第7話 黒皮の手帳
主がいないキッチンにいるのもおかしな話だ、ということで和彦と武上はなんとなく揃ってキッチンを出た。
キッチンの主というのはもちろん駿太郎で、静香の命令であっという間にキッチンを出て行ってしまったのだ。
「パーティまでまだ時間があるな」
「そうだな。寿々菜さんはどうしてるだろう」
「寝てんじゃねーの?」
「ここにいます」
と、突然寿々菜が玄関ホールから現れた。
和彦と武上が飛び上がる。
「す、寿々菜!驚かすんじゃねーよ」
「あ。すみません」
「どこに行ってたんですか?」
武上は胸を撫で下ろしながら訊ねた。
「お散歩です。玲子さんにも会ってきました。面白い方ですね」
「ライダーススーツで原付乗って山の裏道登って来るぐらいだから、そりゃ面白いな」
「秀雄さんとの馴れ初めとかも聞いちゃいました!秀雄さんがパーティで玲子さんに一目惚れした後、玲子さんにラブレターを出したらしんです!」
「随分と古風だな」
「ここ電波がないから、秀雄さんは携帯を持ってないらしいんです。それで玲子さん、返事したかったらしいんですけど、字が汚いのがコンプレックスで手紙を出すのは嫌だったんですって」
「それで?」
「それで、祭路家の家の電話にかけたら静香さんが出て、大変だったみたいです。ロマンチックですよねえ」
「・・・」
やはり寿々菜の「ロマンチック」の基準はよく分からないが、和彦は(武上も)そこは敢えてもう突っ込まないことにした。
「で、玲子は?」
「もう一眠りするそうです」
「・・・」
やっぱ、変な女だな。
和彦は無意識に窓の外を見た、が、もちろんここから倉庫は見えない。
するとその時、窓の外を誰かが横切った。
「ん、今の・・・」
「どうした?」
「誰かが外を歩いてた。左の方に行ったぞ」
「左?家の裏の方か」
「そうだな」
家の裏。つまり倉庫がある方向だ。
「秀雄さんか?」
「じゃない気がする」
「・・・それってやばくないか?もし倉庫を開けたら・・・」
「行きましょう!」
寿々菜は勢い良く玄関を飛び出した。
寿々菜と武上、それに万有引力並みの寿々菜の勢いに引っ張られるように家を出た和彦の3人は、倉庫の方に向かって走った。
だが幸い、和彦が見かけた人影はゆっくりと歩いていたので、すぐに見つけることができた。秀雄の父親の祭路雅雄だ。
3人は距離をあけて祭路の後ろをつけた。
「どこに行くんでしょうか・・・。倉庫の方に向かってるみたいですね」
「実は玲子とできてんじゃねーの?」
「どうしてお前はそう話をややこしくしたがる」
「玲子さんが浮気なんてしてる訳ありません!」
「はいはい」
あまりつけている意味が無いほど騒がしいご一行様だが、祭路は何か考え事をしているらしく、後ろの騒ぎに気づく様子はない。
やがて祭路が倉庫の前に辿り着いた。ご一行様に緊張が走る。
「・・・あれ。通り過ぎちゃいましたね」
「よかったじゃねーか。さ、屋敷の中に戻ろう」
「家の裏なんかに何の用事なんでしょうね、寿々菜さん」
「気になりますよね」
「気になりますよね」
「気になりませんよね」
しかし和彦が引き返そうとする間もなく、祭路が立ち止まり、そして近くの切り株に腰を下ろした。祭路は秀雄と玲子の結婚に反対してはいないらしいが、すぐそこの倉庫の中で玲子が寝ているかと思うと、和彦以外の二人はドキドキした。
祭路がポケットから何か手紙のような物を取り出し読み始めた。随分と真剣な表情だ。
「誰からの手紙だろう。それとも自分で書いた手紙を読み直してるのかな」
武上が首を傾げる。
「知るか」
「随分と古い手紙みたいですよ」
「あっそ」
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
「どうでもいーじゃねーか」
「紙が随分と黄ばんでます」
「汚ねーなあ」
「よくそんな細かいところが見えますね!」
「ねぇ~」
「私、目が凄くいいんです」
「目は、の間違いだろ」
「和彦!」
「和彦さん!」
思わず寿々菜と武上が上げた大きな声に祭路が驚いて振り向いた。と、同時にジャケットのポケットに手紙を捻り込む。
「おや、これはこれは。こんなところで、どうしたんだい?」
