第二十九話 太陽の槍
「真田家より迎えの騎馬が着き申した。出立でございます」
「おう、門火を点けろや。最後に引き出物を確認しておけ。小松、輿に乗るぞ」
「はい」
1590年某日。小松が大多喜を出発する日がやって来た。信幸との祝言のため、沼田に向かうためである。もう大多喜の町民達に会う事も無くなるのである。
「姉上。皆が来ておりまする」
「ああ、分かっている」
「一声お掛けになっては?」
「二郎、察せ」
「……申し訳ございませぬ」
大多喜は元は北条家の領地である。にも関わらず、謂わば侵略者とも言える本多家に対し町民は本当によくしてくれた。特に小松に対しては皆が声を掛け敬ってくれていた。
この土地を離れるのは辛かった。小松は町民達の目を見ない様に用意された輿に乗ると、別れを惜しむ声が響いてきた。
「姫様、お達者で!」「お体にお気をつけて!」「子供を助けて下さったご恩は忘れませぬ!」「こまつさま、さようならー!」
染みるものなのであると、小松は正に実感していた。輿の中は誰一人として見ることは叶わない。小松は大多喜を出るまでの半刻、みっともない姿を見せまいと、ずっと声を押し殺していた。
――楽しかったぞ。皆、達者でな。
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沼田に到着した小松が輿から出ると、礼装の信幸が出迎える。
「こちらだ」
祝言の間に案内する。ここから先は二人だけで進まなければならない。小松は、自分より若干背丈のある信幸の顔を見上げた。表情が強張っている。
緊張しているのか。それともこれも信幸にとっては『戦場』なのか。
「着座は女性が先にござる」
「そ、そのぐらい存じておりまする」
――もしかしたら、死ぬまでこの表情は緩まぬのではないのか……。
三々九度を済ませた後も変わらぬその顔に、小松は一抹の不安を覚えた。
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「まぁ、よくお似合いですこと」
祝言は三日目を迎えた。色直しを終えた小松の煌びやかな容姿は、女性ならば誰もが羨むほど絵になる姿……まさしく彼女の大多喜での異名『かぐや姫』に沿ったものであった。普段の武芸稽古で体が引き締まっている事も影響していたのかもしれない。
「義姉上……と呼べばよろしいでしょうか」
「ええ、構いませぬよ」
「源三郎様は、どの様なお方ですか」
着付けを手伝っていた女性――信幸、及び信繁の姉である――村松殿の手がピタリと止まり、質問を質問で返す。
「それは家中でですか、戦場でですか」
その声は怒気すら孕んでいる様に感じられた。小松と伍する迫力であった。
「家中と戦場では、まるで違いましょう」
「家中では、本当によく出来た、家臣・領民思いの男です。税だって重い様に見えますが、三成殿に頼んで貫高制にしたおかげでさほどでもないのです。しかし……」
「戦場であるなら話は別」
「左様です。あの子は一度他家が関われば、鬼子に成り変わる」
「鬼子?」
小松は品評会の時の信幸を思い出す。確かにあの時の威圧感は群を抜いていたが……。
「家名を残す為。そう口では言うておりまするが……。あの子と弁丸は、昔はお人形の様に可愛い、清廉な子供でした。ですが、ある時を境にあの子の眼は、濁った上に冷たくなってしまった」
「ある時とは」
「あの子が私達とは違う時を過ごした、ある時期があるのです。人質時代が……」
――人質?何家への?
