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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第六章 関ヶ原、二人の博徒 ―義将昇天篇―
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第四十九話 強襲、中山道

 東軍の将・細川幽斎。百戦錬磨の武勇持ちである彼が守る田辺城の落城。その報は家康にも届いていた。


「細川の軍勢は一千に届かない程度。落城は覚悟していたが、幽斎ならばのらりくらりと引き延ばせよう。一体何が起こったのだ?」

「何でも、朝廷が仲裁に入ったそうにございまする」

「朝廷?」

「幽斎様は三条西家から※古今伝授《こきんでんじゅ》を受け継いでおるため、戦死を恐れた朝廷が早目に対応したとの事で」


 家康は怒りに煮えたぎっていた。幽斎は風流人としてある前に、武人として細川家のために死すべきだと、武家の観点からすれば満場一致でそうなるはずである。仮に降伏するにしても、自分の役割=田辺城での敵軍の足止めを果たしてから。幽斎もそれを重々承知していたはずであった。

 幽斎は一ヵ月も粘った。これは功績の一つとして考えてもよい長さだが、死する覚悟を持った彼ならば家康と三成の対決……野戦での決選まで大軍を田辺城に釘づけられたに違いない。しかし日本の最上位に存在するち朝廷の前では、幽斎の抗戦の意志などそれこそ紙屑に等しい。


――朝廷め……何という愚かな事を!古今伝授が大事なのは分かるが、それなら武家になど伝えねば良いであろうが!


 と思いいたって、家康はハッとする。本戦を前にして、頭が熱くなりすぎている自分に気づいたのだ。家康はすぐさま、爪を立てて思い切り腹をつねった。痛みを感じる事によって、怒りを相殺し、無理やり頭を落ち着かせる。


――ここで切り替えが出来ない様では、所詮天下人の器ではない。


 それを一番分かっていたが故の行動であった。家康はふぅ、と一息をつくと、ポカンとしている伝令役・本多正純に向き直る。


「終わった事はもう良い。田辺城の敵兵は?」

「約二万、やはり大垣城へ進む由。ただし、まだ開城は完了していないと見えまする」

「二万、か……大垣にいくら兵がいるかは知らんが、中々に厳しい事になったな」


 正純の目から見ても、家康はやたらと落ち着いて、頼もしく見えた。


                  ******


「夜襲だと?」

「おう。夜襲じゃ」


 大垣城、軍議の場。田辺城戦勝の報に沸き立った後、島津義弘が三成に進言していた。


「田辺城ん報せば敵方の耳に入っちょるなら、士気ば低いに違いなか。そこを狙うがよかごわす」

「しかし、田辺城の兵達はまだ大垣城に入っていない。士気の高さに惑わされてはおらぬか、義弘殿」

「こいは治部殿らしくもない、こん義弘を甘くみっとか?」

「いや、そういうわけではないが……」


 獣臭が薫りそうな目の前の戦人。その迫力に、三成は飲まれかけた。


「其方ら島津は局所戦の鍵。ここで失うわけにはいかぬのだ」

「ふむぅ……」

 

 豊臣政権時代、三成は各所の検地を手伝っている。その縁や唐入りの経験もあって、義弘とも知己を得ていた。だが、三成は武人としては義弘に遠く及ばない人材。対して島津は秀吉に降伏し大坂へ上るまで、中央に対する大局眼を持っていなかった家である。この二人の思考は絶対に一致しない。


「備前宰相(宇喜多秀家)殿。如何か?」


 答えに窮した三成は副大将・秀家に話を振る。自分よりも三十以上も若い二十八歳に発言権を奪われ、義弘は密かに舌打ちした。当然、秀家に正答など出せるわけはないのだが、一つの重大な情報を彼は得ていた。


