十六話 ニートなのに押しかけ女房が出来ました
衝撃的なヴァリファルの告白から、なぜかもう一週間も経っていた。
うぅーん、何故かこの一週間の記憶を、余り思い出したくないように思える。
何でだっけと消極的に思い出そうと試みるフリをしていると、上空にバサバサと翼の音が。
余り見たくないなーという気分を抑えながら、俺は上空を見上げる。
「ジョットさん。もう、また朝からお風呂ですか~?」
拗ねるような口調で言い放ち、ヴァリファルはバサバサと岩縁に着地してきた。
それを見て、ああそうだったと思い出す。
この一週間、何故かヴァリファルは朝早くここにやってきて、日が落ちると共に住処に帰るという、通い妻のような事をしていたんだったっけ。
「ほらほら~。そんなに浸かっていると、ふやけちゃいますよ。それに今のジョットさんは、成長に重要な時期なんですから、出て一緒に身体を動かしましょう」
「いえ、成長方法は独自のがありますから、お構いなく」
「もぅ~、相変わらずつれない態度なんだから~」
成長の仕方はチサちゃんのサポート通りに進める事にしているので、バッサリとお断りしたのだけれど。
どうしてか恋人に向ける甘い視線と、幼子を見る温かい視線がない交ぜになったヴァリファルの視線が、俺に向けられる羽目になった。
この視線を向けてくる状態になると、ヴァリファルは恋愛ゲーの幼馴染ヒロインの如く、あれやこれやと世話を焼きたがるのをこの一週間で学んだ。
それに一々抵抗するのも疲れるので、俺は大人しく溶岩の風呂から出る。
「火照った身体に、涼しい風は必要ですよね?」
「いえ。必要なら自前で用意しますので」
「素っ気無いなぁ。でもそういう所が、可愛いです~」
命のやり取りをした相手、しかもニートの俺の何処に惚れたのか。なぜ恋愛フラグが立ち上がったのか。
ヴァリファルはこの一週間相変わらず、こんな感じで途端にメロメロっぷりを発揮する。
そして彼女は俺を撫で回すように身体を擦りつけようとするので、俺はサッと避けて適当な場所で丸まる。
傍目に見て女性に擦り寄られてどうのこうのと批判する人も出るだろうが、三倍の体格差があるし、今の俺は弱体化魔法を使用しているため、重いし痛いので嫌なのだ。
「添い寝。添い寝は良いですよね?」
俺が連れない態度を続けているというのに、ヴァリファルは諦める素振りすらない。
なのでここ最近見つけた最終手段を取らせてもらう。
「嫌だっていっているでしょう」
魔法の光りで発光した俺の体が、しゅるしゅると縮んで行くのと同時に、付近の岩から石綿の糸が紡がれ編まれていく。
やがて発光が収まると、俺は衣服を着た人間の子供姿に。
「あーんもぅ、また小さくなって~……」
身長一メートル程しかない人間姿の俺を見て、ヴァリファルは物凄く残念そうな声を出す。
彼女は何故かべたべたとくっ付くのが好きらしく、接触面積が小さくなるこの人間形態になると、残念そうに諦める事が多い。
全長十五メートルの竜にしたら、俺のこの大きさだと頬のほんの少ない面積分しかないからな、擦り寄る意味が薄くなるのだろうと勝手な解釈をしている。
このままの態度で人間形態を保っていれば、ヴァリファルは拗ねて帰る。
その筈なのだが、今日は何故だかヴァリファルの表情は余裕ぽく見える。
竜のトカゲ面の表情変化は分かり辛いので、大よその雰囲気を察してだけれど。
「ふふ~ん。何時までもジョットさんに好い様にはさせませんよ」
と意味深な発言をしたと思ったら、唐突にヴァリファルの身体が魔法の光で包まれる。
まさかと驚愕してみていると。
