第五十五話 限界点、迫る
「義兄上、後ろの秀忠様の軍勢が見えませぬ!もしや、逸れたのでは!?」
「ああ。離れる様、俺が頼んでおいた」
「え、義兄上の役目は先導だったのでは?」
「それも木曽路を抜けるまでだ。ここからは敵の哨戒があるやもしれぬ」
「しかし、我らだけ先に赤坂入りしても……」
「時間差を利用する。今の俺の状況、最大限に利用するにはこれが良い」
信幸は、忠政に頼んで本多家の旗差し物をしまって貰った。今ある旗は、六文銭だけである。どこからどう見ても真田家単体にしか見えない。
「才蔵。周防に……まぁ、赤坂にいるかはわからんが、いなければ探せ。奴に言づけだ」
「はっ」
「良いか。この書物通りに動けと言え。ただし、『相手』は現地にいるお主に任せるとな」
「御意に」
才蔵は駆けていく。信幸は、自分の脈が速くなっている事を認識し、一気に体を強張らせる。
「忠政。お主にもかかっているのだ。頼むぞ。本来、石高が上の本多家に頼むのはおこがましいかも知れぬが」
「とんでもない。義兄上は実践経験において某の遥か上。父上がいない今、某は喜んで義兄上の指示で動きまする」
「かたじけない。頼康、急ぐぞ」
「はっ!」
小松との婚姻が、今まさに生きている。
******
「小西行長の軍が壊滅だと!?」
正午に差し掛かろうとしたところで、その報せに三成は絶句する。島津の加勢により笹尾山における戦は西軍有利。しかし島津が睨みを利かせられなくなったため、小西への攻めが一層重くなってしまったのである。九州の大名・寺沢広高、筒井順慶が養子・筒井定次、三成の友・田中吉政ら8000。極めつけは井伊直政・松平忠吉の徳川軍7000が加わり、15000の兵が一挙に押し寄せたのだから無理もなかった。
あまりに容易く数の差ですり潰された小西軍の顛末を聞き、三成は気づく。この戦況を生み出している元凶に。
「御注進!徳川本隊、前進を始めましてございまする!」
「やはり……何をしているのだ、南宮山は!」
直政らが悠々と小西を攻められた理由は、南宮山の毛利勢が動く気配を見せないからである。否、動かないからと言って、警戒心さえあれば背後を留守にして攻めるという選択肢は生まれない。つまり、東軍は南宮山に対する警戒心が非常に薄いのである。
「殿!」
「新之丞!戻ったか」
「申し訳ございませぬ、某の拙攻故に、掃部を討死させてしまい申した……」
「掃部が……?よい、掃部とそなたの武勇あればこそ、ここまで戦えておるのだ。気に致すな」
しょぼくれる新之丞にかける三成の言葉は優しい。落ち込む者に救済を。その気性はまだ落ち着いていた。
「弔い合戦だ。何としても内府を討つ!」
「御意!」
「時に新之丞、毛利の様子をどう見る」
「……」
新之丞の沈黙が、毛利の二心を物語っていた。三成はいち早く南宮山に布陣した毛利軍を、この戦における功労者と考えていた自分を悔いた。
事は一刻を争っていた。小西軍四千は既に戦力として数えられない。黒田・細川を敗走せしめ戦況を五分に戻さなければ、いずれ見方も南宮山の裏切りに気づく。その事実は疲労を加速させる。援軍を期待して戦っている兵の足が止まる。下手をすれば、松尾山の小早川の心情も動いてしまう。
左近らの活躍により、両軍の被害は甚大。今ならいける!三成がそう思った矢先であった。
「伝令、三成様へ!」
「何事じゃ!」
「南宮山の毛利軍、裏切りとの噂!さらに松坂城攻めから戻りし鍋島勝茂、徳川方に寝返り長宗我部を背後より奇襲と……」
「まさか、それを軍のど真ん中で吹聴した者がおるのか?」
「は、はぁ……」
「馬鹿者、そ奴は徳川の間者だ!全て嘘っぱちよ、一刻も早く斬るのだ!」
だが、一足遅かった。家康の流言策は見事にハマり、石田隊の精神的、及び午前中戦い続けた肉体的疲労は、その情報により皮膚を突き抜けんばかりに表面化した。
「毛利の援軍が来ないなど……」
「南宮山無しなど無茶だ、あと何万の兵と戦えばよいのか!?」
「鍋島が裏切り?ま、また敵の数が増えたのか?」
「うわ、く、黒田だ!ひぃ、あの後藤又兵衛がまた来よったぁ!?」
――徳川家康……あの狸め!
