第五話 理なき勝利
「周防守様」
「主膳か。如何した」
「掃討はなさらないので?真田の援軍が到着したと、物見の報告が来ておりまする」
「数は千に届かぬ程度と聴いたが?」
「左様で。某に千ほど預けて頂ければ」
多目周防は、主膳に見えない様に舌打ちをした。勝ち戦が目に見えているこの真田討伐。ダラダラと行っていては多方面に出し抜かれる。そう思い功を焦っているのが見え見えである。
しかし、この勝気を利用するという事をすぐさまに歴戦の軍師は思いついた。
「駐屯地は割れているのか」
「はっ。北西の森林とのことで」
「将は誰ぞ」
「報告では、安房守昌幸の嫡男であると」
「真田の嫡男……」
周防は在りし日の記憶を辿る。
「昌幸の嫡男……と言うより、弾正幸隆の孫か」
「は?」
「彼奴の狙いは大凡見当がつく。主膳よ、私の策を聴くがよい」
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もし、一軍の将が元服直後の真田の青二才だとすれば、北条の軍師は見逃すまい。
例えそれが、明らかに誘いの見える森の中であったとしても。信幸は自への嘲りを策に変えた。
半刻の小休止を終えた信幸の軍勢は、森林に隠れて待機していた。ある一刻の好機を狙っての、乾坤一擲の打撃を加えてやるために。
才蔵の斥候で、北条軍約二千がこちらへ向かっていることは確認済み。後は時を見誤らない事であった。
まだか。
……まだか。
………まだか!
苛立ちを抑えて耳を澄ます。無音の時の間隙を縫う、馬の蹄が大地を削る音……。
――来た!
「オオォォォ!」
鬨の声が耳鳴りを起こす。その気勢を跳ね返すかのように、信幸の擦れ声は響き渡った。
「いざッ!森へ火を放て!」
信幸の一声で、松明を持った部下たちが森の木々を延焼させてゆく。
信幸の策であった。北条軍が才蔵の手勢百余りを追って森へ入ってきたところで、森に火を放つことで退路を断ち手子丸城に残る守兵との分断を実現したのである。
「た、退路に火の手が!?」
「も、戻れ!戻れ!」
森の延焼は早い。たちまち北条軍数百は真田兵の前に晒された。
「かかれぇい!」
信幸が剣を抜き、鶴の一声を発した。
逃げ惑う北条兵。稼ぎ時だ!と、勇んで首獲りを競い合う真田兵。そしてそれを悠々と見ている信幸。
血湧き、肉が躍った。
――俺が、あの多目周防を圧している!例え一時であろうと、この時のみは英傑!俺は英傑として死ねる!
「うおぉぉぉ!」
信幸は叫びながら突進し、逃げ惑う敵を十字槍で刺してゆく。
――さぁ殺せ!周防!俺を殺して、英傑にしてくれ!周防殿!いざ、いざ!
信幸の指示のないまま、奇襲は掃討戦に移行していた。その中で信幸は一際猛々しく暴れ回る。
信幸の十字槍の切っ先に、一人、また一人と血を塗ってゆく。
「ああぁぁぁ!殺せ!殺せぇ!」
振り回す槍を掻い潜り、才蔵が信幸の腕を掴む。
「若!落ち着いて下され!」
「邪魔をするな才蔵!今ここで、俺は散らねばならんのだ!」
「何を仰るやら!ごらんあれ!今、北条の兵が四散していくあの様を」
「あ……?」
信幸の奇襲により退路を断たれた北条兵は、思い思いに散っていく。生き延びているものは数多いが、軍としての機能はもはや失っている烏合の衆の逃散であった。
信幸は、勝ってしまった。生き残ってしまったのだ。
「若!やりましたな!」
「しまった……」
「若?」
「阿保か俺は!」
信幸は失策を悟る。死ぬ覚悟をばかりを固めたが故に、生きる覚悟をしていなかった。
一軍の将の姿では無かった。
羞恥心から、兜のつばを深くかぶる。
「しかし……」
「若、気を確かに」
「勝ったのだな、俺は」
目の前の状況と己の精神衛生を把握した時、初めて信幸の口元が緩む。北条兵を逃散させた事による自信から、心の内が攻めに転じつつあった。
それが北条最強集団・五色備の一人。黒備え・多目周防守の策であるとも気づかずに……。




