第四章 血潮からの生還
「喉が渇いた」そう言った気がする。
誰かに抱き上げられたのを微かに覚えている。
次に意識をはっきりと取り戻した時、私は布団の中で寝かされていた。
傍には母親と同じくらいの年代と見受けられる女性がいた。
知らない人だった。
『気がつかれましたか?』
彼女が穏やかな笑みを浮かべた。
起き上がろうと手を付くと喉元に激痛が走った。
頭がぼんやりとしていた。
ここがどこなのかは勿論のこと、なぜ喉元が痛むのかも理解できていなかった。
『私は会津藩士の印出新蔵の妻、ハツでございます。飯盛山にてまだ息のあった貴方を救出し医者に診せました』
飯盛山…。
紅に染まった城。脇差。血飛沫。倒れる仲間たち。
一気に記憶が蘇った。
私は失礼は承知の上で女性から懐刀を奪い、自分に向けた。
手を、叩かれた。
刀を落とした。
女性を見た。
彼女は息を飲んだ。
恐らくこの時私は物凄く険しい形相をしていたのだと思う。
『なりません!』
悲鳴のような叫び声を聞いた。
私は皆と同じ場所へ行くことすら叶えられなかった。
『私を哀れむのなら介錯をしてください』
『なぜでしょうか』
『私は殿様と運命を共にすると誓いました。城が堕ち殿様が炎にまかれたと知れば当然の行いです』
『城は堕ちておりません』
『慰めは結構です。私は城が燃えるのを、この目で見ました』
するとハツ様は私の腕を引き障子を開けた。
広がる森の向こう側に、見慣れた若松城がそびえていた。
『え…』
私は自分の目を疑った。
言葉が出なかった。
ハツ様が冷静に言う。
『確かに城下は炎に包まれました。しかし城は石垣に囲まれております。火を放たれたとしても簡単に炎上など致しません』
そうだ。よく考えたら、そのとおりだった。
遠目にもハッキリとわかるほど炎上なんてするはずがない!
あれは勘違いだったのか?
冷静じゃなかった。
正しい判断ができていなかった。
もしあの時に遠くに離れた相手に的確に情報を伝える手段があったならば、少なくともあの場で全員自害なんて悲劇は起きなかったかも知れない。
『東軍はおらぬか!』
外から叫び声が聞こえた。
西軍の兵士が我々東軍の残存兵を探している。
ハツ様が急いで障子を閉めた。
『こちらへ…』
そして箪笥の中に押し込まれた。
狭苦しい場所で、緊張しながらも外の気配を窺った。
西軍が家に入って来るような様子はなかった。
同日の夜半。
私はハツ様に、顔を隠すための布を頭に巻かれ屋敷を後にした。
そして若松郊外の宿舎(旅館)に連れて来られた。
そこの女将さんが、私とハツ様の部屋に湯飯を持って来てくれた。
お湯をかけ塩味がついただけの飯。
『お腹すいたでしょう。こんな物しか用意できないけど…』
『いいえ、私の好物です』
私に気をつかってくれた女将さんに対して、お礼のつもりでにっこりと笑って見せた。
同時に、涙が溢れた。
悲しかった訳ではない。
なぜだか自分の意思とは関係なく涙が止まらなくなった。
ハツ様が私を優しく抱きしめた。
『もう我慢なさらないで。私が守って差し上げます』
温かかった。
嬉しかった。
息苦しさが消えた。
私は母にですら抱きしめられたことはなかった。
『自刃したことは後悔していません。皆と同じ場所へ行けずに悔しいとさえ思いました。しかしハツ様に命を救われ嬉しいと感じたのも事実です。不思議ですね。頭で考えることと心で感じることが正反対なのです』
『そのような時は心の声に従いなさい』
ハツ様が私の背中をポンポンと叩いた。
何度も脳裏をよぎった、疑問。
ずっと、ずっと、気がつかない振りをしていた。
自分の本心を認めてしまうのが恐かった。
会津藩に「城を死守しろ」と言われたから戦場に赴いた。
母に「生きて戻ることは許さない」と言われたから自刃した。
自分の意思は、そこにはなかった。
夢をみた。
険しい山道を歩いていた。
辺りは暗かった。
なぜだか急がなければと思っていた。
見通しの良い場所に出た。
少年たちの遺体が折り重なっていた。
死ぬ必要なんてなかったのに!
