第三十九話 光を求める男達
「長束正家殿、増田長盛殿、前田玄以殿。権中納言・宇喜多秀家様」
一通一通、丁寧に封をしながら、次々に書を作り出して行く。この黙々と作業をしている時の三成の集中力は、戦場における武将……もしくはそれ以上のものであった。
「そして権中納言・毛利輝元様」
最後の一通。書き終えた手紙を床に置く。兼続と練った策、三奉行と景勝を含む三大老を取り込む策の、下準備が整った。これが成功すれば、現在の政は大老・奉行衆の総意で方向性が決まるため、誓書に反する家康の行為から揚げ足を取り……名目上、逆賊とする事が可能となる。
つまり大戦を起こす大義名分を、三成は得ようとしている。だが……今一歩、踏み出すべきか否か。その判断に困っていた。発起を促したのは親友・兼続。そしてその発起を留まらせる様諌めたのが親友・信幸である。
――どちらの言に従うべきか……。
本能に従うなら迷う事は無い、発起である。だが、信幸の(才蔵に預けた)言葉が気にかかる。
『其方が勝頼公となる様、我の目に入れる事、御免こうむりたく候』
説得力があった。滅亡の惨めさ、恐ろしさ。それを身をもって体験しているのは数ある自分の友人達の中で、信幸ただ一人だけなのである。だから、兼続の言が全てが希望的観測に過ぎないのではないかと。酷く夢見がちな意見に思えてしまう……。
だが。それが良いのではないか。主君を守る騎士など、夢見がちで十分なのではないか。その意志を汲んで友が、信幸が……背中さえ押してくれれば……。
――ゴトッ。
「誰だ!?」
またしても哨戒を抜けて来た新たな忍が、三成の眼前に現れた。兼続の従者でも、信幸の忍でもない。見た事の無い者であった……と、思われたが。
「其の方……佐助か?」
「御意にござる。お久しぶりでございます、治部少輔様」
やって来たのは、信繁の忍……佐助であった。信繁は大坂での人質時代、父が自らに付けた忍である佐助を三成に紹介した事があった。限りなく軽率な行動ではあるが、それによって信繁は三成の信頼を勝ち得ようとし、成功したのである。
「何用だ。哨戒を潜り抜けてまで」
「我が主より言伝がございます」
「信繁からか?あ奴も軽率な……」
「否。安房守……昌幸様にございます」
「合婿殿から!?」
真田家において、三成と最も近い親類が昌幸である(二人の妻が姉妹)。だが、その割に両者の親密度は深くはなかった。言うまでもなく、三成の付けた例の仇名が原因だった。
だが三成は昌幸の言に……ある種、魔力の様な物を感じることがあった。それは主・秀吉にも匹敵するほどの人たらしの才かもしれないと、そう感じ入った事もある。忍城でもそうである。自分が手も足も出なかった相手に対し、昌幸は自分に任せろと言うと、陥落寸前まで追い詰めた。家臣であったなら、あの頼もしい男について行くだけでどれだけの安心感を得られるだろうか……。
その昌幸公が、迷い路にいる自分に言伝があると言う。『表裏比興の者』とはいえ、期待せずにはいられなかった。
「『真田家の総意』として、聴いて頂きたい」
「総意?」
「然り。昌幸・信幸・信繁公、この御三方の総意にござる」
忍として鍛えられたはずの草の者・佐助から、僅かに汗が滴った。三成は『総意』という言葉に身を引き締められた。信幸は、三成が戦を起こした際の身の振り方を昌幸に話し、家族会議の形で決めたのだろう。そう推測する事が出来た。
「宜しいか」
「頼む」
佐助は咳払いをすると、先日才蔵がそうした様に、昌幸の威圧感を再現した上で言伝を告げ始めた。
「治部少輔殿。先日の御騒動による蟄居の件、力及ばず誠に申し訳なく。内府の専横、謀略は目に余る次第にて、嫡男・信幸正室の実家といえども、指を咥えて見ている事は口惜しき事この上なし。流石の倅も、この事には腹を立てており申した。真田家は石田殿の再びの立身の際には、是非とも力になりたく……躊躇わず、信ずる道を行かれるべし」
聴き終えた三成の体の中で、暖かい感触が広がって行った。
「以上でござる」
「そ、それが真田の総意か!?」
「御意」
「お、おおぉぉお!!」
三成が吠えだしたので、佐助は一歩退いてしまうほどに驚いた。今の言が三成にとってどれほど重要かという事を、佐助はこの瞬間に知ったのである。三成は嬉々として佐助に告げる。
「昌幸殿……には、一つ頼みたき事がある。上田城……中山道での事じゃ」
「し、しかと、主にお伝えいたし申す。で、では某は……」
佐助は逃げるように帰っていった。直後、三成は左近の名を呼んだのであった。
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上田城の昌幸は、自慢の鷹を腕に乗せながら、悠々と佐助の報を聴いていた。
