第三章 飯盛山の悲劇
翌日、早朝。辺りはまだ暗い。
霧が立ち籠めているせいか、少し息が苦しかった。
とうとう隊長は戻らなかった。
激しい銃声がすでに聞こえ始めている。
儀三郎が立ち上がった。
『行くぞ!』
山中での銃撃戦に参加する形になった。
我々「白虎隊」を見つけた西軍が銃を乱射する。
兵士たちが入り乱れる。敵兵だけを瞬時に見分け発砲した。
私は無我夢中だった。何人もの大人を撃った。
冷たい風にさらされながら硝煙を嗅いだ。
引き金を引く時の振動が指先から全身に伝わる。
どんなに神経を研ぎ澄ませても、東軍が西軍に対して劣勢なのに変わりはなかった。
儀三郎が右腕を挙げた。
『退却!』
それから、新堀(猪苗代と若松をつなぐ用水路)に身を潜めた。
西軍の追っ手が迫る。この場所を発見されたら狙い撃ちされる。
それならば、いっそ…。
自分に銃口を向けると、数人が同じ行動を取った。
突然、石田和助が新堀を出て堤防によじ登り、追っ手に向かって乱射した。
間もなくして和助が戻る。
『もう、大丈夫だよ』
私は自分に構えた銃を下ろした。
『こんな所で無駄死にする訳にいかない』
西川勝太郎が言った。
『西軍に対してはもう勝てる術はない。それは十分に理解した。しかし、まだ銃弾は残っている。刀も折れていない。城も堕ちていない。それなのに、こんな所で命を落としてどうするんだよ』
『帰城、しようか…』
誰かが言った。その言葉に反応するように、それぞれが口々に呟いた。
『そうだよ。当初の目的は城を護ることだったじゃないか』
『とりあえず、今、城がどうなっているか確かめないか?』
『どうやって? 町の中は西軍でいっぱいで通れないぞ』
『じゃあ、どうすればいいんだよ』
幼き日の頃を思い出した。
まだ小さかった私は母に手を引かれ山に登った。
そこから眺めた景色。見慣れた町並みが一望できた。
平坦な武家屋敷の中に、若松城がそびえ建っている。
── よく聞きなさい、貞吉。あなたはあのお城にお住まいになる殿様と運命を共にできる身分なのです。いずれ殿様とお城をお護りするためにその命をかける時が来るでしょう。
あれは、確か…
『飯盛山』
私の言葉で、視線が一斉にこちらに向いた。
『儀三郎様、飯盛山に登りましょう。あの山からなら城が見えるはずです』
私たちの心はひとつになった。
「帰城する」そうは言っても道を知る者はいない。
ただ城の方角だけを頼りに山道を歩いた。
『あれ? ここ、滝沢の白糸神社じゃないか?』
先頭の儀三郎が呟いた。
少し行くと境内に出た。
滝沢。
知っている場所に出てホッとしたのも束の間、近くにいた西軍に見つかり銃口を向けられた。
『子供…? どこの藩の者だ』
『会津藩、白虎隊』
儀三郎が正直に答えてしまった。
突如、銃撃を受けた。弾丸が腕を貫いた。
叫び声と共に、雄次が倒れた。腰の辺りを押さえている。
『待て、相手は子供だぞ』
『子供だろうと女だろうと敵は敵だ!』
西軍の兵士たちが口論を始めた。
その隙に私たちは雄次を担いで、その場から逃げた。
やっとの思いで飯盛山の東側までたどり着いた。
そして山裾の洞窟を潜った。
中はとても冷やりとしていて、足場が悪かった。
途中、浸水が見られたが構わず進むと水域に出た。
ここまでか。誰もがそう感じたが、儀三郎は水に入った。
『行くぞ』
隊長が不在となっている今は、儀三郎の命令は絶対だった。
逆らう者はない。皆、次々と水に入って行った。
水から上がると弁天神社の脇に出た。
『皆、居るか!』
儀三郎が号令をかけ、隊士たちの数をかぞえた。16名だった。
皆、疲れた顔をしていた。
『あと少し。もう少しですよ』
私は声に出して言った。皆を励ます振りをして、自分自身に言い聞かせた。
午後4時頃。
飯盛山を登った。町の様子を一望できる場所まで、ひたすら歩いた。
一睡もせず空腹での山登りは、想像を絶するほど苛酷なものだった。
心身共の疲労が私の足を重くする。皆について行くのがやっとだった。
不満を言う者は居ない。
私たちには「城を護る」という使命が残っている。その使命感だけで気力を振り絞っていた。
私の前を行く津川喜代美が突然足を止めた。
うっかり、ぶつかってしまう。
どうしたのだろう?と喜代美の顔を覗くと、彼は表情を強張らせていた。
他の隊士たちと顔を見合わせた。
嫌な、予感がした。
儀三郎が走り出した。
他の者も、つられて走り出す。
平坦な場所へ出て、そこから町を一望した。
町が、火の海に飲み込まれていた。
若松城が、黒煙に包まれている。
『城が…、燃えている…』
悔しさに涙を流す者や叫び声を上げる者の中で、私は絶句した。
今、城は堕ちた。
護る城は、もうない。
帰る家もない。
最終的に敵に生け捕りにされるくらいならと、自刃することに意見が一致した。
城のある若松の方角に向かい、刀剣と銃器を置き、脇差を手にした。
『手傷が苦しければ、お先に御免』
和助がそう言って、自身の腹に脇差を突き立てた。
儀三郎が後を追った。
他の者も次々に後を追う。
刺し違える者もいる。
自力で動くことができない雄次は、林八十治と野村駒四郎に介錯された。
仲間の切腹を手伝うのは礼儀だと、藩校で習った。
若者たちが次々と倒れていく。
うめき声と流れる鮮血が陣営に溢れ返る。
皆に遅れて私は自分の喉元に短刀を突き刺した。
噴き出した血が柄を伝わり手を濡らす。
短刀を引き抜き、再び喉元に突き刺した。
傍にあった石で柄を固定し、体重をかけた。
そして体が冷たい地面に吸い込まれる。
薄れていく意識の中で、昔の光景が鮮やかに脳裏に浮かんだ。
春、桜の下で皆と語り合った。
日射しがとても暖かく、眩しい光りを浴びていた。
そして、秋。
今、陣営では風が吹き、氷のように地面が冷たい。
あの時の光りは、どこへ行ってしまったのだろう。