那須高原・令和の開拓記 〜猫缶を背負って、私は人間を取り戻す〜
「疲れている方へ」
ちょっと笑える実話です。
【あらすじ】
毎日が、何かに追い立てられているようで心に余裕がない日々だった。場所を変えれば、自分も変われる。
そんな淡い期待を抱いて向かった那須の地。ここで私は「生きる」ということの本当の意味を知ることになる。
便利さを手放した代わりに、私が手に入れたもの。
少しだけ奇妙で、最高に贅沢な「猫缶登山」の物語を、ここから始めようと思う。
定年後は、那須高原のテラスでお洒落にティータイムを――。
長年勤め上げた夫が定年退職を迎えたのを機に、年の差婚の夫と長年住み慣れた埼玉・春日部を離れ、那須高原へと移住した。
「那須高原か〜」
緑に囲まれた静かな暮らし、小鳥のさえずりで目覚める朝。お洒落なカフェでブランチ。のんびり過ごせる〜〜
「素敵じゃない!」
しかし…
そんな「絵に描いたようなスローライフ」を夢見ていた私を待っていたのは
文明の利器が一切通用しない、過酷な「令和の開拓生活」だった。
まず、宅配ピザが届かない。そもそも、画面をいくらスクロールしてもウーバーイーツも圏外だ。
Amazonのトラックさえ深い霧の彼方へ消えていき、ようやく来たと思えば『翌日お届け』は無視され、2日後は当たり前。
慣れないドライバーさんからは、「道に迷いました……今、どこでしょう?」と、電話がかかるしまつ。
ディナーと勝負服で出掛けたものの、店は4時、5時で閉まってしまう。暗闇の中の敗北感…
頼みの綱の夫は「小遣い稼ぎに」と早々にパートへ出かけ、
車のない私は『標高の現実』に放り出された。
本日もAmazonは夢の中。。
けれど、愛猫たちの「飯はまだか」という無言の圧力には抗えない。
私は意を決してリュックを背負った。
片道30分の山道を下り、猫缶を詰め込んで再び登る。往復約1時間半、名付けて「買い出し登山」の始まりである。
行きはまだ、軽快だった。
鼻歌まじりのステップも軽やかに。
那須高原に唯一1軒だけあるホームセンター。
無事に猫缶を調達し、道中の無人販売所で立派な長ネギを「スカウト」する。
一年前、私の肩に掛かっていたのは、新作バッグと、それに見合うだけの「人目」という名のプライドだった。
それが今、背負っている機能性重視のリュックからは、無人販売所でスカウトしたばかりの立派な長ネギが、アンテナのように天を指している。
走行する車のフロントガラス越しに、ドライバーと目が合う。
「あ、ネギだ」という無言のツッコミが飛んでくる。
が、私は堂々と胸を張る。
張るしかない。
「ええ、ネギですよ。しかも採れたて、三本百円のね」
ネギはリュックのサイドポケットから身を乗り出し、我が物顔で那須街道の風を浴びている。
さて、下山したついでにパン屋にでも寄ろう。
少し道をそれて、ようやく辿り着いたパン屋の軒先には、非情な看板が揺れていた。
『本日、店主のやる気が出ないため、お休みします…』
「はぁ~〜〜!?」顎が外れそうなほど……絶句した。
脱力感、膝から崩れ落ちそうになる。
私のこの下山からの努力、そしてパンパンに腫れたふくらはぎの痛み。
それらすべてが、店主の「やる気がない」という名の気まぐれに飲み込まれていく。
私は、閉ざされたシャッターに向かって、精一杯の震える声でこう吐き捨てた。
「Googleマップでは『営業中』になっていたから!」
……私のこの足の筋肉痛は、一体どこにぶつければいいのだろう。と、自分に言い聞かせる。
那須高原の洗礼、まさに「開いててよかった」が通用しない世界。
那須高原に来て、私は悟った。
この街の店を訪ねるのは、もはやショッピングではなく『ギャンブル』である。
看板に誇らしげに書かれた「不定休」の四文字は、「開いていたらラッキー」という店主からの挑戦状だ。
「さて、仕方がない……」
「いや、ダメだ、よくない」。
私はリュックのネギと共鳴するように立ち尽くす。
とりあえず、喉の渇きを癒やしたい。
かつての私なら、目をつぶっていても自販機の光るボタンに指が届いただろう。
けれど、視界に入るのはどこまでも続く深まる木々だけ。コンビニもない。
「自販機さん、どこに隠れているの?」
都会ではあんなに強引に視界に割り込んできた彼らだった。
しかし、ここでは絶滅危惧種並みに姿を消している。
そんな中、視界の端に奇跡のように現れたカフェの看板。
「おー!そう言えばこの辺りにあった、あった、カフェ!」
渇いた喉が、歓喜の産声を上げた。
吸い寄せられるように扉へ歩み寄った私の目に飛び込んできたのは、達筆すぎる文字で書かれた、たった一行の宣告だった。
『冬眠します』
「……えっ、えーーー!」
「熊?熊かっー!」
「しばらく休みます」でも「冬季休業」でもない。
それは、自然の摂理に抗うことを放棄した、あまりに高潔な野生の宣言。