祭路は寿々菜達を見て、不自然なくらい瞬時に愛想の良い表情になった。だがしかし、愛想の良さではKAZUも負けていない。
「あまりにもご立派なお庭ですので散策させて頂いてましたら、いつの間にかお屋敷の裏にまで来てしまいました。すみません」
誰だ、お前は。
「いや。好きな所を好きなだけ見てくれて構わないよ」
「恐れ入ります。祭路さんは何をなさってたんですか?」
「私も散歩だよ。隠居した身は暇だからね」
さらりとかわす祭路。和彦ならともかく、KAZUはこうなるとこれ以上突っ込めない。代わりにという訳でもないだろうが、武上が別の話題を振ってみる。
「ところで今日のパーティは何人くらいいらっしゃる予定なんですか?まだ僕達以外は誰もみえていないようですが」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
祭路はジャケットを開くと内ポケットから小さな黒手帳を出した。といっても100均で売っているような安っぽいものではなく、小さいながらも本物の牛革で表面を覆われた手帳だ。
「昔から、何でもメモして持ち歩かないと落ち着かない性分でね」
と言って開いて見せてくれた手帳の中は、小さい文字でびっしりと埋まっていた。
思わず寿々菜と武上が感嘆の溜め息をつく。
「すごーい」
「僕も仕事柄手帳をよく使いますけど、こんなに綺麗に埋めてません」
祭路が笑う。
「それだとすぐに新しい手帳が必要にならないかい?」
「はい」
「そうなると、結局手帳を何冊も持ち歩かないといけなくなる。だから僕はなるべく小さな文字で詰めて書いて、持ち歩くのは1冊だけにしてるんだ」
「なるほど」
「まあ、もう第一線は離れてるから、メモする必要があることなど、ほとんどないんだがね。癖みたいなもんで、なんでもメモしてしまうんだ」
祭路は少し自嘲的な笑顔を浮かべながら、ページを無駄のない動作でめくった。
昔も、そして引退した今も、仕事が好きなのだろう。
「ああ、ここに書いてある。招待状の手配なんかは全部秀雄がやったが、誰を招待したかは聞いておいたんだ。君達以外は全て親族だ。全部で10人だね」
「いつ到着されるんですか?」
「パーティの直前だよ」
「じゃあ今頃、山を登り始めたところでしょうね」
「え?山を登る?」
「祭路さん!」
突然和彦が会話に割り込む。
「なんだい?」
「えっと・・・あ、秀雄さんにはお付き合いしている女性がいると聞きましたが、今日のパーティにはいらっしゃるんですか?」
祭路が少し目を見開く。だがどこか嬉しそうだ。
「財前寺玲子君のことだね。そうか、秀雄はそんなことまで君達に話しているのか」
「はい」
「私も聞いたときは驚いたよ。秀雄は別の女性と付き合ってると思ってたからね」
例の身分違いの女性のことだろう。
「恋愛くらい自由にさせてやりたいとは思っていたが、もし秀雄がその別の女性と結婚したいと言い出したらどうしたものか、と心配してたんだ。私はいいんだがね、やはり親戚連中が黙っていないのだよ」
「分かります」
「ところが突然、財前寺財閥のご令嬢と結婚前提で付き合ってると言い出した。驚かされたがホッとしたよ。身分的にも人柄的にも文句のつけようのない相手だ。向こうのご両親も喜んでいらっしゃる。ところが、」
「お母様の静香さんが反対された」
「そうなんだ」
祭路が疲れたような溜め息をつく。
「一体何が不満なのか分からないのだが、とにかく玲子君との結婚は許さないといきり立っている。秀雄の交際に静香が反対したのなんて初めてのことで、また驚いたよ」
「そうなんですか?前の女性の時も静香さんは反対なさらなかったんですか?」
「ああ。何も言ってなかった。ただの交際は許せても、結婚は許せないのかもしれない。でも、玲子君以上に祭路家と秀雄にふさわしい女性はいないと思う」
あのやろー、猫かぶってやがるな。
玲子も和彦には言われたくないだろう。とにかく、秀雄が言っていたことは事実で、祭路も頭を悩ませているようだ。
こりゃ、ますます今日の婚約発表が楽しみだぜ。
と、その時。屋敷の中から空気を切り裂くような悲鳴が聞こえてきた。