第六話 弄する二人
死に際に武名を欲し、後悔の無いよう学び育んできた自らの軍法をぶつけた末、信幸は生き延びた。玉砕覚悟で挑んだことが、好結果を生んだと言える。
信幸は一つ学習した。死なんと戦えば、生き延びる。
父や弁丸と、散々論議を交してきたが、それは机上での事。こと実践に置いては、信幸はまだまだ青二才に過ぎない。それでも一つの経験を積み一つの戦功をあげた事は、喜ばしい事であった。だが。
――一軍の将たる俺は、何を考えていた?
敵を殲滅するための軍略を立て、戦った。それはいい。しかしその最中、信幸は自ら敵中に飛び込んでしまった。
掃討戦であったとはいえ大将自ら敵陣に突入するなど、愚の骨頂、匹夫の勇。父・昌幸に幾度となく言われていた事であった。
つまり、信幸は死のうとしていた。討死を果たし、攻勢に語るべき英傑になって、この後の手子丸城の奪回戦、ひいては北条家との全面戦争から逃げ出そうとした。
「このド阿呆が!」
信幸は兜を脱ぎ捨て、それなりに太った樹木に脳天を思い切りぶつけ始めた。
「わ、若!何をなさいます!」
才蔵が慌てて信幸を羽交い絞めにする。才蔵が主君を守ろうとしているにも関わらず、先ほどの信幸は部下全員を見捨てようとしていた。その恥ずべき行為に、自ら罰を与えているのだ。
「離せ!死にはせぬ!」
才蔵を振りほどき、十回ほど頭を打ち付けた信幸は、深呼吸を大きく一つ済ませると、
「見苦しいところを見せたな才蔵。許せ」
才蔵に加え、周りの兵も唖然としている状況に信幸は気づく。
「何をしている、真田兵」
ギロリと兵を睨む信幸。
「勝鬨だ」
「はっ?」
「疑いなく我らの勝利。勝鬨をあげよ!」
「応!」
兵全体が大声で勝鬨をあげ始めるのを聞き、ようやく信幸は勝利を実感する。大将として、信幸の初めての勝利である。
――今後十万大軍がやって来ようと、もう二度とあのような醜態は晒さぬ。
一皮剥けた瞬間であった。
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一方、手子生城に残っている周防はほくそ笑んでいた。
「周防守様、どうなさいました?」
「聴こえぬか?あの勝鬨が」
「え、ああ、我が軍の物では?」
「違う違う。あれは真田が騒いでおるのよ」
「なっ!?」
小姓は絶句する。先発の富永主膳が敗れたという事ではないか。
「す、すぐに救援を出さねば不味いのでは!?主膳様が掃討されまする!」
「よいよい。四散して逃げる様に言っておいたのよ」
「……は?」
小姓は疑問符を浮かべている。
「あの」
「鈍いな、貴様」
「申し訳ございませぬ」
「まぁ良い。今度は私が出る」
「周防様!気勢が乗っている、あの真田の前に出るのは危険では?」
「気勢がのっているから良いのだ。二千ほど兵を出すぞ」
周防守が動き出す。
「ああ、だがその準備は今から一刻ほど後にせよ」
「は?」
「良いな」
「ぎ、御意に」
――さて、『孫弾正』を見極めに行くか。
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奇襲に当たって用いた兵の数は二百ほど。全体の四分の一の兵で一千の敵を散らした信幸だが、後方の手子丸城に四千の北条軍が待ち構えているという圧倒的不利な状況に変わりは無かった。
「才蔵。斥候だ。行け」
「承知」
手子丸城の敵がすぐにでも信幸の討伐に向かってくるならば、すぐにでも退却が必要である。だが、籠城策に出てくれるのであれば、策を弄する時間がこちらにもあるという事になる。
「玄蕃。兵の疲労は如何に」
先ほどの奇襲で手柄を立てた配下武将・唐沢玄蕃に意見を求める信幸。
「奇襲後の兵は指揮は高かれど、負傷者も数多く、数の差もあった故疲労もとれぬ様子」
「左様か」
死者はほとんど出ていない。しかし、ここで焦って兵を酷使することは不味い。所詮は烏合の衆だ。劣勢になれば逃散しかねない。
ならば、残りの六百のみを使った戦略を考えるしかない。
――やれやれ。金も兵も、真田の金庫は貧相であるな。
「伝令。斥候の報告にござる」
「才蔵はなんと?」
「北条方は兵の損失を嫌い、どうやら籠城を決め込んだ様子」
「籠城?あちらがか?」
「はぁ、左様で」
もしや、と信幸は思いつく。
「門は?」
「は?」
「城門は閉じているのか」
「確認して参りまする」
才蔵からの伝令を見送った後、信幸は考える。
――先ほどの奇襲で敵方の兵の死者は、思いの他少ないはず。もし城門が閉じているのならば、それらの受け入れは拒否したも同然。勝鬨も聴こえていたはず。首脳はそれでいいかもしれんが、雑兵の心積もりは……!
「伝令!」
半刻後、伝令が戻って来た。
「如何に」
「城門は閉じてございます。先ほど打ち破った軍勢数百は、厩橋城に退却した由」
「よし。玄蕃!」
「ここに」
「精鋭を五十。早急に集めろ」
「ご、五十だけでございましょうか?」
「使うかどうかはまだわからん。だが、使うと言って集めろ」
「は、はっ」
信幸はそう言うと伝令に向き直って、
「俺の知る限り手子丸城の裏門は北の丸にあるはずだが、如何か?」
「その通りでございます」
「その様子を頼む」
「御意!」
信幸は腹を決めた。
これは情報戦である。迷って時間を掛ければ、二度と手子丸城は奪い返せないだろう。
――今度は狼狽せず、自分は動かず、指揮のみで城を落す。
――出来なければ死ぬだけだ。しかしこの程度の状況で死兵と化しては、真田の嫡男とは言えぬのだ。
――その様な一族に、俺は生まれたのだ。
「伝令!」
半刻後、三度才蔵から伝令が届く。
「如何か!」
「逃散が始まってございます!」
「でかした!」
信幸はもう迷わない。
「玄蕃!」
「ここに」
「選別は済んだか」
「五十名、選びましてございます」
「指揮はお主に任す。北口の裏門を封鎖せよ」
「はっ!五十の兵を使えば良いので?」
「その後、裏から切り込め」
「はっ?」
玄蕃は虚をつかれ、しかめっ面をしてしまった。
「ご、五十だけで、でございますか?」
「そうだ。少数でなくては出来ぬ。その際に流言も頼む。混乱を引き起こせ」
「……勝算がおありか?」
玄蕃は疑心暗鬼に陥っている。無理もない。五十で数千の敵に飛び込めと言われたのだから、つまり……。
「ある。北側までは、伝達が上手くいっていない。主要部隊がいない事は明白。よって混乱さえ引き起こせば殲滅は五十でも容易だ」
「しかし千はおりましょう」
「できる」
「もし、上手くいかなんだ時は」
信幸は一瞬、考えた。ここで言葉を間違えば、作戦は成功しない。しかし、媚びてはいけない。誇りを傷つけてもいけない。将の器は今、ここで決まる。
「死んでくれ」
信幸の発声に一切曇りは無かった。
「御意!」
「武運を」
信幸の器を判定し終えたか、玄蕃もまた覚悟を決めた。
そして信幸は、残り五百の兵を引き連れて門前に立つ。多目周防守の黒備えと対峙した。
信幸と周防。両者の策が、ぶつかる時が来た。




