第四十一話 犬伏、一度目の決断
「信濃国、甲斐国。三成について中山道を守り切れば、真田家は躍進できる」
「父上は夢を見過ぎにござる!躍進できるというのは、中央の戦いを三成が制した場合にございまする。父上は三成が、あの内府殿に勝てるとお思いか?」
「三成だけではない。毛利も宇喜多もいる。家康も上杉への備えで兵力は分散しているはず」
「三成がいる限り、襲撃に参加した七将は徳川方。いずれも豊臣恩顧なれば、兵力が集まり切るかどうかは賭けにござる」
「三成は大坂に人質を得ておる!集まるわい」
「ならば士気は?人質を使って人数を合わせたとて、烏合の衆ではござらぬか。徳川方に決まっておりまする!」
「そんなもの、どちらでも同じこと!儂は三成と合婿、信繁は大谷刑部の娘婿。三成に与するしかあるまい!」
「ならば小松は!俺の小松はどうするのです!」
犬伏の庵。三成と家康。どちらに与するかの議論はやはり、真っ二つに分かれた。二人は視線をぶつけ合い、怒鳴り合う。信繁は横槍を入れる隙を伺っていたが、一秒の間も許さない二人の会話には割って入る隙が無い。
「三成は負ける!」
「儂が勝たせると言っている!中山道を家康が来てくれれば、こちらの物じゃ!」
「世迷言を!内府殿は安全な東海道から進むに決まっておりましょう!」
「ならば二代目を討ち取ってくれるわ!息子の首でも送ってやれば、内府も動揺して戦どころではあるまい」
「何という事を!気でも違ったか、父上!」
「やかましい!ともかく、儂は治部に与する!絶対に譲らんぞ」
「某も内府殿に御味方致す!例え父上を敵に回しても、絶対に譲らぬ!」
ここで遂に二人は息を切らし、信繁の入る隙が生まれた。
「兄上。三成殿は大坂城を……秀頼様を手中に収めておりまする。ならば一番の大義名分……豊家の為に立っておられるのは、三成殿なのではないでしょうか」
「ほう?珍しく言うではないか、信繁」
「某は、秀頼様のために戦いまする」
「違うであろう。真田の為に戦うと、幼少の頃の誓いを忘れたか!」
「秀頼様に……いえ、太閤秀吉様に付くのが、真田の為にござる!」
「阿呆が!お前も父上も、大局が見えておらんのだ!国外にまで敵を作り国内の情勢まで崩壊させた男と、その愚かしい企てに一兵たりとも加担せなんだ男。どちらに付くのが上策か、『猿でも』分かるわ!」
「兄上……内府は、真田など犬猫の様に捨てまするぞ!」
「適当な事を!信濃の鍵が真田である事、誰よりも理解しておるのは内府殿ぞ!」
「もうよい、二人とも」
昌幸は溜め息をついて、片手で二人の言い争いを制した。その眼は、骨肉の拘りを捨てた事を意味していた。
「源三郎、お前は手勢を率いて家康の所へ行くがよい。儂と源次郎は、上田へ戻る」
「な、何ですと!?袂を分かつと仰せか」
「そうするしかあるまいが。儂もお主も、一族衆は一人でも多く欲しかろうが、仕方ない。大坂の人質も殺さず、お主の妻の面目も立つ……唯一の方法だとは思わんか?」
「……あ」
信幸はしばらく考えて、昌幸の言こそが正答であると気づいた。論理的に考えて、全ての方面に良い顔が出来る最良策なのである。信幸は久しぶりに、尊敬の眼差しで昌幸を見た。それにこの方針には、もう一つの意味もある。