その間に、信幸を変える何かがあったのか。小松にとっても是非、聞きたい事であったが……。
「今でも、普段は優しい良い子です。ですが……戦況が差し迫った時のあの子の力は、普段の父上の比ではありませぬ。本当に、捨てられるものは全て捨てて勝ちを拾いに行く」
村松は何かを振り払う様に、手を再び動かし出した。
「私には分かるのです。いつかあの子は、戦の為に何か……大切な誰かを捨ててしまう」
「誰か、とは」
「私かも知れないし、あなたかもしれない。もしかすると父かもしれない。或は……」
村松は口ごもった。その先を言ってしまうと、本当に起こる気がしたのかもしれない。
「きっとあなたは、弁丸……信繁に嫁いだ方が幸せになれたのでしょう」
「義姉上、それは違いまする」
「違う?」
「あの男が私を幸福にするのではない。私があの男を幸福にするのだ」
小松の目が据わっている。与えられるだけの人生ほど、生き甲斐の無い物はない。女だからと言って、戦場に立てないという決まりもない。どう信幸を助けるか、その形は自分で決める。
――与えられる人生など真っ平だ。私は奪い、そして与え続ける。これまでも、これからも。
「茨の道ですよ。後悔は先に立ちません」
「後悔などするものか。私が選んだ男なのだから」
敬語を外したのは、それが村松への言葉では無かったからであった。その気迫に、村松は弟を託す腹を決めた。
「弟と、いつまでも仲睦まじく……願います」
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色直しが終わると、ようやく一族への顔見せが始まった。上座へ座る二人に対し、一族衆が祝い酒を注ぎにやって来る。宴会の席も、信幸は仏頂面であった。
だが、『高砂』を昌幸が呼んだ楽師が舞い始めると、不思議と笑みが込み上げてきている事に小松は気づいた。
「信幸殿、如何なされた?」
「いや、戦を思い出してしまってな」
「戦?」
「神川で……いや、これは言わぬ方が良い」
挑発に『高砂』を使った、上田合戦での話である。徳川の養女である小松にとっては、気持ちの良い話ではないだろうと信幸は察した。
「源三郎、祝杯じゃ」
信幸と小松の前にやって来たのは、大叔父・矢沢頼綱であった。
「爺様、かたじけない」
「色々あったがの、よう乗り切った。さすが兄上……『攻め弾正』の嫡孫だわい」
頼綱は既に隠居して久しい。しかしどうやら、昌幸と秀吉の謀議についても、ある程度は知っていた様である。
「小松殿も、ほれ」
「頂きまする」
小松にも祝い酒を注いだ後、しみじみと語りだす。
「小松、小松か。うんうん。小松殿よ、沼田は儂と、この信幸の武力で切り取った地じゃ」
「存じております」
「努々《ゆめゆめ》、他家に渡してくれるな」
頼綱は信幸へ向き直る。
「儂の引き出物は、後でお主に渡すよう言っておいた。楽しみにしておれ」
「爺も、酒は程々にな」
「阿呆、これが飲まずにいられるか」
入れ替わりに、信幸の母である山手殿と父・昌幸が眼前にやって来る。
「二十、三十……数えきれぬほどの合戦を経ながら、よくぞここまで生き残りましたよ、源三郎」
「母上、そして父上あったればこそ」
昌幸が小松に酒を注ぐ。
「義父上の戦ぶりは、忍城の戦見聞で見ておりまする」
「ほう、あの戦を見ておったのか?」
「破城槌のあの様な使い方。弟共々、感服しきりにございました」
「しかし、あの戦は見ておらなんだろう。あれこそ痛快であった」
「あの戦?」
「上田よ。徳川家との戦じゃ」
「父上!」
自分が自重した事を、ワザとらしく父が蒸し返す。小松が眉間に皺を寄せている事は明らかであった。
「あなた、その話はおよしなさいませ」
「分かった分かった。その方ら、息災でな」
「義母上、義父上様も」
山手殿のファインプレーである。さらに入れ替わりに、本多忠勝と息子達がやって来る。
「おお婿殿!いや、何とも見事な美丈夫よ!さすがわが娘の選んだ男だぜぇ」
「義父上、と呼べば良いのでしょうか。恐縮の至りにござる」
