第1話:不要と断じられた「神の指」
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紫電が奔った。
轟音と共に、大気を焦がすオゾンの臭いが戦場に充満する。
「——雷光剣ッ!!」
勇者アルヴィンの絶叫と共に、その一撃は深層階の主、アダマンタイト・ゴーレムの巨躯を真っ二つに断ち切った。
鋼鉄よりも硬いはずの装甲が、まるで濡れた紙のように容易く切り裂かれる。
遅れてやってくる衝撃波が、周囲の瓦礫を粉微塵に吹き飛ばした。
「はぁ……はぁ……! どうだ、見たか! これが俺の力だ!」
粉塵舞う中、勝利のポーズを決める金髪の青年。
Sランクパーティ『雷光の軌跡』のリーダーにして、王国最強と謳われる勇者、アルヴィンだ。
彼の背後で、聖女や魔導師たちが「さすがですアルヴィン様!」「信じられない威力……!」と歓声を上げている。
だが。
パーティの最後尾、荷物持ちのような位置に立っていた俺——クロードだけは、冷静に懐中時計を確認していた。
「……戦闘時間、4分12秒。前回の記録を30秒短縮か。関節の稼働域も良好、魔力回路の伝達ロスも0.1%未満。これなら問題ないな」
俺は手元の羊皮紙に素早くデータを書き込んだ。
彼らがこの速度で動ける理由。
あの超重量の剣を、羽毛のように軽々と振るえる理由。
それは全て、事前のキャンプで俺が施した『生体整備』のおかげだ。
筋肉の微細な強張り(こわばり)を解き、骨格の歪みを矯正し、血管の一本一本に至るまで魔力の通りを良くする。
そうして身体機能を極限まで最適化しているからこそ、彼らは120%の力を発揮できる。
「おい、クロード!」
データをまとめていた俺に、アルヴィンが大股で歩み寄ってきた。
勝利の喜びに酔いしれていたはずの顔が、俺を見た瞬間に不機嫌そうに歪む。
「……なんだ? まだ素材の回収には早いぞ。ゴーレムの熱が冷めてからじゃないと——」
「ちげぇよ。……お前さ、いつまでパーティに居座るつもりだ?」
「は?」
俺は眉をひそめた。
アルヴィンの後ろでは、聖女メリッサと魔導師ガイルが、ニヤニヤと嘲笑うような視線をこちらに向けている。
「居座るも何も、俺はお前たちのコンディショニング担当だ。契約期間はまだ——」
「だから、それが『要らない』って言ってんだよ!」
アルヴィンが、俺の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
唾が飛ぶほどの距離で、彼は侮蔑の色を隠そうともせずに言い放つ。
「いいか? 俺たちはもうSランクだ。ドラゴンのブレスだって防げるし、この通りゴーレムだって一撃だ。お前みたいな、身体をペタペタ触るだけの『マッサージ師』なんて、もう必要ねえんだよ!」
「……マッサージじゃない。『生体整備』だと言っているだろう。それに、今のその動きは俺の施術があってこそ——」
「うるせぇ!!」
ドガッ!!
アルヴィンの拳が、俺の腹部に突き刺さる。
Sランクの膂力ではない、手加減された一撃だったが、それでも内臓が跳ねるような衝撃が走った。
「ぐっ……ぅ……!」
「気持ち悪いんだよ、お前の技は! 男の身体をベタベタ触りやがって。それに、メリッサの聖魔法があれば、怪我なんて一瞬で治るんだ。肩こりだの腰痛だの、そんなもんポーション飲めば治るだろ?」
「……それは、違う。ヒールは『修復』であって『調整』じゃない。ポーションも一時的な鎮痛作用しかない。使い続ければ、身体の芯に『澱』が溜まって……いずれ動けなくなるぞ」
俺は脂汗を流しながら、必死に訴えた。
これは職人としての警告だ。
彼らの身体は、いまやF1マシンのように繊細なバランスで成り立っている。
俺という整備士がいなくなれば、その高性能なエンジンは遠からず焼き付く。
だが、その言葉は彼らには届かなかった。
「はっ! 負け惜しみは見苦しいですねぇ、クロードさん」
聖女メリッサが、扇子で口元を隠しながら冷ややかに言った。
「私たちは選ばれた勇者パーティなんです。常人の尺度で測らないでいただけます? 貴方のその地味な施術、受けている時の『手つき』がいやらしくて、生理的に無理でしたの」
「俺も同感だぜ。お前への報酬、無駄に高いしな。その分を新しい攻撃アイテムに回したほうが効率的だ」
魔導師ガイルも肩をすくめる。
……ダメだ。完全に会話が成立していない。
彼らは結果しか見ていない。その結果を生み出すための「過程」や「土台」に対する敬意が、欠片も存在しなかった。
俺の中で、何かが冷たく冷え切っていくのを感じた。
それは怒りではない。
どうしようもない徒労感と、職人としての失望だった。
「……そうか。分かった」
俺は胸元のパーティバッジを引きちぎり、アルヴィンの足元に投げ捨てた。
乾いた金属音が、岩場に虚しく響く。
