滴水刑
「おい、加藤。お前、滴水刑って知ってる?」
制服の白シャツの襟を立てた加藤が、半笑いで応える。
「いやぁ~、先輩。無理ッすよ。水田にやるんでしょ?」
「そうよ。」
「どんな状況作りだそうとしてるんすか。マジ、エグいっすよ。」
「だって、あいつ、名前がそうじゃん。水田だけに、水責めは叶えてあげたい? なんつって。ギャハハハハ」
笑いながら、俺は加藤が乗り気ではなかったことに少し苛立っていた。
俺は、後輩の加藤と一緒に、1年前ぐらいから同じクラスの水田をいじめている。
いや、いじめとは人聞きが悪い。可愛がってあげているだ。
水田にとっては、後輩(加藤)から可愛がりを受ける。これは相当な屈辱だろう。
なぜ水田なのか……。
特にこれといった理由など無い。
しかし、俺は水田を見るとなぜか無性にイライラするのだった。
いつもいつもシケたツラしやがって…。
あいつをどう可愛がってやるか、それを考えることが、もはや俺の日課になっていた。
今日も水田を使い、どんな方法で憂さ晴らしをしようかと考えあぐねていたところ、ふと、拷問のひとつである「滴水刑」を思い付いた。今後はこれを適用してみよう、と。
ただ、騒ぎになるのは嫌いだ。
だから、いままで周囲にバレないよう慎重に慎重を重ねてきた。
その成果もあり、俺と加藤が水田に関わっていることは誰にもバレていない。
だが、正直それだけでは飽きてきていた。
内容的にどうしても生ぬるくなるのだ。
誰にもバレず、しかし、水田にはしっかりと打撃を与える方法…。
そうだ!!
それなら滴水刑だと俺は思いついたんだ。体に傷はつかないが、精神的打撃は大きい。
今まで数日間、ぶっ通しで水田をあずかっていても、何も支障なかった。
きっと水田ん家も、俺ん家と一緒。
数日帰らない息子のことなど、気にも留めないんだろうよ。
ましてや、これから長期の休みに入る。
滴水刑をやるための試験的な時間はたっぷりある。
なのに、加藤のヤツ反対しやがって。
最近少し調子乗ってないか?
まぁ、必ず実現してやるから、待っとけよ、水田。
じゃあ、まずは肩慣らしといったところか。
俺は加藤に合図し、水田のところへ向かった。
※※※※※
俺たちは、水田を引き摺って廃墟となった工場に来た。
ここは俺が見つけた優良物件だ。
他人に見つかりにくく、水責めに適しそうな水たまりも至るところにあった。
排水設備や防水処理が劣化しているせいか、雨水などが溜まりやすい状態になっていた。
これからお前は、ここに滴水刑の設備を取り付けるまでの間、いろんな水責めをタダで体験出来るんだぞ。
ありがたく思え!!
そう思いながら、俺は早速、茶色く濁った水溜まりに水田の顔を沈めた。
それを何度も何度も繰り返した。
しかし、今日の水田は、なぜだろう。なぜか醸し出す雰囲気が違った。
何度目かで髪をひっぱり頭を持ち上げ、水田の顔を覗き込んだら、ヤツの瞳はなにか深い水をたたえるようで、その奥がまるで無表情だった。
俺はゾッとした。
だが、すぐに「この野郎!!」という思いが襲ってきた。
やはり生ぬるかったのだ、いままでのやり方は。
俺はバカにされたと思い、カーッとなった。
そばに加藤の飲みかけのペットボトルがあった。俺はそれを奪い取った。
一瞬、この水たまりの水が、かつて工場内で使用されていた化学物質や油などを含んだ汚染水となっているかもという考えが頭をよぎった。
しかし、俺は水溜まりの水をペットボトルへ乱暴に掬い入れた。
「先輩、さすがにそれは……」加藤が躊躇した。
だが、ここまできて、あとへ引くわけにはいかない。
俺は水田の髪をつかんで頭を起こし、無理矢理、汚染水を飲ませた。
俺が立て続けに飲ませるせいで、どうしても飲み込んでしまう汚染水。
胃が痙攣せんばかりの水ってどんな味だろうか。
しかし、水田は気味が悪いほど反応が薄かった。
なぜ自分が?と問いかけることすら無い。
まるで悟ったような。
それが俺を余計にいらつかせた。
ならば、早急に道具を揃える必要があるじゃねぇか。
俺と加藤は水田をロープで縛った。
そして、加藤に見張りを頼み、椅子、木枠、桶など、今後、滴水刑を実行すべく揃えるべきものを考えながら、俺はひとり横断歩道を渡った。
※※※※※
――――――
気がつくと、俺は真っ暗闇に立っていた。
真っ黒な墨のようで、数メートル先さえ見えなかった。
しばらくしたら、目が暗闇に慣れるというが、いつまで経っても慣れない。
なんだ?ここは。
俺はどこに居るんだ?
……やがて……
ポタッ
額になにかが落ちた。
……なにコレ
ポタッ
……水?