「治部少輔は、嬉々としておったとな?」
「はっ。『総意』である事を仕切りにお確かめに……」
「やはりな。信幸め、先に動いておったか」
「へっ?」
佐助は理解していない様子であった。昌幸は一人、天守で高笑う。
「クク……フハハハハ!」
「お、大殿……」
「信繁を呼べい、練兵の打ち合わせじゃ!良いか、この動きを信幸に気取られてはならぬぞ。奴の忍をこの上田に近づけるな」
佐助の背筋が蠢いた。この雰囲気の昌幸を見るのは……戦の時だけなのである。佐助は信繁を呼びに行ったが、何と信繁は既に練兵を開始しているではないか。
しかも、列がまるで線の様に滑らかに見える。信繁の練兵は明らかに軍全体の精度の底上げに成功している。
「わ、若殿!なりませぬ」
「何故だ?変な事を申すな、お前も兄上も。戦になるのであろう」
佐助は思った。思わざるを得なかった。例え徳川が何万で挑もうと……この上田城だけは、落とせはしないと。
「……なんでもありませぬ」
「左様か。では、練兵が忙しい故」
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上杉の軍備増強が大っぴらになったのは、その一月後の事であった。三成の排斥に協力してくれた事が、大坂にいる家康の中で勝手な上杉像を作り上げていた。油断があったのである。
「動員力……四万だと!?」
「さ、左様にて……」
報せを聞いた家康は顔を覆った。北条家亡き今、単独で四万を動員できる大名家が存在するとは考えていなかった。百二十万石の上杉家が、である。一体どうやって兵糧を確保したというのか。
「しかし殿」
脇に控えていた忠勝が助言の為立ち上がる。
「これは上杉の総力ですぜ。相手方に攻め込む不利があるとはいえ、これは大戦だ。天王山、賤ヶ岳の様に、天下の行く末はこの戦で決まり申す。殿の望んだとおりの流れじゃあねぇですか?」
「……その様だな、平八」
忠勝を見て、家康は落ち着きを取り戻した様子だった。そう、これは自分が誘った大戦でもある。ただ相手が三成から景勝に変わっただけの事。動員力も、徳川家単独で勝れる相手……やる事は同様である。
「あとは、開戦のきっかけだが、このままでは豊臣家臣同士の内紛。殿には何か官軍になる策が?」
「朝廷のお許しを得た後なら、秀頼君の名代として出陣できよう。まぁ、こんな感情的な文を送ってきているのだから、なぁ……儂にはとても、自分が賊軍とは思えぬわ」
家康が右手で弄んでいるのは、兼続が家康へ送った驚愕の文……『直江状』である。家康は来る大戦の為に、※秀吉と交した約束を破り、豊家恩顧の大名と婚姻を結んでいたのだが、それらを始め家康を散々に責めたてる文章の羅列である。
「ガッハハハ!日和見主義の上杉にしては、随分思い切った事を書きましたなぁ」
「何とも嫌味ったらしい奴よ。この様な下品な文は未だかつて見た事が無い。大戦の相手とするに相応しいやら、相応しくないやら」
そして家康は秀頼から金銀と兵糧を賜り、名代として出陣する準備を完了する。その後、全国の大名に召集をかけるに至ったのである。
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最早手足の神経は、痺れから逃れられなかった。その皮膚は丘疹で溢れかえり、白い布で隠した顔は二度と人に見せぬと誓った。そして病と病は混じり合い、男の寿命を確実に削っていった。この不幸な男の名は、大谷刑部少輔吉継。娘婿・信繁や三成と酒を飲みかわした日々に想いを馳せながら、このまま朽ち果てる運命かに思われた。
――痺れと熱で頭が……割れそうだ。病に侵され明日をも知れぬ、そんな私の死に場所。畳で苦しみながら死ぬ、その前に……散る戦。間に合って、良かった……。
敦賀の大谷吉継にも召集令状が届いていた。吉継は歓喜し、家康に、そして景勝に心の中で感謝した。もう官僚としての仕事すらまともにこなせず、病床に伏せっ切りの彼の余命はもはや幾ばくも無かった。そんな彼に降ってわいた、最後の大舞台、上杉征伐。
吉継は三成の嫡男・重家に出陣を施す為、佐和山にやって来ていた。重い表情を見せる三成を安心させるため、上杉征伐の意義を吉継は説いた。
「謹慎中のそなたは出陣叶わぬが……安心せよ。主に私の役割は兵站、輜重隊の指揮であろう。重家もそれに同道させる故、そうそう死ぬことは無い」
「……」
「だからそう、重苦しい顔をするな」
「吉継殿」
三成は突然土下座の姿勢をとった。神経が痺れている吉継は、何が起こったかを知覚するのに数秒を要した。
「……何の真似だ?」
「頼みが有り申す。俺は秀頼君を守るため、一世一代の賭けに移る」
聴覚と考える頭は生きている。三成が何を言っているのかを理解するのに、そう時間はかからなかった。