春まで、この扉が開くことはない。
リュックのネギと私は、静まり返った森の中で、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
春まで店を開けないという宣告に、都会育ち?の私は呆然と立ち尽くす。
ここではGoogleのアルゴリズムも最新の通信規格も、那須の自然と店主の「気分」の前には無力なのだ。
私はこの看板たちを通じて、今では那須高原での「正しい暮らし方」を学習し始めている。
「予定通り」に執着する都会の感覚を脱ぎ捨て、吹く風や、眠る土の呼吸に合わせて、自分の気持ちを整えていく。それがここでの作法なのだと。
さぁ、猫缶以外は空振り。
ようやくの思いでの帰り道を登る。
果てなく続く急な登り坂。
これはもはや登山だ。
そして、最大の試練が待ち受けていた。
行く手を阻む、追いはぎのようなサル軍団だ。
家はもう目の前。けれど道は一本道。
彼らがわがもの顔で居座る中、
武器は「攻撃力2」程度のリックからはみ出したネギと積載オーバーの猫缶。
私は進むことも引くこともできない。
まさに、ほぼ丸腰。
いや、猫缶の重みのせいで、丸腰よりも質が悪い。
威風堂々と居座る彼らの前で、私は自分の無力さを知る。
「お願い、早く帰って……」と、猫缶の重みで食い込むリュックの紐に耐えながら、「猿が去る」のをただ震えながら待つしかないのだ。
✎︎______________
那須高原の夜。
漆黒の闇に響く、獣たちの断末魔。
那須の夜は、文字通り「弱肉強食」のライブ会場だ。
あまりの恐怖に、せめてドラマの世界に逃げ込もうとしたその時、画面がプツンと沈黙した。
「……嘘でしょ」。
どうやら我が家のアンテナは、野生の雄叫びのエネルギーに負けて戦意喪失したらしい。
「ちょっと! 犯人がナイフを振り上げた瞬間にブラックアウトって、どんな演出よ!」
私は隣でうとうとしている夫を叩き起こした夜も何度もあった。
「……私、なんでここに来たんだっけ?」と、暗闇の中で膝を抱える夜もあった。
都会では、痒い所に手が届くのが当たり前だった。
指先一つで何でも揃い、不快なものはあらかじめ排除されていた。
そこから一転、この剥き出しの不便さに放り出されたカルチャーショックは、あまりに大きすぎた。
けれど、そんなサバイバル?な洗礼を受け続けて、いつしか5年…
気づいたことがある。
2時間の登山を経て手に入れた一個のパンは、驚くほど重く、滋味深かった。
以前の私なら、パン一個のために往復2時間を費やす人間を「非効率の極み」だと笑っただろう。
けれど、宅配便すら「エリア外です」とつれない返事をするこの地では、買い物は命がけのイベントだ。
夫の休日という「配給日」を逃せば、待っているのは文字通りの自給自足。
だからこそ、目の前のパンが放つ香ばしい匂いは、どんな高級フレンチのフルコースよりも官能的だった。
「大事にいただく」なんて、教科書の中の綺麗な言葉だと思っていた。
けれど、不便さと引き換えに研ぎ澄まされた私の五感は、今、その言葉の本当の意味を、パンの耳の香ばしさから学んでいる。
夜の咆哮に震えるからこそ、翌朝の鳥のさえずりや、風の音、雨の匂い、足元を這う虫たちの小さな命に、猛烈な愛おしさを感じる。
澄み切った空気を吸い込み、降るような満天の星を見上げるとき、私は自分が単なる消費者ではなく、この厳しい自然の一部として「生きている」ことを実感する。
今まで感じたことのなかった五感が、今、鮮やかに目覚めている。
「やる気が出ないから休業」というあのパン屋さんのように、私ももっと自分勝手に、自由になってもいいのかもしれない。
那須はキラキラした高級イメージだが、住んでみるとキラキラと光るのは流す汗ばかり。
私から都会の仮面を剥ぎ取って行く。でもその代わりに、ここには本物の静寂と、魂の自由がある。
ハプニングだらけの毎日だけれど。
私は今日も、猫缶の重みを感じながら、那須の風に吹かれている。
私たちが「終の棲家」に選んだ那須高原は、やはり間違いではなかった。
(終り)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
春日部から那須へ、地図の上ではそれほど遠くない移動のはずが、私の人生にとっては、これまでの価値観をガラリとひっくり返す大冒険になりました。
便利さを手放すことは、最初は怖かったです。
でも、失った代わりに手に入れた「五感で生きる実感」は、何物にも代えがたい宝物でした。
もし今、何かに追い立てられて疲れている方がいたら。私のこの「猫缶登山」の話を思い出して、ふふっと笑っていただけたら嬉しいです。
今後も、ユーモア溢れたエッセイや短編小説を載せていきたいと思います。応援してくださいね。