叫び声を上げ目が覚めた。
ハツ様の声が襖越しに聞こえた。
『貞吉さん、どうなさいましたか?』
私は部屋を飛び出した。
ハツ様がそんな私を追いかける。
『今時分どこへ向かうのですか』
『皆の遺体はこの寒空の下で未だ放置された状態にあります。せめて埋葬を…』
ハツ様は厳しい表情で首を振る。
彼女に促されて部屋に戻った。
火鉢の明かりだけが頼りの暗い部屋の中で、私たちは座っていた。
後悔の渦が私を飲み込む。
取り返しのつかない状態になってから、初めて事態の重さを理解した。
皆の自刃を眺めていた時、自らの喉元に短刀を突き刺した時、なにひとつ現実味を感じられなかった。
雨の中の銃撃戦が、遠い昔のことのように思える。
会津藩邸に戻ったら、そこで皆が元気な姿で出迎えてくれるような気さえする。
『この戦争は、なぜ起きたのでしょうか』
沈黙が恐くて、何気なく呟いた。
『私は会津の全てを護っているつもりでいました。薩摩や長州なんかに侵略を許したくなかった。藩校で教わりました。以前は薩摩と会津が協力して長州を撃退した、と』
私はハツ様の目を見つめ、少しだけ声を強めた。
『それなのに、なぜ薩摩は長州に寝返ったのですか? なぜ薩摩と長州は共に会津を攻撃するなんてひどいことができるのですか?』
そんなことを訊いても仕方ないのはわかっている。しかし私は行き場のない怒りを吐き出したかった。
ハツ様がゆっくりと息を吸い込む気配を感じた。そして、彼女は言葉を綴る。
『元々、薩摩と長州には倒幕という共通した思想がありました。薩摩と会津に攻撃された長州は両藩に恨みを残します。そこで長州が考えたのは薩摩を味方につけることでした』
薩摩と長州の軍事同盟か。
西軍との銃撃戦を思い出した。あの戦闘能力の高さはこの同盟の功績によるものなのだろうか。
私は口を挟んだ。
『しかし両藩は幕府を討とうと考えていたのですから会津から攻撃を受けるのは当然です』
『それは会津側の価値観です』
『会津が間違えていたのでしょうか』
『いいえ、誰も間違えてはおりません』
『ハツ様、申し訳ございません、私には理解できません』
どこか遠くを見つめていたハツ様の目が、こちらに向いた。
『それならば生きなさい』
『え?』
『生きて、考えて、自分で答えを見つけなさい』
彼女は再びはっきりと言った。
『生きなさい』
明治元年9月22日(11月6日)
若松城に白旗が挙がった。
会津藩、降伏。
旧幕府軍の残存兵は会津を離れ、蝦夷地(えぞち/北海道)へ向かった。
翌日、私は会津藩邸に戻った。
そして飯盛山での出来事と蘇生した自分のその後の行動を報告した。
ついでに藩主に尋ねた。
『隊長の日向様の足取りをご存じですか?』
『おまえが知ることではない!』
きつく言われ、それ以上なにも言えなくなった。
落城が勘違いだったとはいえ自刃に失敗し結果的に任務を果たせなかった私に、会津藩は処分を下した。
それは、一年間の謹慎。
そして江戸に護送された。
謹慎とは名ばかりの、実態は幽閉(監禁)だった。
狭い部屋に閉じ込められ、窓も扉も開かないように固定される。
その扉が開かれるのは、一日二回の食事が運ばれて来る時だけだった。
私は部屋の隅に座り、ずっと考え事をしていた。
同じく幽閉された仲間の内には、半年も過ぎると脱走する者や自害する者が現れた。
しかし私は堪えた。
諦めではない。生きるために。
この先に訪れるであろう自由のために。
──生きなさい。生きて、考えて、自分で答えを見つけなさい
あの時の言葉が私の背中を押す。
翌年、私は解放された。
この一年間で世の中は随分と変化した。
江戸は東京都と名称を変え服装は和風から洋風になり
幕府も藩の存在も、完全になくなった訳ではないが壊滅状態にあった。
会津藩が護ろうとしていた徳川将軍家は、事実上の消滅を迎えていた。