「契約破棄だ。違約金はいらない。その代わり、今後一切俺に関わるな」
「へっ、せいぜい野垂れ死なないように気をつけるんだな! 無能なマッサージ師さんよぉ!」
下品な哄笑を背に浴びながら、俺は踵を返した。
一度も振り返ることはなかった。
ただ、心の中で一つだけ確信していたことがある。
——一ヶ月だ。
俺の整備が切れて、身体の各所に蓄積した疲労物質が牙を剥くまで。
せいぜい今の栄光を楽しんでおけ。
その身体が錆びついて、指一本動かせなくなる絶望を味わうその時まで。
◇
王都から馬車に揺られること三日。
俺がたどり着いたのは、巨大迷宮都市『アルカディア』の最下層エリアだった。
ここは、煌びやかな王都とは別世界だ。
空を覆う配管からは絶えず蒸気が漏れ出し、路地裏には怪しげな露店がひしめき合っている。
実力不足の冒険者や、過去を捨てた犯罪者たちが流れ着く、欲望と混沌の掃き溜め。
だが、俺にはこの雑多な空気が心地よかった。
着飾った偽物の英雄たちよりも、泥に塗れて生きる者たちのほうが、よほど身体の価値を知っているからだ。
「ここか……」
不動産屋に紹介された物件の前で、俺は足を止めた。
メインストリートから三本ほど裏に入った、日当たりの悪いレンガ造りの建物。
元は闇医者が使っていたというその場所は、看板が半分外れかけ、窓ガラスも曇っている。
「家賃は格安。広さは十分。……悪くない」
俺はポケットから鍵を取り出し、錆びついたドアを押し開けた。
カビと埃の臭いが鼻をつく。
ここが、俺の新しい城だ。
Sランクパーティという肩書きも、勇者の威光も関係ない。
ただ俺の『腕一本』だけで、この世界を生き抜いてやる。
俺は荷物を床に置くと、ボロボロになった看板を外し、懐から用意していた新しいプレートを取り出した。
——『魔力整体院・クロード』。
「さて……まずは掃除からだな」
俺は腕まくりをして、床に散らばるゴミを片付け始めた。
一通り掃除を終え、開店準備が整ったのは、日が暮れて街にガス灯が灯る頃だった。
ぐぅ……。
腹が鳴る。そういえば、ここ数日まともな食事をしていなかった。
近くの屋台で何か買うか。
そう思って、俺が店のドアを開けた、その時だった。
「……はぁ、はぁ……っ……!」
足元に、何かが転がっていた。
ゴミ袋?
いや、違う。
それは、ボロ雑巾のように汚れ、雨に濡れた子犬のように震える『少女』だった。
「……おい、大丈夫か?」
俺はとっさに屈み込み、彼女の肩に触れた。
ビクッ!!
指先から伝わってきたのは、異常なほどの『硬度』だった。
「こ、れは……」
街灯の薄明かりの下で、彼女の姿が露わになる。
泥にまみれた桃色の髪。
背中から生えた、蝙蝠のような小さな翼。
そして、苦痛に歪む額から突き出た、二本の愛らしい角。
——サキュバス(夢魔)だ。
だが、その身体は異様だった。
本来、柔軟であるはずのサキュバスの肢体が、まるで石膏で固められたかのように強張っている。
筋肉が収縮したままロックされ、血管が浮き上がり、呼吸をするたびに骨がきしむ音が聞こえるほどだ。
これは怪我ではない。病気でもない。
体内で生成された魔力が循環不全を起こし、肉体そのものを内側から食い潰そうとしている、『魔力中毒』の末期症状だ。
「……あ、あぐっ……殺……して……」
少女が、か細い声で呻いた。
濁った瞳が、焦点の合わないまま俺を彷徨う。
「もう……いや……動け、ない……。こんな、身体……いらな、い……」
彼女の目には、深い絶望の色が宿っていた。
自分の才能を、肉体を、人生を呪う者の目だ。
それは、かつて俺の技術を否定し、嘲笑った連中の目とは対極にあるものだった。
——こいつは、知っている。
自分の身体が悲鳴を上げていることを。
誰かに助けてほしいと、魂が叫んでいることを。
「……バカ言うな」
俺は無意識のうちに、口元を歪めて笑っていた。
職人としての血が、ドロリと熱く滾るのを感じる。
Sランクの勇者ですら匙を投げるであろう、完全な『廃車』寸前の肉体。
だが、俺の「目」には見えていた。
この泥と老廃物の下に眠る、極上の原石の輝きが。
強張った筋肉の奥底に、凄まじいポテンシャルを秘めたバネが隠されていることが。
「諦めるには早いぞ、お嬢さん」
俺は少女の身体を、軽々と横抱きにした。
少女が驚愕に目を見開く。
「な、に……?」
「拾ってやるよ。お前のその『壊れた身体』……俺が新品以上の極上品に作り変えてやる」
俺は少女を抱えたまま、自身の城——『魔力整体院』へと足を踏み入れた。
この出会いが、やがて世界最強のパーティを、そして俺自身の運命をも大きく変えることになるなど、今はまだ誰も知らない。
ただ一つ確かなことは。
今夜、この路地裏で、少女の艶めかしい悲鳴が朝まで響き渡ることになるということだけだ。(続く)




