17話
雨は次第に強くなり、夕暮れの街は白い靄に包まれていた。
リチャードの言葉が、まだ胸の奥で響いていた。
《貴女を解き放たせてください》
あの言葉の重みが、冷たい雨よりも深く染みていた。
けれど、立ち止まってはいけない。
彼から託された理想を、この手で実現してみせるまで。
アリーシャは濡れた髪を直し、通りを抜けようとしたその時
「アリーシャ様!」
背後から呼ぶ声に振り向く。
そこに立っていたのは、クラーク卿だった。
持っていた傘も差さずに、雨に打たれたまま、彼はわずかに息を切らしていた。
「やはり、こちらにいらしたのですね」
「クラーク卿? どうしてここに?」
「ロビンソン伯爵から伺いました。リチャード殿がご自身の権限を全て、貴女に委ねられたと。
お一人で抱えるには、あまりに重いことです」
アリーシャは一瞬、言葉を失った。
彼の声には、同情や、憐れみでもなくただ、温かさがあった。
「貴方まで、心配を?」
「ええ。ですがそれ以上に……」
クラーク卿は傘を広げて彼女の髪にかかる雨を防いだ。
その仕草が、胸の奥を微かに温かくした。
「財団を守るためなら、私も力を貸したいと思っています。ロビンソン伯爵も同じ考えです。どうか、ひとりで背負わないでください」
アリーシャは、俯いたまま小さく息を吐いた。
冷え切った指先が、少しだけ温もりを取り戻していく。
「ありがとうございます。でも、私はもう誰かの犠牲のもとで動くことはできません」
「犠牲ではありませんよ」
クラーク卿は穏やかに言った。
「共に歩む、というだけです。貴女の理想とする未来を一緒に見たいだけなのです」
アリーシャはその言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
雨に濡れている街がほんの少し明るく感じた。そしてその明るさが二人だけを包んでいるようだった。
「クラーク卿、貴方は不思議な方ですね」
「そうでしょうか? よく言われます」
わずかに笑った彼の表情に、リチャードとは違う別の強さがあった。
その瞬間、アリーシャの中で、ひとつの想いが静かに形を変えた。
別れの悲しみではなく、《一歩き出す決意》へと。
「分かりました。では、もう一度始めましょう。
この街に、あの人が願った理想を根付かせるために」
クラーク卿は深く頷き、手を差し出した。
「必ず、支えます。貴女が進む道の、その隣で」
アリーシャはその手を取った。
灰色の空の向こうに、ほんのわずか、明るい光の気配が見えたような気がした。