だが、食い下がるのはやはり信繁であった。
「そんな、兄上と戦う事になるなど!絶対になりませぬ!」
昌幸と信幸は、半ばあきれ顔で信繁を見た。二人の言っている事の意味が、ただ一人分かっていないという状況すら、信繁は気づいていなかった。
「嫌でござります!兄上は我らと共に、上田城に帰らなければ」
「弁丸!」
幼名を叫びながら、信幸と昌幸は、同時に扇子を投げつける。怯んだ信繁は、困惑の眼差しで二人を交互に見た。真田は一丸となってこそ真田……真田が分裂しては、ただでさえ寡兵なのに更に弱くなるはず……。この信繁の考えを、二人は一蹴したのである。
「勝った方が、真田を継げばよい。この決断をした時点で、真田の存続は確定しているのだ。俺も父上もお前も、思い切り戦ってよいのだ」
「兄上ぇ……」
「父上、某はもう参りまする」
「そうだな。決めた以上、時間が惜しかろう」
「そんな!兄上のいない真田など」
「勘違いするな。俺も真田だ」
「うぅ……」
「さらばだ、源次郎。運が良ければ、また会おうぞ」
意外にも、信幸はあっさり去って行った。その何の感慨もない別れ際に、昌幸はさばさばとしていた。信繁はその場に蹲って涙を流していたのだが、昌幸は彼の首根っこを掴むと上体を起き上がらせた。
「父上……」
「ぼさっとするな、阿呆。話した通りの展開であろうが。さっさと沼田城を貰いに行くぞ」
別れた瞬間から、もう息子では無い。昌幸は、三成挙兵からここまでの流れを、全て読み切っていたのである。残ったのは籠城の準備を完璧に整えた上田城と、城主不在の沼田城。信繁、昌幸と信幸。骨肉の争いが始まった。
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「才蔵、出発だ」
「え、昌幸様は」
「手切れだ」
「はぁ!?」
「妻へ手紙を書いた。配下に預け、沼田まで迅速に届けよ」
「か、畏まってござる……」
才蔵が驚いたのは、信幸が微塵の迷いも見せない事であった。親兄弟と敵味方に分かれるという事が、どういう事なのか……才蔵にもその辛さは想像できたのだが、信幸はそれを表情に出さず、淡々と先を見たの行動を実行している。
――大した主君だ。本当に……。
数日後、小山に着いた信幸は、義父・本多忠勝を伴って家康に謁見した。
「誠に申し訳ございませぬ。父・安房守昌幸と弟・左衛門佐信繁は、治部少輔に与する結果とあいなりました」
「……」
家康は、目に見えて疲れていた。当然である。今ようやく、小山評定において豊家恩顧の大名を味方に引き込んだところなのである。その情報も先に得ていた信幸にとっては、はっきり言って昌幸と信繁が敵方につこうと、家康にはどうでもよい事だと思っていた。
しかし、信幸の得ていない情報が一つあったのである。
「鳥居元忠」
「は?」
「覚えているか、鳥居元忠を」
「はっ……上田合戦で、私は鳥居殿に散々、苦しめられましてございます……が、鳥居殿が何か」
家康と忠勝は深く溜息をつくと、信幸を鋭く睨み付けた。通過儀礼の挨拶と思っていた信幸の背筋に、緊張が走る。彼が感じたそれは、詰問の雰囲気であった。
――何かあったのか?
