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《完結》どうぞ、私のことはお気になさらず  作者: ヴァンドール


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16/22

16話

 街の木々はすでに葉を落としていた。

 私はまだロビンソン伯爵とクラーク卿への返事も出来ずに先延ばしにしていた。

 そんな時リチャードさんから先触れがあり、私は彼の元へと急いだ。


ーーーー


 アムール商会の別館。その一室の窓辺に、リチャードは立っていた。

 机の上には、いくつもの封書と、乱雑に置かれた様々な契約書。

 それら、紙の束が、今の彼の状況を物語っていた。


 アリーシャが訪れたとき、彼は微笑もうとした。けれど、失敗した。失敗したその微笑みには影があった。


「来てくださったのですね」


「ええ、財団の件でお話があると伺いました」


 彼は椅子に座るよう、促した。そして、椅子を引く手は、わずかに震えていた。


「アリーシャ。私は貴女を危険に晒してしまった」


「危険?」


「財団の活動が、政界と商会の一部から反発を受けています。

 [侯爵夫人を利用して私腹を肥やしている] 

 という噂が流されているのです。

 資金の一部が凍結され、支援者も離れ始めた。

 もうこれ以上、貴女を巻き込むわけにはいかない」


 アリーシャは息を呑んだ。

 しかしその瞳には、恐れよりも、悲しみが滲んでいた。


「噂など、真実ではありません。私たちがやって来たことは……」


「今となっては全てが理想です」


 彼は静かに言葉を重ねた。


「ですが、理想だけでは、人は救えない。私にはまだ、力が足りなかった」


 沈黙が続いた。

 外では風が窓を叩いていた。


 リチャードはゆっくりと立ち上がり、アリーシャの方を見た。

 その瞳には、深い決意が感じられた。


「アリーシャ。貴女を解き放たせてください」


「……どういう意味ですか?」


「私はもう、貴女の隣にいて何もしてやれない。

 財団も、貴女の人生も、私の力では守れないのです。だからせめて、自由でいてほしい。誰にも縛られないアリーシャとして。」


 アリーシャは俯いた。

 


「そんなふうに言わないで。貴方がいたから、私はここまで来れた。理想があったからこそ頑張れたのです」


「そう言ってくれるのは嬉しい。だけど、これは私の終わりです」


 彼は机の引き出しから一通の書状を取り出した。そこには、財団のすべての権限をアリーシャに委ねる旨が記されていた。


「これからは、貴女がこの理想を貫いてください。私は、少し遠くでそれを見守ります」


 アリーシャの瞳が潤んだ。

 しかし涙は落ちない。落としてはいけない、と本能が告げていた。


「リチャードさん。貴方がいなければ、この財団は生まれませんでした」


「いいえ。芽はもともと貴女の中にあった。私は、それを見つけただけです」


 そう言って、彼は手を差し出した。

 彼女も静かにその手を取る。

 指先は冷たく、だけど確かに温もりが残っていた。


「ありがとう、アリーシャ。

 貴女と過ごした時間は、私の人生で最も誇らしい日々でした」


 彼の手がゆっくりと離れる。

 その瞬間、アリーシャの胸の奥で何かが静かに砕けた。


 彼女は小さく微笑んだ。


「さようならは言いません。だって、貴方の理想は、これからも私と共にありますもの」


 リチャードは一瞬、目を閉じ、それから穏やかに頷いた。


 外では雨が降り始めていた。

 灰色の空の下、アリーシャは傘もささずに歩き出す。その後ろ姿をリチャードは黙って見送ることしかできなかった。

 追いかけて傘を差し出すことさえ……許されないような気がした。


 アリーシャの頬に冷たい雫が落ちたとき、それが雨なのか、涙なのかは、その時の彼女には分からなかった。


 


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