらの日日のどこが『特別』で『楽しい』のだ?
男の子は顔を曇らせた。
「だったら、君はどうなのさ?」
「私はむりやり攫われてきたの。あなたと違って、ここへは来たくなかったのよ」
「ふうん、でも、それは運が良かったんじゃないかな」
男の子は辺りをきょろきょろした。
「何か食べようよ。アイスクリーム? ハンバーガー、ポテト、ケーキもチョコレートも、何でもあるんだよ」
遊園地には軽食やお菓子の屋台があちこちにあり、子どもがアリのように群がっている。次次に出されるわがままな注文に、対応するピエロはてんてこ舞いだ。かれらの頭上にはふざけて投げられるアイスクリームやお菓子や、色とりどりの紙くずが飛び交う。
男の子は静かな方へ行こうと誘ったので、ラリゼルは助かった。ピエロもいないセルフサービスの屋台だ。好き勝手が出来るのが利点らしく、男の子はコーンカップを手にすると、丸く大きいスプーンでチョコレートだのイチゴだのとアイスクリームをすくい取ると高い山のように盛りつけ、四段重ねのてっぺんが落ちないように、すぐかぶりついた。
ラリゼルは慎重にアイスクリームのケースを覗き込んだ。赤やピンク、黄色に青など、何種類もある。台も器具も清潔だ。魔法で手入れされているのだろう。ラリゼルは白いバニラアイスクリームを選んだ。
観覧車まで男の子が案内してくれるというので、ラリゼルはアイスクリームを食べながら男の子と並んで歩いた。男の子はラリゼルに興味津津のようすだ。
「君は王城の女の子じゃないの?」
「わたしは……匠の館に、住んでいるわ」
そう言ってから、ふと、この子たちはトイズマスターの存在を知っているのだろうかと、疑問がもたげた。
ふうん、と男の子は上の空で相槌を打ち、アイスを舐めている。ラリゼルがどこに住んでいるかには興味がないようだ。
「あなたはどこに住んでいるの?」
「僕らは『家』にいるよ」
彼が言う『家』は、遊園地の一画にある宿泊施設のことだった。遊園地内の東西南北にいくつもあり、好きな場所を選べるらしい。
「みんな魔法の家に住んでいるんだ。毎日、違う家になるんだよ。お城になったり、宇宙船になったり、ホラーハウスになったりするんだ」
子どもばかりでどうやって生活しているのか不思議だったが、男の子は身ぎれいで、髪も切りそろえられていた。服などは寝て起きると、目覚めた瞬間から新しいのを着ているか、枕元などに好みの新しい服が用意されている。髪や体もそうで、お風呂に入っても入らなくても清潔を保てるのだそうだ。
「ほとんど何でも魔法で済むけど、面倒くさいことはピエロがしてくれるよ。僕らの世話をするための召使いだからね。あいつら大人なのに、みーんな、バカばっかりなんだぜ」
「そうかしら?」
ラリゼルはすばやく辺りに目を走らせた。
いた! 建物の角角にさりげなく立つピエロたち。遊園地の景色に溶け込み、目線も動かない飾り人形のようだが、この近くにいある数人は、あきらかにラリゼルを見張っている。ゆったりした道化服だが、大柄ながっしりした体格の持ち主ばかりだ。世の中にはお金で雇われる兵士がいる。境海世界には、傭兵という職業もあるのをラリゼルだって知っている。タンゲイトーの創造主も万が一、子供達が王国に反乱を起こす場合を考えて人材を揃えているのかもしれない。
「あなたは、ここから逃げようとは思わないの?」
ラリゼルが尋ねると、男の子はきょとんとした。
「お父さんやお母さんに会いたくなる子だっているはずよ。あなたの家族は?」
「えー、そんなの、忘れちゃったよー」
男の子はアイスクリームを食べ終え、チョコやイチゴのクリームでベトベトの手をシャツの前で拭いた。汚れはたちまち薄れて消えた。空気に満ちる魔法の作用だ。道に投げ捨てられた紙くずも消えている。
この遊園地の秩序は魔法によって保たれている。
「帰りたい子なんていないよ。誰かが泣いてたって誰も気にしないし。あまり顔を見ない子はいつの間にか、いなくなっているしね」
男の子の言葉はラリゼルの心の奥に引っかかった。
頭のどこかで警告のアラームが鳴り響き、危険信号の赤いライトが点滅する。
「いなくなる」という言葉の、真の意味するところは何?
