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第五章 西方へ続く回路


4年後の明治5年(1872年)10月5日


すでに名前を「貞雄」に改名し、東京都の工部省(明治政府の行政機関)で電信技師となっていた私は、赤間関(山口県下関市)に赴任した。



4日後、土地に慣れようと町なかを散策した。


小腹が減り何気なく団子屋に入る。奥から40代半ばくらいの男が出てきた。


『いらっしゃい』


そう言って彼は、私の顔を不思議そうな表情で見た。


『見かけない顔だね。どこの者だ?』


『会津…、あ』


故郷は捨てたはずなのに、なぜその名称が口から出たのか。


『兄さん、白虎隊って知っているか?』


心臓が、鳴った。


なぜ、今、ここで、その名称が…。


『いいえ、知りません』


嘘をついた。


ご主人の顔を、まともに見れなかった。


『そうかい。子供ばかりの部隊だったよ。私は自分の息子を思い出して、引き金を引けなかった』


『そう…、ですか』


『悪いね、兄さん、変な話しをして』


『いえ』


そしてご主人は、人の良さそうな笑みを浮かべた。


『なぁ、生きてるって、いいな。俺はもう人殺しは、たくさんだよ。こうやって団子でも売ってる方が性に合ってら』



店先で買った物を食べさせてもらう。


会津藩校は規範(きはん/規則)がとても厳しく、こんな風に屋外で飲食をすることを禁じていた。



青空を見上げた。


「長州」の「8月23日」は暖かかった。




その後も電信技師として日本各地を奔走(ほんそう)した。


電信電話を普及させるために、技術開発と電線の着工にも携わった。


寝る間も惜しんで仕事をした。そんな私を(あざけ)る者もいる。


しかし私には恐れも迷いもなかった。どうせ「白虎隊」として一度死んだ身だ。今の自分には、これしかできないと思っていた。



そんな時に元広島藩士の松尾錬太郎氏と知り合った。彼は大変私を気に入ってくれて、何度か酒を飲む仲になった。


私は、自分が会津藩出身であることを告げられずにいた。



数ヵ月が経ち、松尾氏に自邸に呼ばれた。


その後も彼は用事もないのに私を自邸に呼ぶ。


他愛もない世間話をし、娘さんがお茶を運んで来る。それの繰り返しだった。


さすがに鈍い私でも、何か妙だな?と感じた頃、松尾氏が切り出した。


『貞雄君も、そろそろ落ち着いてはどうかね』


『と、言いますと?』


『結婚は考えていないのかと聞いているんだ』


結婚。


考えたこともなかった。私は電信技師として国に貢献し、生涯を終えるつもりでいた。


しかし、それをハッキリと言葉にすると角が立つ。


生憎(あいにく)ですが相手がいません』


『私の娘はどうかね?』


そうきたか。


『せっかくのお話しなのですが…』


『気に入らないのか? 私に似なかったので美人だ。気立ても良いぞ』


言うなら、今しかないと思った。


『私は会津出身です。広島藩士であった松尾さんの娘さんとは一緒にはなれません』


『広島の人間とは結婚したくないか』


『そうではありません。広島は新政府軍に加わり戊辰戦争を戦いました。松尾さんが非難を受けることになります』


『君は和宮(かずのみや)さまを知らんのか?』


なんの話しだ。


『徳川将軍家に嫁いだ皇女だ。幕府は幕府で朝廷との良い関係を考えていた。私の娘のレンと君が結婚することで、戊辰戦争の因縁が消えてくれれば良いと思うぞ』


『規模が違います。それに私にはそんな影響力はありません』


『それもそうだな』


松尾氏は、あっさりと言った。


何がしたいんだこの男は。


そして彼はお茶を飲み、ふうっと息を吐いた。


『戦争というのは後味の悪いものだな。勝っても負けても、そこには怨み辛み(うらみつらみ)しか残らない』




── 前から聞きたかったんだけど、貞吉、本当は16歳じゃないだろ?


子供姿のままの儀三郎が言った。


私は無言でうなずいた。


── やっぱり。皆に敬語使ってたし、謙虚というより(へりくだ)ってたからな。


そして彼は屈託のない笑みを浮かべた。


── だったら良いじゃないか。おまえはそもそも、あの場にいるべき人間じゃなかったんだよ。



そこで目が覚めた。


儀三郎の声がまだ耳の奥に残っている。


「いなかった人間」そんな簡単には割りきれない。1人生き残ってしまった罪に(さいな)まれていた。



明治14年(1881年)


わだかまりを残したまま、松尾氏の娘さんのレンと結婚した。


そして翌年には初子(はつご)に恵まれた。


男の子だった。自分の名前から一字取り「一雄(かずお)」と命名した。


産まれたばかりの小さな体を抱き上げる。その時に、なぜだかハツ様を思い出した。


赤の他人であるはずの私の命を助けてくれた女性も、戦闘中に少年兵の腹の心配をし雨降る夜の山道に1人消えた隊長も、私が撃った敵兵でさえも人の親だったんだ。


敵も、味方も、男も女も、子供も、大人も、あの戦争に関わってしまった全ての人たちには、護りたいものがあった。


誰も間違えていない。ただ歯車が少し噛み合ってなかっただけ。



夜を待って外に出た。


西方の星空を見上げた。


「白虎」は西方の天を司る神。


もし会津より私を弔ってやっても良いという話しがあったら、私は皆と同じ場所で眠りたい」




気がつくと私は父を凝視し話しを聞き入っていた。


父が苦笑いを浮かべた。


「すまなかったな。昔話に付き合わせてしまって」


「いいえ、お話ししてくださり、ありがとうございます。ところで隊長殿の生死は確認できなかったのですか?」


父の表情が曇った。


まずいことを聞いてしまったと前言撤回しようとしたら、父の唇に笑みが浮かんだ。


「結果から言うと生きていたよ」


「それは良かった!」



「結婚する数年前に、偶然見かけた。綺麗な女性と少女と一緒に歩いていた。おそらく日向様の奥様とお子さんだろう。


少女が、お腹がすいたとダダをこねる。


日向様は膝を落とし、視線を少女に合わせた。


『お弁当を買って来るからここで待っていなさい』


そして彼は立ち上がったものの再び膝を落とし、少女を抱き上げた。


女性が驚いた声を上げる。


『お弁当を買うだけなのに連れて行くの?』


『私が食糧の調達をしている間に、この子がいなくなったらどうするんだ』


『大げさな…』


日向様が少女を抱えたまま急ぎ足で私のすぐ後ろを過ぎた。


彼が私の存在に気づく様子はなかった。


── 一同ここで待っているように


そう言って隊を離れた日向様は、後悔したんだ。


しかし責任感の強い彼のことだ、あの時、食糧の調達に行かなかったら行かなかったで後悔しただろう。


同じ後悔するなら、彼は行動することを選んだ。


結局、私は彼に声をかけられなかった。過去から逃げたかった」



「父さんは、まだ後悔していますか?」


私の無粋な質問に、父は表情を変えずに答えた。


「ああ、だから今の仕事をしている」




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