「直江か」
「然り。俺は兼続と、伊豆守に背中を押された。だがもう一人、どうしても吉継殿の協力が必要なのでござる」
「断る」
「……」
三成は頭を上げないまま続ける。只管に吉継に、自ら準備した状況を説き続ける。
「今なら、東海・江戸の徳川を挟撃できる」
「無駄だ。挟撃が物を言う規模では無い」
「毛利家に出陣を要請した。数では互角か、こちらが勝ってござる」
「手練手管が違う。戦巧者の福島、黒田を取り込まれれば負ける」
「長束・増田・前田玄以の三奉行を取り込んだ。政治中枢のうち前田家を除く三大老、浅野様を除く四奉行がこちらの手中にござる。五大老制の多数決で家康は戦後、逆賊にできまする!」
「それは勝てばの話だろう。戦の最中、誰もそんな事を気にはせぬ。士気に影響はあるまい」
「……」
吉継は全ての利点に反論が可能だった。こうなっては、三成は情に訴えるしかない。だが、いくら頭を下げ続けても吉継は冷たかった。
「重家を出陣させるまで、俺はここを動かんからな。例え何日、何週かかろうともだ」
「吉継殿……」
「『利が無い限り』私は絶対に加担せぬ。よいな?」
******
「くそっ、クソッ、糞っ!」
三成は下品な音を立てながら湯漬けを食べていた。その様子を見ていた左近は三成が焦っている姿を、痛いくらい分かり易く見せる事に苛立った。
「殿。落ち着かれませ」
「これが落ち着かずにいられるか!兼続と信幸は決起を促してくれたと言うに、刑部殿は何だ!友情も何もあった物では無い!」
三成は槍働きも出来る文武両道の将であるが、戦術眼に欠ける。全国の諸将と比べて、経験が圧倒的に足りないのだ。個人の槍は勇さえあれば如何様にも活きるが、指揮官の仕事となると全くの別物。左近にしても小競り合いは得意だが、今三成が起こそうとしている万単位の合戦は経験が無い。太閤秀吉に『百万の軍を指揮させてみたい』と言わしめた吉継の戦略眼が必要不可欠なのである。
「左近。利とはさほどに大事な物か?忠節を上回るものなのか?お前の考えを聞かせよ」
「愚問にございます。利なくば人は動かない。私も新之丞の様に五百石で殿に仕えよと言われたら、絶対に御免被る。そう考えると、新之丞は本当に大した男だ」
「それ、誠か……?お前は案外に乾いた男なのだな」
三成は左近の言で、これからの調略に増々の不安を覚えた。人は自信が無くなると何も出来なくなる生き物である。見かねた左近は励ましと助言を贈る事にした。
「私は殿が戦略に欠けている、つまり自分の活躍の場が確実に現れる事を確信して仕え申した」
「それは知っておる。それを見抜いて仕官を頼んだのだ」
「なら、刑部少輔様が欲しい物を再び殿が見抜かれれば、その時こそ決起してくれましょう」
「欲しい物……」
「それが『利』でございます。この決起で例え全てを失っても、刑部様に与えられる物が、一つだけございます事。聡明な殿ならば気づける筈でございます」
三成は数分、唸っていたが、
「……あ」
と呟くと、吉継の待つ別室へ走って行った。老齢の左近はその様子を微笑ましく見送った。
――まったく、世話の焼けるガキだ。
「吉継殿!」
息を切らして三成が入ってきたため、震える手で茶を啜っていた吉継は、驚いて茶を零してしまった。
「何をする、勿体ない!」
「是非、某の決起に賛同して頂きたく!」
「何度も言わせるな、利なくば私は動かん!」
三成は平服から遂に顔を上げると、飛び出しそうな眼球を吉継に向け、唱えた。
「豊家のために、某と共に、その命を散らせ下さいませ!」
「……」
吉継の表情が和らいだ。悲壮感は、十分伝わった。だが、まだ一族郎党の命を賭けるには値しない。
「利は、何か見つかったか?」
「はい」
「申してみよ。どんな報酬をくれるのだ」
「光」
「何?」
三成は吉継の布を強引にめくると、その悍ましく変形した醜顔を直視した。
「おいっ、止さぬか!」
三成は眉間に皺を寄せながら吉継の眼を見ている。吉継は困った。表情を隠す布が無いから。つまり自分が今、何を考えているかが見抜かれてしまうからである。
「病に陥った刑部少輔・吉継殿に捧げるは……後世まで残る、光り輝く武名にござりまする」
「……」
吉継は天を見上げ、フーッ、とどちらとも言えない息を吐く。
――どうだ!?
決着を予感し、三成の脈が速くなる。吉継はその妖怪の様な顔を歪ませた。
そして、数秒の間を置いた後。よろけながら三成に近づいて肩を抱いた。
「最初からそう言えば良いのだ、阿呆」
※秀吉の遺命……秀吉は外様大名の結束・譜代大名の裏切りを避けるため死の間際、大名同士の許可の無き婚姻を禁じた。通達文書には家康を始めとする五大老の名が連ねられている。




