Feather 2 ଓ 兆し 〜indication〜
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――そして、翌日。早速、エリンシェの学舎生活が始まった。
授業には決まった席がなく、各々自由に座ることができた。そのことを上手く活用し、他の生徒達は仲良くなりたい相手に声を掛け、隣同士で着席すると、上手く授業の合間を縫って、小声で会話することで交流を深めていた。
初日の午前中、最初に行われた「魔術学」でミリアと授業を受けたエリンシェはすっかりその流れに乗り遅れていた。
けれど、そうやって他生徒達は交流していることが分かり、次の授業では同じように行動してみようとエリンシェは決心した。
――それならまず、せっかくの「お隣さん」なのだ、あの二人とぜひ仲良くしたい。エリンシェはそう考え、初日二時限目の「薬学」の授業でどちらかの横の席に座ろうと奮い立った。
積極的なミリアはエリンシェよりも先に、カルドの隣に座っていた。慌ててジェイトを探したエリンシェだったが、すでに出遅れており、他の男子生徒が彼に声を掛けていた。結果、エリンシェの横には面識のない女子生徒が着席することになった。
そしていざ「薬学」の授業が始まると、エリンシェにはその内容が難しく感じ、苦戦した。初日のため実践こそなかったため、説明を聞くだけでもなかなか理解できずにいた。当然、隣の女子生徒に話し掛ける余裕すらない。
必死になって授業に付いていこうとする中、少しだけミリアの方に目を向けると、エリンシェとは違って、上手くカルドと仲を深めていた。
……最悪な気分だ。幸先が良いとはいえない始まりに、エリンシェはすっかり意気消沈し、憂鬱になっていたのだった。
そして、授業が始まってから、数日が経ち。
まだ慣れないこともあるものの、少しずつ新しい生活に馴染んで、時々ミリア以外と着席し、レイや他の女子生徒と交流することができるようになっていた。
……が、肝心のあの二人とはまだ話すことすらできずにいた。進展はなく、悔しいところだが、ひとまず授業に取り組むことに専念することにした。
そんなある日のことだった。
エリンシェはその日、午後から初めて「世界学」の授業を受けることになっていた。昼食後、教室に向かう予定だったのだが、エリンシェはなぜか授業の準備に手間取っていた。
「ミリア、先に行ってて」
焦燥感に駆られ、教科書や筆記用具を鞄に詰めながら、ミリアにそう声を掛ける。
ミリアがうなずき、出発するのを目だけで見送ってから少しした後、エリンシェは学舎の案内図で教室の位置を確認し、寮室を出る。
――その次の瞬間だった。
式があったあの日感じたのと同じ、まとわりつくような視線が――「誰か」が、エリンシェの後を尾けているのが理解できた。
「……っ!!」
息を呑み、エリンシェは走り出すが、後ろの「誰か」も追い掛けて来る。
恐怖を感じ、無我夢中になって教室へと向かったが、あと一歩――というところで、突然、一人の男子生徒がエリンシェの前に立ち塞がった。
驚いて、エリンシェは立ち止まり、その男子生徒を注視する。
……彼だ。なぜか不気味に感じる紫色の瞳で、こちらをじっと見つめている男子生徒と目があった瞬間、エリンシェはそう直感した。――後を尾けていたのは彼だ。
だが、身体が思うように動かなかった。彼にまとわりつくような視線を向けられているうちに、足がすくんでしまっていた。……怖い。
「やあ、君がエリンシェ・ルイングだね? ボクはヴィルド・バルクス。 以後よろしくね」
それを知ってか知らずか、唐突、彼――ヴィルドが口を開き、一歩踏み出し近付いて来る。
思わず、エリンシェは無理やりに足を動かし、後ずさる。
その反応に、ヴィルドが愉快そうににやりと笑みを浮かべ、更に歩を進めるのを見て、エリンシェはより一層恐怖するのだった。
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「何考えてる」
突然、隣に座るカルドに声を掛けられ、ジェイトは我に返った。