三成は家康のえげつない策に膝をつかされた。直接戦ってすらいないのに、ここまで士気を根こそぎ持っていくその手腕に絶望した。
「我らは……豊臣は奴に、勝てぬのか……!?」
「殿!某が再び出まする」
「新之丞!傷の手当が先だ」
「今奮起しなければ、いずれまた傷を負いましょうぞ!渡辺新之丞、参りまする!」
新之丞の後ろ姿を呆けて眺める三成。そこへ新たな伝令が駆けつける。
「黒田勢、撃退!退いて行きまする。島左近様の功にて」
「左近が……」
「細川も島津に三度、行軍を止められた由!士気を保っておられまする」
三成が身を削ってかき集めた家臣達や義弘は、まだ諦めていなかった。三成は拳をついて立ち上がる。まだ自分には、家臣がいる。仲間がいる。兼続、吉継、そして信幸。各地で戦っている、友がいる。
「俺も出るぞ!本隊を前進させよ、黒田の兵力を削り取れ!」
三成の前進により、石田隊の士気は僅かに回復した。やるべき事をやる。救うべき者を救う。それが三成の人生であった。
******
「中々押し切れぬ様だな。黒田も細川も」
「やはり、内府様が参戦致しまするか?」
「阿呆か、正純。儂の参戦は、小早川の後だと申しておるだろうが」
「は、はぁ」
「それに黒田も細川も決して弱いわけではない。唐入りを戦ってきた二家じゃ。ただ、それ以上に三成と家臣が強いだけの事」
流言策を成功させてなお、崩れない石田軍に家康は賞賛の言葉を贈る。強敵であればある程、激戦であればある程、家康の天下人としての名声は高まる。そのために家康は敵への賞賛を惜しまない。
「南宮山は動かぬらしい。黒田には、戦功第一をやらねばならぬだろうのぉ」
「御意に」
毛利の返り忠を確信した家康は、さらに軍を前進させた。
******
明石全登の奮戦で持ちこたえていた宇喜多軍だが、小西軍の被害に目を取られている隙に福島軍の突撃を許してしまう。
「我こそは可児才蔵吉長なり!我こそはと思う者はおらぬかぁ!」
右手で回転を加えたその豪槍は、鎧の隙間に次々とねじ込まれる。剛勇を見せつける可児才蔵に続き、士気の上がった福島軍が宇喜多の兵を負傷させていく。
「ふ、福島軍の先陣……一人の兵が、鬼の様な勢いで我が軍の兵の首を……」
「噂に聞く可児才蔵か……おのれ、包囲されかけておる。分断されぬ様、大谷軍と密着するぞ!」
壊滅的な被害を受けた小西軍の後退により、小西へ群がっていた敵軍は一斉に宇喜多勢へ押し寄せた。これを察知した大谷隊が援軍にかけつけるも、午前は藤堂隊を削っていた彼らである。その足には乳酸が溜まっていた。
「くそっ、福島隊の負傷兵をようやっと増やし始めたこの時に!」
「大谷吉継殿、平塚為広殿が奮戦!南側は何とか持ちこたえておられる由」
「よし、落ち着け皆の者!まだいける筈よ……鉄砲隊、弾薬に糸目はつけぬ!ありったけ使って耐えろ!小早川が来るまでは!」
とはいえ、秀家の頭には小早川の裏切りがよぎる。裏切りの備えは何故か緩められた。今一万を超える小早川軍に南から攻撃されたら、大谷隊も自分達も壊滅は免れられない。時間は、正午に差し掛かろうとしていた。
「金吾中納言め、何をしておるのだぁ!」
喚く秀家とは対照的に、吉継は黙々と弓隊に指示を出す。弓と槍隊の波状攻撃が、少しづつ、少しづつ福島隊を後退させていく。
だが、表情には出さないまでも、吉継もいっぱいいっぱいであった。
――まだか、毛利。まだか、秀包!
******
「大谷軍が合流。宇喜多はまだ崩れませぬ」
「うむ。報告、大儀」
松尾山の小早川軍は、まだ方針に迷っていた。南宮山の毛利勢は動きもしないが、西軍に攻撃もしてはいない。いっそ徳川と一緒になって突っ込んでくれれば、秀秋の腹も決まるというものなのだが。
「殿、ご決断を!今大谷・宇喜多を討てば、戦功第一は確実ですぞ!」
「しかし、刑部殿は警戒を解いた。これは、我らを信頼しての事ではないのか?」
「左様な事、蟻を踏みつぶすが如き事!気になさいますな、小早川は内府様の元で生き延びねばならぬのです」
その言葉に、秀秋は胸を締め付けられる心地がした。散々警戒してくれた吉継に、腹立たしい気持ちもあった。だが本戦直前にして、吉継と三成は包囲を緩めてくれた。誠意を見せてくれたのだ。
「しかし、しかし……」
「まぁまぁ御家老。殿に迷いなき決断をしてもらわんがため、もう少し戦況を見守りませぬか?」
「む、親次殿、何を申される!今出て行かねば……」
「先程も申しました様に、大谷と脇坂が挟撃策を取ってきたら?全滅とはいかぬまでも、結構な被害を受けましょうぞ」
「むむ……」
「義父上、某も今少し戦況を見るが良いかと」
「ま、正吉殿が左様に言うならば」
正成は引き下がった。親次と堀田正吉は秀秋に近づくと、膝をついて慰める。
「御苦しい気持ちはわかりまする。どうか、今少し待たれますよう」
「う、うむ……正吉」
「はっ」
「……いや、何でもない。下がれ」
「御意に」
秀秋は、正吉の意見を聞きたかったが、止めた。何の解決にもならない事を学習したからである。当主である、自分が決断する事なのだ。
本当ならば、当主の座についていた男。秀包ならば、どんな決断をするだろうか。そう思いながら、秀秋は判断を保留してきた。追い詰められるまで……動かない。動けない。世の中の、秀吉の造った流れに身を任せてきた。その生き方への悔恨が、また一つ精神的余裕を削り取る。清々しい気持ちは、もはやどこにもなかった。
――誰か、誰か助けよ……石高も、官位もいらぬ。どちらかに清々しく与して、楽になりたい。誰ぞ、光明を、この私に……!
保留、保留、また保留。そのツケが、ついに来る。十九歳の青年は、二者択一の選択を下さなければならない。秀秋は呪った。秀吉の命令とはいえ、軽い気持ちで秀包を追い出し、当主の座に着いてしまった自らを呪った。