「三成は伏見を攻め始めたそうだ。元忠の籠城する伏見城をな」
「……」
「まぁ、美濃で決戦をするとして、後顧の憂いは断っておくべきだと。そう考えたのだろうなぁ」
「……それは、誠に残念にございまする」
「ふむ。この意味が分かっておるようだな、伊豆守」
「鳥居殿は……まず、助かる見込み無し。援軍のあての無き籠城はただ、死するのみ」
武田滅亡をその目で見て来た信幸には、すぐにその回答を口から滑らせる事が出来た。家康は今、信幸を責めている。その元忠を殺した者に、彼の親族は味方しているのだから、当然と言えば当然であった。
「そうだ。分かるか?儂が今、どれだけ業腹かを」
「……」
「そんな三成に、お主の父と弟は加担するか……何故、止めなんだか。弁解して見せよ」
「ひと……」
人質がいるから、という言葉を、信幸はギリギリの所で引っ込めた。そんなものは、小山に集ったどの大名も同じことである。そんな事を口にしたら、今ここにいる信幸は即座に内股膏薬である。最悪この場で斬られかねない。
「三成は父に、甲斐・信濃から領地を与える旨を示して参りました。その利に眩んだものと。某は内府様の豊家への忠節をもって説きましたが、及ばなかった次第」
「お主は、眩まなんだか?」
「三成には大局眼がござらぬ故。内府様はそれをお持ちにございます」
「……」
家康は悩んだ。この信幸を、美濃・あるいは岐阜へ連れて行くべきか。それとも上田への案内役に任ずるべきか……。どちらにしても、裏切りの危険が伴う。ここで見極める必要があった。
「はっきりと申す。娘婿とはいえ、お主への信、ここに至って非常に薄い」
「仕方の無きことと存じまする」
「だが、儂は平八を、小松を信頼しておる。故に、お主に上田への案内を申し付ける」
「上田、でございまするか」
「父と弟、どちらか一方でも討ち取れば加増してやろう。どうだ?」
ここで間を置いていたら、更に信頼は薄まるところであった。しかし信幸は間違えない。間髪入れずに頭を下げた。その態度に、忠勝はホッと胸を撫で下ろす。
「御意。某は秀忠様と共に、上田へ向かいまする」
「よし。下がって良い。速やかに準備に取り掛かれ」
「はっ!」
信幸と忠勝は家康の陣から身を引いた。と同時に、信幸の体から滝の様な汗が流れだす。
「大丈夫か、婿殿」
「……生きた心地がしませなんだ、義父上」
「元忠殿は、最古参の重臣……殿の友と言ってよい存在。あの態度もしゃあねぇ、俺だって兄と慕った男だ」
「申し訳ござらぬ。真田総力を挙げて加担できず……」
「いや、むしろ」
忠勝は信幸の手をガッシリと握り、力を込めた。驚異的な握力から来る痛みに、信幸は顔をしかめる。
「よくぞ、よくぞ小松を捨てずにいてくれた。かたじけない……小松は、本当に良い男を選んだのぉ!」
「痛うござる、義父上……!」
「おっと、すまん」
放された手をブラブラと振って痺れを分散させる。ふと、小松が出発直前に言っていた事を思い出す。
『二者択一となったら、迷わず私をお切り下さい』
結局、信幸は小松を捨てられなかった。だが、それでいいのだ。小松が自分を徳川方に……恐らく正答に結び付けてくれた。信幸はそう考える事にした。
しかし、小松の言っていた二者択一とは、この時の事ではなかったのである……。
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「ダンナから文だと?」
「はっ、配下の忍に預けて参った様で」
「ふむ……見せてみよ」
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妻・小松の方へ
息災であろうか。息災ならば嬉しい。先程、治部少輔三成が大坂で挙兵したとの報せが入った。度重なる話し合いの結果、父・昌幸及び弟・信繁が治部に味方する事とあい成った。心苦しい事この上ないが、自分は徳川方に味方する故、心配無用。
ここからが本題である。父と弟は、恐らく沼田に立ち寄り、どさくさに紛れて城を接収しようとするだろう。これは父の奸計である。絶対に城内に入れてはならぬ。入りさえしなければ、攻城用具すら持って来ておらぬはずだから、好きな様に料理せよ。この世で最も信頼している、小松に任せる。
父と弟が去りし後、城内に上田・沼田城下の住民をより多く引き入れ、万が一の時の人質とすべし。『武運を祈る』
真田源三郎信幸より
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文章の中盤に差し掛かったあたりから、小松の手紙を持つ手は震えていた。
「お、奥方様……如何なさいました?」
「阿呆、む、武者震いだ……」
「はぁ?」
「戦支度をせよ!この私の……生涯最初で最後の戦ぞ!」
小松は真田家に嫁いだ事、信幸の妻となった事を三度、心底から喜んだ。戦場を駆ける事を夢見た乙女の、初陣がすぐそこに迫っていた。
――ダンナ、必ずや吉報を差し上げまする!
「鉄砲を持て!城門と裏手の守備を固めよ!」
この瞬間、沼田城は小松の守る城となった。