ヴァリファルの身体はしゅるしゅると小さくなっていき、大体人間の大人程度の大きさまで縮んでいく。
やがて魔法の光りが収まると、そこには銀色にも見える薄青の長髪を持った、大人の女性が立っていた。
「はふぅ。やはりまだ熟練不足で、あまり上手く化けられませんね」
熟練不足とヴァリファルが言った部分は、おそらく二の腕や太腿と腹に背の一部に、薄青の鱗が残っているところを指しているのだろう。
しかし身長は百七十センチ程の長身で、細いが確りと肉がある手足がスラリと伸びたその姿は、整った顔の造詣も合わさって、どこかのファッション誌の外国人モデルみたい。
その鱗も何かのオシャレアイテムぽくて、違和感が無いように見えるのは、ニートな俺の変な感性の所為だけではないはずだ。
だがその姿に問題が無いわけではない。
「人間に化けるなら、服を着なさい!」
そうヴァリファルはすっぽんぽんなのだ。
病人かと思うほどの真っ白な肌だけでも、人間の感性が残っている俺には毒なのに。
身長に見合ったような張り出した胸や、逆に引き締まった腰周りに、思わず目を釘付けになりそうな桃尻と。
今世での未発達なままの竜の身体の性徴を刺激するような姿を、惜しげもなく晒すのは止めて欲しい。
「服を着る? ああ、ジョットさんの着ているその布の事でしょうか?」
「……竜に服の概念が薄い事を忘れてた。いいです、いまから作りますから、それを着てください」
女性服のデザインなんて分からないし、男服で『だぼシャツ』と言うのはなんか色々と危ない気が居する。
なので困った時のチサちゃんサポートで、ヴァリファルに見合った服のデザインを呼び出して、それを石綿を素材に自動作成していく。
「はい、これ着て」
「着る……どうやるんでしょう?」
「あぁ……手伝ってあげるから」
出来上がった物を順次着せていくと、何故かワイシャツとジーンズになっていた。
何でこうなったか分からないが、ここ最近あんまり相手にしていないチサちゃんの仕返しな気がする。
いや確かに、チサちゃんサポートは的確で。衣服は似合ってはいるんだけれど。
ぴっちりとしたタイトジーンズで足腰の造形が浮き出てるし、ワイシャツは大きな胸にしたから押されて、大きな谷間とへそチラが眩しいしと。
裸とは違ったエロさに、チサちゃんの悪意が透けて見える気がするのだ。
「ふ~ん、これが服ね。人間って何でこんな窮屈な格好を好むのかしら」
「……寒さや暑さに弱いから、体温調節のためじゃないかな」
「ジョットさんって、意外と物知りね」
着心地を試すように身体を捻ったり手足を動かすたびに、張り出してシャツから零れそうな胸がぽよぽよと動くのを、視界に入れないように目をそらす。
そこはちゃんと見て、目の保養をしろって?
うっせ、へタレでわるかったな。ニートに大胆行動を求めるな!
「ふふっ。ジョットさーん」
「どわぁ! な、なんで抱きついて!?」
と行き成り抱きすくめられた俺の背中には、なにやら柔らかい二つの大きなものが感じられた。
こ、この感触は。なにか感じた事がある様で、それとは全く違ったような。
近いのは人を駄目にするというビーズクッションか、それとも水を八割入れたゴム風船か。
いやもっと柔らかくて、しかし弾力のある……ニートの俺には思い至らないナニカだ!
「んふふ~、この姿の方が抱きつき甲斐があるわ~」
混乱する俺を余所に、ヴァリファルは俺に身体をこすり付けるようにしながら抱き締めてきた。
あわわ。同じ腕と足のはずなのに、なんだか柔らかい!?
駄目だ、この感触は危険だ!
そう今世で俺の中にある竜の本能がそう叫んでいる!