「我が間諜からの報せだが……家康は、清州を出立したらしい」

「清州?江戸ではなく?」


 西軍は真田以外、岐阜以東に連絡可能な味方を抱えていない。つまり家康の行動を全く把握していなかったため、未だ家康は江戸にいると考えている者もいたのである。


「岐阜の落城から日にちが立っている。すぐそこまで迫って来ていてもおかしくはないな」

「田辺城の開城よりも日が早かったら、危うくこちらの士気は激減するところだった……危ない危ない」

「そこで、だ。治部少輔」


 秀家はストン、と扇を床に鳴らした。集まった主要大名が秀家を見やる。


「暗殺、やってみぬか?」

「あ、暗殺!?誰を、でございまするか?」

「無論、家康をよ。赤坂に合流する前に、捨て身の突入をしてみぬか?」

「それはつまり、行軍中の夜襲という事でございますか?」

「暗殺じゃ」


 三十に満たぬ若年にも関わらず、その大胆な策を秀家は提案した。秀家は家臣の離反を招いた宇喜多騒動の際も、重臣・戸川達安を暗殺しようとした上、※長船貞親の暗殺にも絡んでいるのではないかという噂があった。勝利への執念か、それとも父である梟雄・宇喜多直家の血が成せる策なのか。いずれにしろ、家康の首を狙う三成には、魅力的な策に聞こえてしまう。

 

 三成は利家の死に際の予言に従い、大戦に勝った勢いで家康の首を取る勢いだった。考えてみれば、野戦は家康も望むところ。始まれば最後尾で指揮を取るだろう。それは当然、一番早く撤退できる位置取りなわけで、直接対決とはいえ家康本人の首級《しるし》を挙げるのは難しい。

 

――だが、行軍中の今ならば可能なのでは?


「どうだ治部。暗殺せぬか」

「しかし、夜襲ならば寡兵で臨まなければならぬ。赤坂に察知されましょう。だが寡兵では討死の危険が……」

「そいなら、おいが引き受けもんそ。豊久、夜襲じゃ。行くがぁ」

「義弘殿……」


 義弘が名乗りを上げる。島津の全兵力は約二千。そのうちの五百を割いて奇襲を行うというのである。


「待たぬか。島津だけでは難しかろう。宇喜多の隊からも暗殺に参加させてもらう。全登《てるずみ》、行けるな?」

「御意に」

「待て!」


 義弘とその甥の島津豊久、さらに宇喜多家臣・明石全登が兵の準備を始めようとしたところで、三成は待ったを駆ける。この夜襲は賭けである。返り討ちにでもされようものなら、折角上がった士気が駄々さがりとなり、数の有利を活かしきれなくなる。三成は自軍からも局所戦の巧者・渡辺新之丞を参戦させる事にした。

 

「新之丞。出てくれるか」

「無論、そのつもりでございました。島津様がよろしければ」

「おお、秀吉公も欲しがった猛将・渡辺殿がいてくれるなら心強か。よし、この三隊、一千の軍勢で家康を狙いもんそ!」

「御三方、新之丞。ご武運を」

「応。吉報を待っておれ!」


 三成は祈った。家康の首をとりさえすれば……秀頼君は守れる。そう信じてやまないが故の夜襲であった。


                    ******


 一方、大津城は遂に本丸を残すのみとなっていた。宗茂の国崩しで京極軍の士気は完全に挫けたらしく、前線に一旦は出て来ても(ワザと見える位置に移動させた)大砲を見た途端、壁を突き破り人を吹き飛ばす砲弾の恐怖が蘇り、ただただ後退するのみであった。


「あ奴ら、もう兵士としては使い物にならぬだろうなぁ。悪い事をした」


 本丸を見上げる宗茂は、悪事を反省した子供の様に呟いた。逆にいえば、そこに考えが及ぶほど余裕があるのである。威嚇を止めて本格的に攻城戦を始めてからは、まさに圧勝であった。


「開城がなったら宗(義智)殿を大津城に入れて、我らは大垣へ引き返すぞ」

「秀包、治部少輔殿から連絡は?」

「宗茂にも兄上にも来ていないのなら、某に来るはずがあるまい」


 つまり、今現在は大垣・赤坂両方に動きがないという事であった。しかし、両者の距離は近い。一刻も早い帰還を望んでいるに違いなかった。と、その時である。


「殿、宗茂様!御注進でございます!」

「お?」

 

 宗茂に一通の文が届けられた。秀包と元康も一緒になって覗き込むと、二人の顔は見る見る内に青ざめた。書状の内容は、小早川秀秋の東軍の内通が確実である事、及び寝返る可能性が極めて高い、という報せであった。それも、『信用できる人物』からの書状である。