境海の悪魔とも呼ばれる危険な魔術師が作った闇の魔法の王国で、消息の途絶える者には恐ろしい結末が用意されている、と考える方が自然だろう。
「友だちが消えても平気なんて、信じられないわ。あなたはここに何年いるの?」
「わかんないよ、そんなこと。ここでは難しいことは考えなくていいんだ。だいいち、余計なことは考えちゃいけないんだぞ」
男の子はしかめっつらで歯を剥き出して見せた。
「君のそんな考え方こそ、まったく理解できないな。だいたい、ここには君みたいにきれいな女の子はめったに来ないのに、君はどうして来ちゃったの?」
男の子はいかにも迷惑そうに切り返してきたので、ラリゼルは面食らった。
「ただ遊園地を見ようと思って、普通に歩いて来ただけ……だけど」
そうだ、女の子の姿がない。
あらためて周辺を見回した。園内の風景を奇妙に感じる原因の一つがわかった気がした。遊んでいるのは男の子ばかりだ。
ちょっと休憩しようと、ラリゼルは目に付いたベンチへ男の子を誘った。
男の子は近くの屋台へ行き、さっきと同じようにてんこ盛りのアイスクリームを持って戻ってきた。
「ここにはどうして女の子がいないの。連れてこられるのは男の子だけ?」
ラリゼルが訊くと、
「そんな差別はしないよ。女の子は外のオモチャにはすぐに厭きて、王城へ行っちゃうんだよ。女の子ってアスレチックも戦争ごっこも嫌いなんだよね。服が汚れるからだって。軍服よりドレスがいいなんて、男には信じられないよ」
と、答えた男の子のシャツは迷彩色だ。これは軍服のつもりなのか。その迷彩も絵の具をデタラメにぶちまけたようで、赤や黄色や派手なピンクも混じっている。子どもの想像力だからか、かなりいい加減だ。
時折、へんてこりんな格好の子どもがラリゼルの視界を行き過ぎるのは彼らなりのおしゃれなのだろう。
「そうね。戦争ごっこは、わたしも嫌いよ。他の女の子と違って、わたしはここの全部が大嫌い。遊園地もお城も、なにもかもがね」
つんと高飛車に言ったのに、男の子は気を悪くした風もなく、嬉しそうにラリゼルを見ている。
「でも君は、すごくきれいだ。銀色に光る巻き毛に、海みたいに真っ青な瞳。おとぎ話に出てくる妖精のお姫さまみたいだね。もしかして、本当に妖精なの?」
褒め言葉も美少女だと注目されるのも慣れっこだが、手放しの賞賛に、ラリゼルはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「わたしは人間よ。その、褒めてくれて、ありがとう……」
素直に言葉がすべり出て、頬が熱くなる。
「でも、わたしは家に帰りたいわ。こんな所で永遠に過ごすなんてゾッとするわ」
ラリゼルは動揺した表情を隠したくて、そっと目を伏せた。
すると、男の子が横からラリゼルの顔を覗き込んできた。
「でも…………ここは子どもの天国なんだよ?」
彼は遊びに夢中になり、時間を忘れた無垢そのものの幼児なのだ。
ラリゼルは男の子の無邪気な目を覗き返した。
「とんでもないわ、ここは地獄よ。そもそも子どもが成長しないなんて、呪い以外のなにものでもないわ。わたしは大人になりたいの。これからやりたい事がたくさんあるんだから」
「そりゃ、ヘンだよ!」
男の子があまりにも真剣な表情で言ったので、ラリゼルはベンチから転げ落ちそうになった。男の子は心配そうにラリゼルの方へ身を乗り出した。
「君、ホントはいくつなの。子どもが大人になりたいなんて、どうかしてるよ。きっとどこか具合が悪いんだよ。ここに医者はいないけど、どうしても手に負えないことなら、ピエロに言えば、何とかしてくれるはずだよ」
ラリゼルは頭がくらくらした。噛み合わない会話がこれほどストレスを生むものだとは、これまでの人生で想像外だった。
今こそ切実に、魔法大学付属学院に帰って友達に会いたかった。
そうすれば、こんな状態なんて、思いっきり笑い飛ばしてお終いにできるのに!
「じゃあ、あなたはどうなのよ! 将来の夢は何にも無かったの? 学校に行ってて、お友達と遊んだりした楽しい思い出は、本当に何一つ覚えていないというの?」
ラリゼルが激しい口調になると、男の子は目を大きく見開いた。
「ボクは……ボクは、学校へ行っていた? ……それは、いつ?」
男の子はあたふたと手足を動かした。その拍子にアイスクリームがコーンカップから落ち、右手にクリームがべったりついた。男の子が手を振っても汚れたままだ。自動的にきれいになる魔法が利かない?――――男の子は、おろおろとシャツの腹で手を拭った。それからすがるような目で、きれいな方の左手をラリゼルの方へ伸ばしてきた。
まるでラリゼルに助けを求めるように。
ラリゼルはその手を取り、ギュッと握りしめた。
ここぞとばかりに言葉をたたみかける。
「あなたは賢いはずよ。だって、おとぎ話を知っているもの。なのに、ここが何なのか、まだわからないの? いつか大人になった時の夢は、誰だって一度は考えているはずよ。まともな世界に居たときのあなたは、将来、何になりたかったの?」
男の子は愕然として、ただラリゼルを見つめていた。