世界学の授業が始まるのを待っているうちに、物思いに耽り、無意識に世界学の教室をめくっていたらしかった。手を止め、開かれた頁を見ると、そこには羽の生えた人間の姿が挿絵として描かれていた。
ジェイトはちらりとその挿絵を見た後、教科書を閉じると、ぼそりとつぶやいた。
「……十月四日だって」
「親父さんの話に出てきた『女の子』と一緒だな」
――あの時、エリンシェが感じたもう一つの視線の主はジェイトだった。
エリンシェがミリアやレイと話しているところに居合わせたのは偶然だったのだが、思わず耳にした情報に驚いて、ジェイトは〝彼女〟に注目してしまったのである。
その理由は、ジェイトには幼い頃からずっと、父親に聞かされていた話にあった。
――それはジェイトが赤子だった頃のこと。彼の父親が仲良くしていた女性の出産の場に出向いて、ちょっと産まれた「女の子」と不思議な縁を感じたという内容だった。
父親から何度も繰り返しその話を聞いているうちに、ジェイトは憧れに似た不思議な感情をその「女の子」に抱き、いつしか追い求めるようになっていた。
けれど、その「女の子」の手掛かりはたった二つ。ジェイトの父親が忘れっぽい性格なために、それだけの情報しか分かっていなかったのだ。
一つはその「女の子」の誕生日。十月四日だと聞かされており、ジェイトはエリンシェが同じ誕生日だと知り、驚いたのである。
もう一つは愛称。ジェイトの父親は全員覚えておらず、いつも「エリ……? 何だったかな……」と一部分しか思い出せなかった。けれど、「エリン」と呼ばれているエリンシェの愛称と「女の子」の情報は一致していたのだった。
二つの手掛かりと重なる部分があるものの、確信はない。けれど、エリンシェのことは「女の子」と同じくらい、気にはなっていた。
「あの子、なのかな……」
思わず漏れていたつぶやきに、カルドが反応して「かもな」と相づちを打つのを聞きながら、ジェイトはエリンシェと初めて会った日のことを思い出していた。
――あの日、〝彼女〟と握手を交わしたあの瞬間、頭の中に、小さなふたつの手が繋がれている「光景」が浮かんだ……気がしたのだ。
不思議な「光景」をみるという現象と、一致している二つの手掛かり。ほとんど確信に近かったが、まだ結論には至っていなかった。
「好きなのか」
思考を巡らせていると、唐突に、カルドがそんなことを口にした。
……さすが、小さい頃からずっと仲良くしている親友なだけに、奥底にある「思い」を理解しているらしい。ジェイトはカルドの直接な問い掛けに何と答えるべきか、迷った。
「どうだろう、分からないや。 ただ……――」
――ただ、気にはなっていた。……今はまだ、この「思い」が「何」なのか、分からないけれど。
答えは見つかりそうになかったが、ジェイトはもう少し物思いに耽ろうとしたが、その時ふと、一人で教室に入ってきたミリアの姿が目に入った。
心なしか不安そうなミリアは入口の方を気にしながらも、着席した。
何かあったんだろうかとジェイトが首を傾げていると、隣のカルドがいきなり立ち上がり、ミリアの元へと向かった。そして、彼女に声を掛けていた。何があったのか、直接聞きに行ったようだ。
……それまで「顔が怖い」というだけで距離を置かれ、異性と仲良くしていたことなんてなかったのに。カルドがミリアと同席していたのは「薬学」の授業で一度だけだったと記憶しているが、その短時間で仲良くなっているとは……。カルドがジェイトのことを理解しているのと同じように、ジェイトも彼のことをよく理解しているだけに、ふたりの関係性を意外に感じた。もちろん、積極的なミリアの性格のおかげもあるのだろうが、ふたりはよっぽど気が合うのだろうか……。
そんなことを考えていると、ジェイトはカルドに対して、羨やましいような妬ましいような複雑な気持ちを抱いていた。……とはいえ、もっぱら機会を逃し、〝彼女〟と交流する勇気を持ち合わせていない自分自身が悪いのだが。
ジェイトが独り悶々としていると、カルドが戻ってきた。
「先に行けって言われたらしい。 けど、それにしたって遅いってさ」
ミリアから聞いてきた事情を報告すると、カルドはジェイトのことをまじまじと見つめ始めた。