「まさか……金吾様が!?正吉(堀田、元は小早川隆景家臣)め、何をやっておるのだ!」

「確かに、金吾様の家臣には東軍と縁のある者が多いらしいが……あの純な金吾様が裏切りをするだろうか?」


 元康と秀包が唸る中、宗茂は一人落ち着いている。


「ばってん、未だ十九歳の若者に過ぎぬ。ここぞの判断を家老に委ねる事、至極妥当ではあるなぁ」

「馬鹿め宗茂!悠長な事を言っている場合か。一刻も早く大津城を開城させねば」


 熊の様な体をしながら、緊急時にも悠然と構えている宗茂の態度は将たる者として見習うべき姿であるが、この時ばかりは秀包をイラつかせた。廃嫡されたとはいえ、義兄と慕われている秀包は焦った。秀秋に畳の上でのそんな甲斐性……もとい度胸があるとは思ってもみなかったからである。


「されど秀包、高次は強情だぞ?」

「兄上の権限で、最大限まで譲歩すれば良いのです!我らも秀吉公にやられたではありませぬか」

「備中高松城……我らは見ておらぬが、そうであったな」

「くそっ、時間が無い!」


 焦る秀包を見ていられなくなった宗茂は、やれやれと言った表情で、


「仕方ないのう……もう一度、使うか」


 そう言うと、部下に命じ、国崩しに砲弾を込めはじめた。高次の意志が折れたのは、12日の事であった。


                    ******


 こちらも9月12日、夜も更けた所で家康は駐屯予定の寺を目指していた。岐阜城と大垣の間、中山道沿いにある寺を目指し、僅かながら明かりを生み出しつつ進む。最終的には翌朝の赤坂到着を目指していた。


「恐らく朝には赤坂に着きまするな」

「ああ、忠勝や直政の顔が懐かしいわ。高虎殿にも礼を言わねばな、苦労をかけた」


 赤坂は目と鼻の先、さらに三万の兵に囲まれているという慢心。夜襲に備えて船越景直に警護をさせているが、些か手薄であった。

 それはまさに、義弘と三成の狙いそのままの姿であった。


「ん、何だ騒がしい……おい、何があったか、聞いて参れ」

「お、大殿!奇襲、奇襲でござりまする!大垣城の方向から、数は……わかりませぬ!」

「何ぃ!?火を消せ、火を!」


 家康は手慣れた様子で、慌てふためく小姓達を尻目に火を消していく。 


「景直、お主の出番じゃ!食い止めよ!」

「お任せを!」


 三万の軍勢を引き連れていても、奇襲とあっては急には動けない。忽ち徳川軍は混乱したが、先に備えていた船越景直と、奇襲慣れしている家康本人は慌てなかった。家康は人垣の中に隠れ、安全を確保する。


「き、来たぁぁ!?」

「徳川の雑兵共!おい達の相手ばしちくいなせぇ!」

「あれは……し、島津だぁぁ!!」

 

 先頭を行くのは島津義弘、豊久の三百名、島津隊である。その独特の鹿児島弁から、直ぐに名が割れた。


「出合え、出合えい!」


 景直の親衛隊三百が迎え撃つ。が、隊列が整う前に豊久による島津騎馬隊のブチかましを喰らうと、後から迫る義弘隊の槍衾《やりぶすま》の餌食となって行く。流石に一族同士、阿吽の呼吸である。その様子を見て、装備を整えた隊が次々に島津へ集まって行く。


――今ぞ。行け、明石隊、渡辺隊!


 ワザとらしい方言によって割れた『島津』の名が、兵士達を引き寄せる。その隙に全登と新之丞は家康の首を狙う。即ち、人垣が一番厚い部分……。


「あそこにござる、新之丞殿!」

「石田治部少輔が家臣・渡辺新之丞、参る!」


 二万石の価値を持つ五百石の猛将、渡辺新之丞が家康目がけて突撃する。しかし流石に三河武士、槍衾に圧されながらも人垣を崩さない。それは逆を言えば、奥に家康が控えている証明でもあった。俄然、新之丞の槍に熱がこもる。とその時、