少し緩んでいた信幸の表情が、再び硬直する。まだ本多家に心を許していない証である。それもその筈、婚姻を結んだから末代まで仲良く、という事はこの戦国では有り得ない。その様な風潮があれば、浅井家などは滅びはしなかったに違いない。
「小松!良い男を、本当に良い男を選んだなぁ!」
「ち、父上、酒量が多すぎまする」
「馬鹿たれ、これが飲まずにいられるかよぉ」
――成る程。大物だ。
やはり本多忠勝は弟と同じ部類に入る、という事を改めて信幸は認識した。その後ろをヒョコヒョコとついて来る可愛らしい影に、信幸は話しかけてみた。
「其方が、二郎殿か?」
「あ、さ、左様にごじゃります」
「二郎!シャキッとせぬか、婿殿の前で」
兄の忠政に頭を叩かれる様に、信幸は在りし日の自分達を見た。あの頃のままいられたら、どれほど良かったであろう。
「あ、あの、姉上……」
「何だ、二郎」
「お、お美しうございます」
能面の様だった信幸の頬が綻ぶ。これだけは何としても言わなければ!という二郎の意志が、信幸には伝わって来た。
「そ、そうか?有難く思っておこう」
「あの、義兄上」
「何だ、二郎殿」
信繁以外に兄と呼ばれる。その事を信幸が新鮮に思ったのも束の間、二郎の顔がみるみる内に崩れていく。
「あ、姉上にどうか、や、優しく……」
「二郎、阿呆な事を申すでない!婿殿に失礼なるぞ」
「ふぐ、ふぇぇん!」
何と二郎は小松に殴られたわけでもないのに、泣き出してしまった。小松が顔を覆う。忠勝、忠政の動作も右に同じであった。
いつも一緒にいた大好きな姉が、明日から他家に行ってしまう。その現実が二郎に感極まらせたのだ。
「えぐっ」
「二郎。時が許せば、私は大多喜に帰って来るから」
「やっ、やくっ、そくっ、でござりまする」
無理に喋ろうとしたために、吃逆まで始まってしまった。小松は二郎を抱き寄せて優しく撫でる。
「ああ。それまでに腕を磨いておけ。また組手をするからな」
「あねうえぇ~」
どこまでも情けない声を出す二郎を、忠勝がつまんで連れて行く。せっかく色直しした小松の花嫁姿も、二郎の涙で台無しである。
だが、小松は思わぬ副産物に気づく。
「ふっ。面白き男ではないか」
「お恥ずかしいところをお見せした」
「何、気にしないでくれ」
硬直していた信幸の表情が、完全に緩み切っている。
――本多家の警戒を解いた?
二郎の裏表なき姿は、奇しくも信幸の信頼を勝ち得たのである。小松は生まれて初めて二郎に感謝した。
そして最後に酒を注ぎに来た人物は、やはりこの男であった。
「兄上、義姉上、祝着至極にて」
「有難く存ずる、源次郎信繁殿」
小松は十七歳であり、信繁の六歳年下である。事情を知らない小松は信繁を源次郎と呼ぶことに違和感があったが、それについては触れぬ様信幸に言われていた。
「兄上は器量人でござる。義姉上はお目が高い」
「まぁ、この私に啖呵を切る事のできる男は、そうはいませぬから」
「はっは、それほどまででござりまするか」
談笑する二人を見て、信幸はやはり相似性を感じ取る。この二人の方が似合いなのではないか、とある種の嫉妬感情も生まれた。
「兄上、一献」
「ああ。かたじけない」
「思えば、子供の頃はどんな嫁を貰うか語った事もございました。兄上は気の強い女が良いと」
「阿呆、控えろ」
「ほら出た。義姉上、兄上に『阿呆』と言われたら親密な証にござりますぞ」
「信繁!」
――阿呆、か。
小松はしっかりと記憶した。阿呆と呼ばれることが第一の目標になりそうである。
「こ奴も、大谷刑部殿の娘と婚約している。東北の仕置きがひと段落すれば、すぐに祝言となろう」
「それは目出度き事でございますね」
「かたじけない。さ、姉上も一献」
だが、次の瞬間には小松がとんでもない話題を持ち出した。
「時に、源次郎殿は忍城攻めにも?」
「……はい。恥ずかしながら」
「義父上にも申しましたが、あの時の真田の用兵は見事の一言。城は落とせませなんだが、あれは配下の武将の失態でございましょう。源次郎殿も義父上同様、優秀な」
「小松!……控えよ」
信幸がすかさず小松の口を塞ぐ。小松が源次郎の方を見ると、膝に乗った手が戦慄いている。
――しまった……。
小松はその反応で、失態を犯した人物が信繁自身である事を察した。
