20話
冬の終わり、王都の街にはまだ冷たい風が吹いていた。
《財団》はようやく形を取り戻し、孤児たちのための教育施設も再開の目途が立ち始めていた。
だけど、その矢先だった。
「アリーシャ様、《財団》の会計記録が流出したそうです!」
カンナが青い顔で部屋に駆け込んできた。
手には王都新聞の朝刊。そこには、見出しが大きく踊っていた。
『元侯爵夫人が運営する慈善財団に不正流用の疑惑』
胸が締めつけられた。
記事には、まるで私個人が金を動かしたかのように書かれている。
まさかと思いながらも、誰かの意図をすぐに感じ取った。
リチャードさんが築いた理想を壊したかった人たち。
今度は私を狙ってきたのだ。
そこへ、クラーク卿が駆けつけてきた。
いつもは冷静な彼の顔が、珍しく強い怒りに染まっていた。
「記事は誤報です。すぐに調査を入れます。ですが、貴女は今、狙われている」
「私がですか?」
「財団を王家後援の候補に挙げたことで、敵を作ってしまった。元侯爵夫人が政治に関わるのは好ましくない、そう言い出す者もいる」
アリーシャは静かに息を吐いた。
「私、逃げません。リチャードさんが築いた理想を、ここで手放すわけにはいきませんから」
クラーク卿は軽く頷き、しかしその瞳に深い憂いが滲んだ。
「分かりました。しかし、貴女を一人にはしません。今回の調査、私が直接動きます」
「でも、それでは貴方にまで迷惑が……」
「構いません」
彼の声は、強く、確かな決意を感じた。
「貴女が信じて歩く道を、誰かが邪魔をするなら、私はその盾になる」
彼の言葉に、胸の奥が熱くなった。
ただ、ただ優しさが私を包んだ。
彼はどこまでも限りなく温かい人だった。
数日後、彼は王都議会で堂々と発言した。
《財団》の全ての収支を示し、不正がなかったことを証明した。
その姿を見つめながら、私は気づいた。
理想を語るだけではなく、それを現実にする力を持った人。
そして、その力を誰かのために惜しみなく使える人。それが彼なのだ。
その夜、すべてが終わった後、会議室の外で、クラーク卿が私を見つけ、声をかけようとした。
いつものように微笑もうとしたが、そこにあったのは疲れきった表情だった。
「やっと終わりました。貴女の名誉は守られました」
アリーシャは首を横に振った。
「いいえ、貴方が守ってくださったのです。私だけでなく、理想そのものを」
クラーク卿は少し沈黙し、それから優しく微笑んだ。
「彼が貴女に託した理想を、今ようやく理解しました。ですが私が見ているのは、その理想ではなく、貴女自身です」
その言葉に、息が止まった。
外では春を告げる風が吹き始めたような気がした。
「私は怖いのです、クラーク卿。また誰かを失うのが。誰かを信じて、その先で傷つくのが」
彼はそっと一歩、近づいた。
触れない距離で、ただ静かに言った。
「傷ついてもかまいません。その痛みは、私が受け止めます。それでも貴女が誰かを信じようとするなら、私はその隣にいたい。そしていつかその隣に立つのが私になる日を待ちたい」
その言葉が、心の奥深くに沁みた。
リチャードさんが理想で繋ごうとしたものを、今、クラーク卿が愛として繋げてくれた気がした。
アリーシャは静かに微笑み、彼を見つめた。
「今度こそ私も恐れません。理想のためにではなく、今、ここにいる貴方と一緒に生きるために」
クラーク卿の瞳が、優しく見つめる。
彼はただ静かに、頷いた。
「それこそが、私の一番欲しかった言葉です。アリーシャ様」
外では、新しい季節が始まりを告げているように、二人の未来も、静かに歩み出そうとしていた。




