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《完結》どうぞ、私のことはお気になさらず  作者: ヴァンドール


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4/22

4話

 舞踏会当日。

 私は本宅へ行き、カンナに湯浴みを手伝ってもらったあと、一緒に離れへ戻った。

 すると、彼女は手ぐすねを引き、笑みを浮かべた。


「さあ、奥様。こちらにお座りください」


 そう言って、椅子を指した。

 そして、いたずらっぽく目を細めている。


「今日こそは、あの黒縁眼鏡を外してのお出かけですからね」


 私は少し苦笑してしまった。


「カンナ、ほどほどにしてちょうだいね」


 そう念を押して椅子に腰を下ろした。


 それからたっぷりと時間をかけて化粧を施され、髪は柔らかくハーフアップにまとめられた。

 鏡に映った自分を見て、思わず息を呑む。そこにいたのは、まるで別人のような女性だった。


「我ながら完璧な出来です」


 カンナは満足げに腕を組んでいる。


「それにしましても、まさか奥様がここまでお綺麗だったなんて……」


 彼女は感嘆の声を漏らした。

 私は少し照れながらお礼を言った。


「カンナ、ありがとう。お洒落って、こんなにも楽しいものなのね」


「奥様、これからはもっと楽しんでくださいね」


 彼女は嬉しそうに言ったあと、ふいに悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「でも、奥様。このお姿は、旦那様には絶対にお見せにならないでくださいね」


 そう言ってにっこりとした。


 支度を終え、カンナが手配してくれた御者に馬車を出してもらい、私はアムール商会へ向かった。

 店の前に着くと、リチャードさんがすでに外で待っておられた。


「すみません、お待たせしてしまいましたか?」


 声をかけると、彼は一瞬、言葉を失い、驚きの表情を浮かべた。


「い、いえ……今、表に出たところです。お気になさらず」


 そう言いながらも、まるで幻でも見たような顔をしている。


「本当にアリーシャ様ですか? あっ、失礼、ついお名前で呼んでしまいました」


「いいえ、そのままで結構です」


 そう答えると、彼は少し微笑んでくれた。


「眼鏡の奥にある瞳を見て、美しい方だとは思っていましたが、まさかここまでとは」


 彼は感嘆の声を漏らした。

 その言葉に、私は頬が熱くなるのを感じた。


 そして馬車に乗り込み、子爵邸へ向かう。

 到着して外に降りると、リチャードさんが手を差し伸べ、エスコートしてくださった。

 玄関から見える会場は、子爵邸とは思えないほどの華やかさだった。

 大理石の床が光を反射し、窓の外には手入れの行き届いた庭園が広がっている。


 会場の中には、すでに多くの紳士淑女が集まり、和やかに談笑していた。


 そしてそんな中、私たちが会場に入ると、その場の空気が変わった。

 数多くの視線が私たちに注がれていた。


「まあ、あのご令嬢は誰かしら?」


「確か、あの紳士はアムール商会の会長では?」


 そんなささやきが広がっていくのが聞こえた。


 ほどなくして、主催者である子爵家のご当主が挨拶に来られた。


「本日はお越しいただきありがとうございます。これはこれは、なんとお美しいご令嬢をお連れで」


 リチャードさんは微笑んで応じた。


「こちらこそお招きありがとうございます。彼女は私の取引先のご令嬢です」


 軽い会話を交わしながら和やかに過ごしていた。

 暫くしてから彼は私を気遣ってくれた。


「アリーシャ様、飲み物を持ってまいります。どうぞこちらでお待ちください」


 そう言って席を外した。


 私はふと視線を窓辺へ向けた。そして息を呑む。

 そこには、居るはずのない旦那様が、一人のご夫人をエスコートしていた。

 笑みを浮かべ、まるで恋人のように寄り添っている。


(確かあの方、イースター男爵夫人では?)


 思わず記憶を辿る。

 そう、間違いない。つい先日、旦那様に頼まれて一緒に葬儀に参列したあの時の方だ。


 そういえば、旦那様のお相手は皆、年上の方ばかり。

 もしかして旦那様は、年上の女性にしか興味がないのかもしれない。

 だとしたら、私のことなど最初から眼中にない。

 ならば、変装してまで気を遣う必要なんてないのよね。


 そんなことを考えていると、ちょうどリチャードさんが飲み物を持って戻ってきた。

 私はそっと視線で旦那様の方を示すと、彼も気づいたらしく、わずかに目を見開いた。


「大丈夫です」


 彼は私の耳元で静かに囁いた。


「今日の貴女が《奥様》であるとは、誰も気づきません。堂々としていらしてください」


 しかしその時、旦那様がこちらに気づき、夫人を伴って近づいてきてしまった。


「これは、アムール商会の会長殿。先日は妻がお世話になった」


 そう言ってから、私に目を向け、にこやかにしている。


「こちらは奥様ですかな? いや、実にお美しい方ですな」


「いえ、こちらは取引先のご令嬢でございます」


 リチャードさんがすかさず応じた。


「そうでしたか、これは失礼。あまりにお似合いだったもので」


 そのやり取りの間、私は一言も発さず、ただ静かに微笑んでいた。

 心臓は早鐘のように鳴っていたが、表情だけは崩さないようにした。


 旦那様が去ったあと、私は小さく息を吐いた。


「心臓が止まるかと思いました」


 そう呟くと、リチャードさんはいたずらっぽく微笑んだ。


「言ったでしょう? 誰も気づきませんよ」


 ニヤリと笑い、何故か得意げな様子だった。


 その後は、何事もなかったように舞踏会が続いた。

 久しぶりにダンスの輪に加わり、最初こそ少し戸惑ったが、すぐに身体が覚えていた感覚を取り戻した。

 音楽に合わせてステップを踏むうちに、胸の奥に懐かしい喜びが蘇る。


『ああ、継母が来る前はこうして楽しんでいた頃もあったわ』と。


 私は、いつの間にか、心から楽しんでいた。

 誰の妻でもない、私だけの自由な時間。


 舞踏会の終わり、リチャードさんは優しい眼差しを向けてくれた。


「今日は本当に素敵な夜でした。アリーシャ様が楽しそうで、私も嬉しいです」


(なんだか胸の奥がとても温かく感じるわ)



 その後、彼は隣国の流行菓子の話などをしながら、私との会話を盛り上げてくれた。


 こうして、長い夜は静かに過ぎていった。

 だけど私の心には、今までにない確かな余韻が残っていた。

 そう、《自由》という名の余韻が。


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