「やめて、ください!」
「ああぁ~ん、もうちょっとだけ~~」
ぐいっとヴァリファルの顔を両手で押し退けて二人の身体に隙間を作ると、そこからスルリと抜け出して距離を取る。
飛び掛られても対処可能な距離まで逃げてから、ヴァリファルに向き直る。
しかし俺の逃避行動は意味が無かったらしい。
何故かと言うと。ヴァリファルは人間形態で歩くのもままならないのか。
立ち歩きし始めた赤ん坊の様に、両手を前に出して、よたよたと俺の方へと寄って来ようとしているからだった。
見方によったらB級映画のゾンビにも見えるが、美人がやると何か可愛らしい仕草に見えてくるから不思議だ。
さらに見続けていると、何故か庇護欲を書き立てる姿にも見えてくる。
それが小さな外見の男の子――俺の事だ――を抱き締めようと寄る、ショタ好きの美人という図式にも係わらずに。
「はぁ……しょうがないですね。ちょっと待って、安楽椅子出しますから」
魔法で岩を安楽椅子状に形成して、ヴァリファルの直ぐ後ろに生み出し。
更には椅子と背もたれには、石綿で作り出したクッションを乗せる。
そしてヴァリファルに近付いてお腹の辺りを押してやれば、踏ん張りきれずに彼女はすんなりと椅子に座った。
その時に表情を見なければ良かった。
何かに期待するような、何かを待ちわびるような瞳を。
見なかった事にして視線を逸らそうとして、その隙をヴァリファルにつかれてしまった。
「わわッ!?」
「えへへ~、ジョットさんを捕まえた~~」
ゆったりとした衣服の袖を思いのほか強い力で引っ張られて、座ったヴァリファルの膝の上に、俺はすっぽりと納まってしまった。
しかも逃がさないと言いたげに、俺の腰に腕を回して、シートベルトのようにがっしりと固定までしてくる。
全力を出せば、もちろん逃げる事が出来るのだけれど。
必至になって何かをするのはニートの信条に反する気がしてきて、俺は諦めてヴァリファルに体重を預ける。
すると懸念するのを忘れていたモノを、後頭部に感じた。
具体的に言うと。
「……清楚なクッションって、言うんだっけ?」
ぽよぽよとふよふよとする柔らかさに、前世で読んだ小説の一説を思い出してしまった。
「えへへ~。今日はプレゼントも貰えたし、抱き締められるしで、良い日だな~」
俺の独り言が耳に入らなかったのか、デレデレした口調のヴァリファルの吐息が首に掛かってくすぐったい。
「今日だけだから、忘れないように」
「うん。じゃあたっぷり堪能するからね。うへへぇ~」
釘を刺した積りなのだが、どうやら意味が無かったらしい。
その後は、撫で擦られ、ぎゅっと抱き締められ、匂いを嗅がれた。
段々エスカレートしてきて、耳を舐められそうになったので、調子に乗るなと怒ったら、しゅんとして抱き締める段階まで戻った。
「ねえ、もういいでしょ。放してよ」
「だ~め~。もうちょっと~~」
朝早くに来て、もうそろそろ昼時だというのに、まだ足りないと申すか。
ニートは自由を愛し、束縛を嫌う人種だというのに。
拘束大好き束縛大好きな恋愛脳の持ち主は、これだから嫌なのだ。
「もう、放してってば。第一、良い所のお嬢さんが、こんな所でこんな事して大丈夫なの?」
「う゛ッ。それを言われちゃうと、ちょっとキツイかな~……」
苛々として言い放った言葉に、何かを思い出したかのようにヴァリファルの腕の拘束力が解けた。
どうしたのかと訝しんで振り返ってみると、整った顔に陰鬱な表情を浮べている。
どうやら本当にクリティカルな部分を抉った言葉だったらしい。
そのままじっとその表情で居たヴァリファルだったが、何時しかその目には何かを決めた意志の光りが宿っていた。
「ねぇ、ジョットさん。ワタクシの住処まで来ていただけません?」
「……それはどうしてか、聞いて良い?」
何故か物凄く嫌な予感がして、自分の住処に篭りたくなる。
あ、ここが住処だ。逃走不可な状況に陥っていたよ。
まいった、まいった。
「お父様――いえ、その地を収める水晶龍ハルリィお爺様に会って下さい」
「いやだから、何でかって聞いているんだけれど?」
「勿論、ワタクシが気に入った殿方として紹介するためです!」
ああ、はいはい。つまりはあれだ。
結婚を考える男性が一度は通る、彼女の実家に言って「彼女を嫁に下さい」っていう、地獄の儀式。
下手すると、義父になろうという人に鉄拳でお話し合いをする必要があるという、恐怖の通過儀礼。
「うえぇぇ~~、なんでどうして?」
「思い立ったが吉日です。早速段取りを付けますから、今日は名残惜しいけどここで帰ります!」
別に付き合った積りも無いし、プロポーズの言葉も了承した事も無いのに、どうして行き成りその儀式をしなきゃならないのか。
詳しい説明を求めようとしたけれども、ヴァリファルは安楽椅子から立ち上がると、魔法の光で竜の姿に戻ってしまった。
体積が素早く大きくなったため、投げ出された俺と、壊された安楽椅子を残して、ヴァリファルは中空の彼方へと消えていった。
「ど、どうしてこんな事に……」
ただニートな竜として人生を過ごそうとしていたのに、何処で選択肢を間違えたというのだろうか。
――流れに身を任せる事を推奨します。
水晶竜が相手かもしれないから、推奨って事!?
混乱して思わず変な駄洒落を言ってしまった俺に、チサちゃんは何も言ってくれなかったのでした。