「その責……いつか、必ず某は挽回致す所存!義姉上もその時を楽しみにしておられよ!」
そう言うと、信繁は席を立ってしまった。今度は信幸が顔を覆った。
「……申し訳ございませぬ」
「……よい、婚礼の席であの程度、我慢できぬあ奴が悪いのだ」
とはいえせっかく傷が癒えて来た所だった。仕方ない事とはいえ、信幸は若干、小松を呪った。
******
式が終わっても、信幸はしかめっ面であった。小松は原因が先程の会話である事を見抜いた。
「信幸殿、怒っておるのですか?」
「怒っておらぬ」
「怒っておりまする。ですから謝罪しているのに」
「あれは信繁が悪い。小松は何も悪くはない」
「顔はそう申しておりませぬぞ」
「これは地顔だ」
「えぇい歯切れの悪い。ハッキリ申せ!」
「怒っておらぬ!」
今から初夜だというのに、夫婦喧嘩をしている様では話にならない。信幸もそれは分かっているのだが、家族が絡む事となるとすぐこうである。
「殿、よろしうございますか」
「何だ!入れ!」
最早怒り心頭の信幸に、小姓が異様に長い堤を持って入って来た。
「失礼いたしまする」
「何ぞ、それは」
「はぁ、矢沢頼綱様からの引き出物だそうで」
「ああ、先ほど爺が申しておったな。よく持って参った。下がれ」
「御意」
信幸は堤を開けて引き出物を確認すると、その中身に驚愕した。
「そんな馬鹿な!?」
「何が入っていたのです?」
入っていた物。それは取ってが削れて、使い古されている事が一目で分かる槍であった。
「小松明だ」
「松明?」
「爺様が長年使っていた、自慢の槍よ。隠居の身とはいえ、何故この様な宝具を引き出物に……あっ」
信幸は察した。頼綱がこの『小松明』を引き出物にした理由は……。
「小松、これは俺ではなく其方への引き出物の様だ」
「私への?」
「『小松明』と『小松殿』を掛けて、縁起を担いでいるのだ。全く……知恵者の爺らしい」
「その様に縁起の良い槍なのですか?」
気を良くした小松は、槍を手に取ってまじまじと観察し始めた。
「北条の侵攻から沼田を守り切った名槍だ。何でも暗闇でも太陽の様に光を発し、敵の姿を浮き彫りにするとか」
「それは凄まじき兵器!誠でござりまするか!」
「阿呆。んなわけがなかろう」
――しまった。
信幸はつい癖で『阿呆』と言ってしまった。まるで信繁の様な無邪気な反応を小松が見せたため、脊髄反射を起こしてしまったのだ。
「いや、今のは……」
「源次郎殿が申すには。『阿呆』は、親密の証でございましたね。フフッ、ハハ」
「フフッ……、ハハハハハ!」
笑い声が室内に充満する。小松はこの瞬間に、信幸の警戒の外に出た。『他家』ではなくなったのである。
――やはり、鬼子などではなかった。当然だ。私の選んだ日本一の男が、鬼などであるものか。
二人は笑いつかれると、抱き合って肩を寄せる。
「ダンナ」
「旦那?俺の事か」
「『様』を付けるのは私の性に合わぬ。よってダンナと及びしても?」
「其方が呼びやすい様に呼べ」
信幸は小松の髪を撫でながら答えた。小松は増々気分が良くなり口を弾ませる。
「この小松明は、私その物でありますね」
「小松そのもの?」
「ダンナは笑って下された。先ほどまで戦の最中の様な顔をしていたのに」
「そうだったか?」
「私と言う小松明があなたの闇を切り裂いて、炎で照らす。ダンナが死ぬまで続けまする」
「フッ、馬鹿馬鹿しい」
「私は真田の太陽とならん。だからどうか、気を許して下さいませ」
二人は無言で抱き締め合うと、そのまま布団に入った。信幸にとってはここからが戦いであるのだが、ここでまたも信じられない事が起こった。
――スゥ、スゥ……。
「なんという事だ……」
布団に入るや否や、小松は寝息を立て始めてしまった。信幸はあまりの出来事に再び顔を覆う。
輿入れに疲れたとはいえ、初夜の緊張もどこへやら。可愛らしく寝返りを打つ小松を見て、やはりこう思う。
――大物、だな。
かくして初夜は持越しとなった。信幸はせめてもの抵抗として、小松に被さる様にして眠りについた。愛らしさより、頼もしさが勝っている。母に抱き着いている心地であった。