手で拭おうとしたが、硬直したかのように手が動かない。
え?なぜ?
頭を動かした。頭は自由に動く。
よかった。
そう思って、たまたま頭の向きを変えたら、
また……
ポタッ
再度拭おうと思って、手を動かそうとした。
が、動かない。
手が固定されているのか?
暗闇の中、凝視してみるが固定されてはいない。
なるほど。
俺は悪い夢を見ているんだな。
「おーい、誰かいないか。」
夢だと思っていても、叫ばずにはいられない。
「おーい」
叫べば目も覚めるはずだ。
「誰かーー」
………誰もいない。
ポタッ
まただ。額に、さっきから何度も何度も!!
どこから水が?
上をみる。真っ暗闇でなにも見えない。
ひたすら不快だった。
俺は前に進もうとした。
ただ、真っ暗闇をむやみに歩くのは危険だ。
杖でも持っていれば、探り探り歩くことが出来るが、残念なことに何も持っていない。
留まるしかないのか?
四つん這いになって、慎重に進む?
とりあえず四つん這いになり、進んでみることにした。
しかし、手が硬直していることで四つん這いが出来ないことに気が付いた。
一体全体、この暗闇はなんなんだ!!
どちらに進めばいいか検討がつかない。
灯りは無いのか?
恐る恐る進んだところで……
ポタッ
ええい、ウザい!!
手を額にやろうとするが拭えない。
途方もない暗闇と、おそらく定期的に額に落ちてくる水滴とで、俺の精神は早くも限界にきていた。
しばらくして、この状況を追い払おうと、俺は目をぎゅっと瞑り、パッと開いた。
そのとき……
俺は、なぜか学校の廊下に居た。
――なんだ、やはり夢だったのか。
夕方の廊下は影を落とし、静まり返っている。
……あれ?
廃工場から出て、なにかを取りに学校へ来たんだっけな?
記憶もないし、そもそもなぜここで目覚める?
まぁ、いいや。
あの地獄のような暗闇と、変な水滴から逃れられただけでも。
ぼんやりした頭で、フラフラ歩く。
ふと前を見ると、加藤の後ろ姿が見えた。
制服の白シャツの襟を立て、廊下を歩いている。
俺はヘラヘラ笑いながら、加藤を追いかけた。
「おい、加藤。俺、へんな夢見ちゃって(笑)」
聞こえていないのか、加藤は止まらない。
「待てよ!!加藤。俺さ……」
俺は小走りで加藤に追いつこうとした。
もうすぐで加藤の肩を叩けると思った瞬間、手が硬直したように動かない。
あ!!これは!!
そして……額に水滴が落ちた。
まさか!!また?!
上を見た。
天井からは水漏れしていない。
俺はできるだけ前へ進んだ。
それなのに、それなのに水滴が一定間隔で追いかけてくるではないか。
―――青ざめた。
もはや天井に問題が無いことはわかっていた。
「加藤、助けてくれ」
加藤は、聞こえないのか延々と続く廊下を振り向きもせず歩く。
―――これはおかしい―――
たまたま廊下に長い物差しが立て掛けてあった。俺はそれを掴もうとした。
なんでもいい。
せめて物差しを額に当てて、水滴が直接あたらないようにしようとしたが、指も硬直して動かなくなっている。
これだとバケツなどを頭に被ることも出来ないだろう。
壁に額を付けて、額を守ろうとした。
しかし、なぜか、額が壁から磁石のように反発した。
教室があった!!
誰も居ない教室に入り、机の下に潜った。
なのに、どうしてだろうか。
机から水が垂れて額にかかるではないか。
ここもダメだ。
廊下に出た。
加藤は居なかった。
水滴が再び襲ってきた。
俺は頭を守ることができない
―――まさか…………
不吉な考えが頭をよぎった。
――滴水刑?!
全身が粟立った。
しかし、滴水刑は「椅子に座った罪人の頭を動かせないように固定し、手も動かせない状態で、頭の上に水滴を落とし続けるというもの」だ。
俺、椅子に座らされてねえし、頭だって固定されてねえし。
滴水刑じゃないじゃないか!!
しかし……
とにもかくにも、このまま水滴を落とし続けられることによって、体を虫が這うような感じがして、じわじわと精神が破壊されていくんだ。
延々と同じことが繰り返されれば、俺の気が狂うことはたしかだ。
―――水田の呪いか?
あいつ、妙に悟ったような目をしていたじゃねえか。
俺の考えが読まれた?超能力かなにかで。
いや、そんなバカな。
そんなバカな話があるわけない。
水田にそんなこと出来るわけねぇじゃねえか。
冷静になれ。
……待てよ。
俺は思い出した。
あの暗闇の中で目を瞑り、目を開けたら学校の廊下だったよな。
ということは、もう一度、目を強く瞑れば、状況が変わるかもしれない。
いや、変わったとして、いまより悪い状況だとしたら?
たとえどうなろうと、水滴が落ちてくることには変わらないだろう。
それでも俺は、一縷の望みをかけて目をかたく閉じた。