「内府様は、やらせるかぁ!!」


 槍隊の横っ腹を五十前後の小隊が突き崩す。新之丞も肩に槍の切先を掠め、顔をしかめる。その隙をつかれ、渡辺隊は長槍に突かれグイグイと押し返されていく。


「何奴!?」

「本多忠勝が次男、本多二郎忠朝じゃあ!父譲りの我が豪槍を受けられい!」

「本多の次男!?面白い、来いやぁ!」


 いち早く体勢を整えた小松の弟・忠朝が必死の槍働きで新之丞を食い止める。新之丞が忠朝の足を払おうとすると、柄で受け止める。間を置かず始まる切先のぶつけ合いにも一歩も引かなかった。秀吉も認めた新之丞と伍する働きが出来ているのは、幼少時に小松と毎日続けた稽古のお蔭かもしれない。


「ぐむッ、姉上に比べれば、このくらいは!」

「……よし、もう良い。石田隊、退くぞ」


 忠朝の奮戦が功を奏し、新之丞が退いて行く。


――やった!?某の槍が、大殿を守った!あとは手柄、敵将の首を!


 忠朝の突出につられ、徳川兵が新之丞を追っていく。そして人垣に隙間が出来た……その瞬間であった。


「今だ!明石隊、突撃!家康の首をとれぇぇ!」


 斜め前方、暗闇に紛れて控えていた明石全登隊、約三百名がその隙間目がけて突進していく。これに対し、徳川方は大多数が島津の名声につられて前方へ集まってしまっている。


「不味い!?その小隊を誰か止めよ!」


 本多正純が叫ぶも、混乱した一分の兵の喚きで掻き消される。間に合った少数の兵も加速度のついた切先に切り裂かれ、遂に全登隊が家康の手の届く距離まで近づいた、と思われた時。


「かかれぇぇぇ!」


 逆方向の暗闇から、更なる軍勢が現れた。その声に徳川の兵は更に混乱し、逃げ惑う者と家康を体を張って守る者、二種類の人種に分かれた。が、彼らよりも焦ったのは全登である。


――知らぬ、知らぬぞあの軍……誰だ!?


 薄目を開けて目を凝らし、旗印を確認すると……見覚えがあるものであった。と言うより、有名すぎて分からない者がいない旗であった。


「み、三つ鱗、北条軍だと!?」

「内府様!北条氏規が子、氏盛参上!お怪我はございませぬか!」

「氏盛殿か、すまぬ!」


 まさかの援軍の出現で、逆に全登が挟み打たれる形になってしまった。間一髪の所で間に合った北条軍五百は、家康を庇う様に全登の軍と正対した。


「奇襲部隊はこれで全軍らしいな。北条軍、奴らを追い返せぇ!」

「くっ、退却!退却じゃあ!」


 寡兵のため、準備万端の隊がいては奇襲は成功しない。そこをわきまえていた全登は家康の首をとる事は難しいと断じ、踵を返して退却していった。


――ブオォ、ブォォオ!


 法螺貝を吹くと、呼応して島津・渡辺隊も退却を始めた。家康の安全を固めるため、諸将は追撃できない。そこまで折り込み済みの奇襲だったため、退却はあっさり成功した。景直は負傷、他百名余りが島津の攻撃によって死傷。更に明石、渡辺隊の攻撃で五十名余りの死傷者を出した。


 それでも、家康は無傷であった。新之丞を追い返した忠朝が家康へ近寄る。


「大殿!お怪我はございませぬか」

「おお、忠朝。お主もよくやってくれた」


 家康は冷や汗を掻いたが、家臣の働きもあり結局は奇襲を退けられた。忠朝に労いの言葉をかけつつ、功労者である北条氏盛に近寄り、手をとった。


「此度の援軍、誠にかたじけない。氏規殿は我が友、その嫡子に斯様に助けられるとは」

「勿体なきお言葉。されど本当の功労者は、この者にございます」

「む、誰じゃ其方は?」


 氏盛の後ろから、杖を突きながら……老齢と思われる白髪塗れの男が姿を現した。だがその名を聞いた次の瞬間、その場の誰もが驚き慄いた。


「某は元北条氏康が軍師……今は真田伊豆守が家臣、多目周防守元忠。内府様にお目通りが叶い、恐悦至極にございまする」




※古今伝授……古今和歌集の解釈を、弟子に伝え渡す事(一子相伝)。三条西家の跡継ぎが幼く解釈が理解できないと思われたためか、風流人として著名な細川幽斎に伝授された後、三条西家へ伝え直す事になっていた。

※長船貞親の暗殺……宇喜多直家以来の家臣だが、1591年に暗殺される。首謀者は秀家ではなく同家臣・石原新太郎と伝わる。

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