……また見透かされている。気にはなるが、仲良くなれてすらないのに、首を突っ込むなんて如何なものか。そう考えて弱気になり始めたジェイトに、カルドが今度は目配せをする。――「いいから行け」と促されているようだ。
迷った末に、ジェイトは思い切って立ち上がり、ごまかすかのように咳払いをする。
「……ちょっと、行ってくる」
そして、それだけ言い残すと、足早に教室の外に出る。
寮室の方向に急ぐと、教室からそれほど離れていないところに、エリンシェの姿を見つけた。けれど、何か様子がおかしい。
もっと近付いてみると、エリンシェが怯えた表情を浮かべていることに気が付いた。〝彼女〟の目の前には見知らぬ男子生徒が迫っている。
――気が付いた瞬間、身体が勝手に動いていた。
ジェイトは後ずさりして距離を取ろうとしているエリンシェと男子生徒の前に割って入ると、〝彼女〟を背中にかばった。
「何だ、お前は……?」
後ろからエリンシェの驚いている視線を受け、男子生徒からそんな問い掛けを投げられて、ジェイトははっと我に返った。
……全くだ、一体自分は〝彼女〟の「何」だというのだろう。皮肉なことに、ジェイトはその問い掛けに答えられず、男子生徒をにらみつけることしかできなかった。
一触即発の状況の中、授業の始まりを知らせる鐘が鳴り響いた。
その瞬間、ジェイトは考えるより先に、エリンシェの手を掴んでいた。そして、無我夢中で男子生徒の脇をすり抜け、教室へと走り出したのだった。
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掴まれた手は唐突に、教室に着く直前で離された。
……突然現れ、危機から救ってくれた彼は何も話してくれない。一度もこちらを振り返ることなく、彼は席に着く。……気のせいかもしれないが、その後ろ姿はどこか恥ずかしげにも見えた。
少し呆然としながら、エリンシェはミリアの隣に着席した。
まじまじと、先ほどまで掴まれていた手を見つめながら、疑問に思う。……どうして、彼は私を助けてくれたのだろう。考えたところでその理由は分かるはずもなかった。けれど、エリンシェは、彼が――ジェイトがあの場に来てくれて、とにかく嬉しく感じていた。そして、先ほどまで恐怖していたのがまるで嘘のように、ほっと安心していた。
「エリン、そろそろだよ」
ミリアに声を掛けられ、エリンシェははっと我に返るが、最後にもう一度だけ手を見つめ、感傷に浸った。そしてふと、助けてもらったのにお礼もできていないことに気付いた。……今度、絶対「ありがとう」って言わなくちゃ。エリンシェは心の中で強く決心した。
そうこうしているうちに、少し遅れて、眼鏡を掛けた、一つ結びの栗色の髪の若い男性が教室に入り、そのまま壇上に立った。
……式で気になっていた男性だ。エリンシェはすぐにそう思いながら、壇上の彼に一斉に『こんにちは、先生』と声を揃えて挨拶の言葉を口にする。――学舎に通う者達は賢者達のことを主に「先生」、もしくは「師」と呼んでいた。
彼は少しの間、全員をじっと見つめ始めた。
ふと、エリンシェは彼と目が合った気がした。その瞳は蒼く、まるで海のように綺麗だった。
「皆さん、初めまして。 僕はガイセル・コンディー、世界学を担当する賢者です。 ……さて。 今日は初めてということで、簡単に世界学のことを知ってもらおうと思います。 じゃあ、ちょっと教科書を開いてみて」
「世界学」の賢者――ガイセルの指示通り、エリンシェは手元の教科書を開く。
――その瞬間、エリンシェの心が大きく揺さぶられた。
文章や挿絵の一つ一つに、エリンシェの目は奪われていた。そして、歴史の頁を開いた瞬間、エリンシェに衝撃が走った。……なぜだろう、とても懐かしい気がする。
「僕が担当する『世界学』は、この世界――テレスファイラのことを理解するために在るんだ。 どうやってテレスが創られたか、歴史を知る。 他の世界と繋がりがあるのか、関係を知る。 そして、時には神々やその世界のことを知る。 ……皆が考えているより、この世界は神々ととても深い『繋がり』があるんだ。 ――その『繋がり』を皆に伝えていくのもこの学舎が担う役割の一つでもある。 だからこそ、『世界学』は学舎の中でも重要視されているんだ」
