第10話 モンさんの記憶
「これでよし、と」
武上は廊下から第二応接室の鍵をかけた。秀雄の持っていた鍵はビニール袋に入れて武上のポケットに入っている。今武上が使ったのは、上山が持っていた鍵だ。上山の鍵は盗まれてはいなかった。そしてその鍵も今は武上の手の中だ。
「皆さん。警察が来るまで屋敷の中でご自由にして下さっていて結構ですが、この部屋には近づかないように」
武上は廊下に立っている面々---祭路・静香・上山・駿太郎・玲子、加えて寿々菜と和彦だ---に言った。
「どうしてよ。私、家に帰りたいわ」
と、玲子が言うと、和彦が鼻を鳴らした。
「婚約者が亡くなったのに、か?」
「婚約者が亡くなったから、よ。私の両親にも伝えなきゃいけないわ」
「電話すればいいだろ。携帯が通じなくてもこの家の電話がある」
「私の家、今電話線の工事中で繋がらないの」
「・・・ほんとかよ。怪しいなあ」
「なんですって!?」
「玲子さん。和彦も、余計なこと言うな」
見かねた武上が2人の間に割って入る。
「とにかく皆さん、ここにいて下さい。他にこの屋敷に人はいませんね?」
「あ、います!」
寿々菜が声を上げる。
「モンさんが外にいますよ!」
「モンさん?ああ、あのご老人ですね。分かりました。一応モンさんにも、屋敷にいてもらうよう言いましょう」
すると駿太郎が言った。
「モンさんは何も言わなくても、こっからいなくなったりしない。俺、あの人が屋敷周辺から離れるの見たことないし」
「そうですか。でも、声は掛けておきます。ここのご主人が亡くなった訳ですし」
「あっそ。多分、庭の果樹園だ」
「ありがとうございます」
武上は玄関に向かって歩き始めた。寿々菜もそれに続く。そして和彦も、一瞬悩んだが武上についていくことにした。
残された祭路達は、遠ざかっていく3人の後姿をそれぞれ複雑な思いで見ていたのだった・・・。
「モンさん」
寿々菜が、庭でリンゴの木に水遣りをしているモンさんに声をかけると、モンさんは「おや、また来たのかい」という感じで顔を上げたが、和彦を見ると顔をしかめた。
「なんじゃ、イワシか」
「しつこいぞ、てめー」
「和彦。---モンさん、ご主人のことでお話があります」
「んん?なんじゃ、お前は。イワシの仲間か?」
「・・・」
武上のことは覚えてないらしい。それにしても「仲間」とは心外だ。
「仲間じゃありません」
「じゃあマグロか」
「・・・武上といいます。刑事です」
「タツノオトシゴ?」
和彦のように「なんでだ」と突っ込みたくなるのをぐっと堪える。
「えーっと、まあ、はあ・・・あの、ご主人が、」
「そうじゃ、そうじゃ、御主人様がどうかしたか?」
「実は先ほど、」
「おお!あんた、刑事とか言ったな!」
「・・・」
「さっき変な女を見かけたんじゃ!侵入者じゃ、侵入者!お縄をくれてやってくれ!」
「変な女?」
和彦と武上が声を揃える。が、すぐにそれが誰かは検討がついた。
「紫のピチーっとした服を着た女じゃ!裏の倉庫の辺りをうろついておった!」
「それはきっと玲子さんですね」
「何じゃと?」
「ご主人の恋人です。今日婚約発表するつもりだったようですが、」
「何を言っとる。御主人様の恋人は花子じゃ。わしじゃてそれくらい、知っとる」
「花子?」
今度は3人の声が揃う。
「花子じゃなくて、玲子だろ」
「レイコー?」
「発音が違う。玲子。『レイコー』じゃアイスコーヒーだ」
「和彦・・・お前よくそんな古い関西弁知ってるな」
「昭和の大阪が舞台のドラマをやったことあるんだよ」
「レイコーってなんですかぁ?」
・・・話がどんどん逸れていく。和彦は強引に話を戻そうとした。
「とにかく、花子じゃない。玲子・・・ああ、そうか」
和彦が腕を組んで呟く。
「花子ってのが、前の恋人か」
秀雄が静香に隠れてこっそり付き合っていた玲子の存在を、モンさんが知らなくても不思議ではない。現にモンさんは玲子を見ても誰だか分からなかった。
「前の恋人じゃと!?」
モンさんが目を剥く。
「そうだ。今の恋人は財前寺ってとこの玲子ってお嬢様だ」
「そうじゃったのか・・・それで花子は自殺してしまったんじゃな」
「自殺?」
武上が和彦を押しのけ、モンさんに近づいた。
「今、自殺って言いましたか?」
「うむ」
「その花子さんという方は、自殺したんですか?」
モンさんは何かを思い出すように苦しげに目を閉じた。
「自室の屋根裏部屋から飛び降りたんじゃ。大人しいが真面目ないい娘でな、ここの使用人じゃった・・・何を苦に自殺したんじゃろうと思っとったんじゃ。そうか、御主人様と別れたのか」
「そうなんですか・・・」
「ほら、ちょうどあんたが立ってるそこに、花子は倒れとった」
モンさんがそう言って、和彦が立っている場所を指差す。さすがに和彦もビクッとして一歩横にずれた。見上げて見ると、確かに屋敷のてっぺんに屋根裏部屋らしき部屋の窓も見える。あそこから飛び降りて、ここに倒れていたのだろう。
「お、おどかすなよ。それ、いつの話だ?」
「さて、昨日じゃったかな・・・」
「・・・」
「いや、1週間前か。いやいや、半年前か、1年前か、30年前か・・・」
「・・・こんの、耄碌ジジイめ・・・」
「モウロクじゃと!?」
「やっぱ聞こえてんじゃねーか!」
「和彦、落ち着け」
武上は和彦の腕を引き、モンさんに背を向けて小声で話した。
「玲子さんの話じゃ、2人が出会ったのは半年前だ。だから花子さんって人の自殺も半年位前だろう」
「その頃って、俺、ちょうどここで撮影してて秀雄と結構話したけど、そんな話聞かなかったぞ」
「自分のせいで人が自殺したんだ、言いにくかったんだろ。それか、秀雄さんと玲子さんが出会ったのは半年前でも、花子さんの自殺はもっと最近なのかもしれない」
「それも変じゃないか?そんな最近ここで元恋人が自殺したのに、早速婚約発表?なんかしっくり来ねーな」
確かに、和彦だったらそれくらい平気でやりそうだが、秀雄だとしっくりこない。とは、武上も敢えて口には出さなかった。ともあれ、秀雄の元恋人・花子がここ半年の間に自殺したといのは事実のようである。
・・・。
「いや、ちょっと待て。おい、てめー。花子の自殺って本当だろうな」
和彦がモンさんに詰め寄る。
「また適当なこと言ってねーか?」
「本当じゃ!」
「どうだか。他にそれを証明できる奴は?」
「御主人様じゃ!」
「ほー。じゃああの世に携帯でもかけて聞いてみるか。繋がればだけどな。って、そーいやここは『この世』だけど電波がねーんだったな」
「携帯?なんじゃそりゃ」
「・・・携帯、知らねーのか」
「和彦」
武上が和彦を遮り、モンさんを見た。このまま放っておいたらまたどんどん話が逸れていきそうだ。
しかしその一方で、秀雄の死をモンさんに伝えるのは酷な気がしてきた。
「なんじゃあ、マグロ」
「もうすぐパーティが始まります。モンさんも出られるんですよね?」
「もちろんじゃ」
「分かりました。パーティが始まるまで、屋敷周辺にいてくださいね。モンさんが遅れるとパーティが始まりません」
モンさんは不機嫌そうに、しかしどこか少し誇らしげに「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「あいつは犯人じゃねーな」
和彦が屋敷の扉を閉めながら言う。
「あのジジイが犯人だったら反則だ」
「反則ってなんだ・・・。そもそも『犯人』なんていない。やっぱり秀雄さんは自殺だろう」
寿々菜も少し自信を無くしたかのように、武上に同意する。
「そうですね・・・。婚約発表直前に、急に花子さんに申し訳なくなって、後追い自殺したのかも・・・」
ところが、自殺説を推している武上自身が何故か曖昧な表情になった。
「後追い自殺ですか・・・。うん・・・」
「武上さん?どうかしたんですか?」
「いえ・・・」
武上が腕組みをして顔をしかめた。寿々菜はそんな武上に首を傾げ、和彦は黙って見ている。
やがて武上は決心したように顔を上げた。
「寿々菜さん、和彦。実は、」
「皆さん」
突然、階段の上から声がした。見ると、祭路が2階から3人を見下ろしている。
武上は言葉を切り、祭路に応えた。
「なんでしょうか?」
「話がある。少しいいかな?」
「・・・?はい。分かりました」
武上達は祭路の元へ向かうべく、階段を上り始めたのだった。