……なるほど、それが理由で、「世界学」の賢者は上級賢者とされているのか。他の生徒達がガイセルの説明に耳を傾けず、教科書をめくる中、エリンシェは独り納得する。
「最初はなじみがないから、難しく感じるかもしれない。 だけど、少しでも理解してもらえるよう、皆に世界学を教えていきたいと思います。 ――それじゃあ、早速、教科書をちょっと読んでいこうか」
説明が終わると、ガイセルが教科書の導入部分を開くよう、指示をし、細かく解説をしながら、授業を進め始めた。
周りが慣れない生活の疲れもあってか、眠そうにする中、エリンシェだけは熱心に、ガイセルの話す内容全てを聞き漏らすまいと集中していた。
――教科書に書かれていることも、ガイセルの解説も、「世界学」という学問の全てがエリンシェの心を魅了していたのだ。
「……やっばり難しいか。 今日はこの辺にしておこうか。 次までにほんの少しでもいいから、教科書を読んでおいて下さい」
導入部分を読み終えたところで、ガイセルが生徒達の反応を見て、苦笑を浮かべた。
他の生徒は足早にその場を後にしていたが、エリンシェだけはその場から離れず、ガイセルのことをじっと見つめていた。すると、今度は確実に、彼と目が合った。
その瞬間、ガイセルがどこか嬉しそうな表情をほんの少しだけ浮かべつつ、優しく微笑んでみせたので、エリンシェは思わず顔を赤くする。
……もう少し、話を聞いてみたい。エリンシェはそう思わずにはいられなかった。けれど、先ほどの出来事もあって、独りになるのは避けたいと考え、どうしようと躊躇う。
「エリン、後で迎えに来るからさ、行っておいでよ」
悩んでいると、エリンシェの気持ちを汲み取ったミリアがそんな言葉で背中を押した。
「ありがとう。 ……って何笑ってるの。 ただ『世界学』に興味あるだけだよ、からかわないで」
そう言ってエリンシェが振り返ると、ミリアは冷やかすように悪戯っぽく笑みを浮かべている。
エリンシェが怒ってみせても、ミリアは「はいはい」と返しただけで、少しも反省の色も見せないまま、単独でその場を後にした。
ミリアを見送った後、エリンシェは席を立ち、壇上にいるガイセルの元へとまっすぐ向かった。そして、彼の前に立つと会釈し、彼をじっと見つめた。
ガイセルはまた優しく微笑みながら、エリンシェに会釈を返した。
その優しい微笑みから目が離せず、けれどなぜか高鳴る胸に、エリンシェは何とか心を落ち着かせようと、深呼吸する。何度か繰り返した後、やっとの思いで口を開き、ガイセルに声を掛けた。
「あ、あの……コンディー先生。 先生のお話、すごく興味深かったです。 だから、その……もう少しお話を聞いてみたいなって……」
「珍しいね。 どこが気になったんだい?」
ガイセルにそう問われ、エリンシェは少し考え込む。……一番、心惹かれたところ。それは……――。
「――神々のところです」
エリンシェのその答えを耳にした瞬間、ガイセルはなぜか複雑そうな表情を浮かべた。
素直な気持ちを打ち明けたつもりなのだが、何か変なことを言ってしまったんだろうか。エリンシェが不思議に思い、彼を見つめる。
けれど、ふっとその表情を消し、ガイセルは何事もなかったかのように、また優しく微笑んでみせた。
「実を言うと、その神々の部分が僕の一番得意分野なんだ。 この世界で一番知ってもらうべきなのに、その反面人々にはあまり理解してもらえない、とても……奥深い知識。 それを君は知りたいのかい?」
先ほどとは打って変わって、真剣な眼差しで語ったガイセルの問い掛けに、エリンシェはすぐに大きくうなずいてみせた。
「君、名前は?」「エリンシェ・ルイングです」
エリンシェが名乗りを上げた途端、ガイセルはまた少し表情を曇らせ、何かを考え始める。けれど、すぐに小さくうなずいてみせると、「おいで」と手招きした。
「よし、エリンシェ、僕の研究室へ案内しよう」
時折気になる素振りを見せるガイセルを不思議に思いながらも、胸の中で湧き上がる興味にかき立てられるかのように、エリンシェは彼の後に続くのだった。




