無知と無謀は仲良しです
「ああ、愛しのラヴィアンネッタ!まさにここ、この場所で、君と熱い抱擁と口付けを交わしたのに!なぜ君はここにいない!」
滂沱の涙を流し、この世の終わりかの如く嘆いているのは、ジェームズ・アンセル殿下、現在十四歳。
「こんな気持ち、お前にわかるか、ローズ」
「アメリアローズです、ジェームズ様」
「名前を呼ぶな、その名を呼んでいいのはラヴィアンネッタだけだ!」
「失礼しました、第三王子殿下」
ちなみに、殿下がラヴィアンネッタと呼ぶの少女は、本名をアンさんというパン屋の娘だ。どうやってパン屋の娘と知り合ったのか詳しい経緯など知りたくもないが、二人はあっという間に「そういう仲」になったらしい。それにしても、愛称の方が本名よりずっと長くなるってどういうことだろう。
そしてお察しの通り、ジェームズ第三王子殿下は、私の婚約者である。
ちなみに私はジェームズ殿下より三歳年上の十七歳。物心つく前からこの方の婚約者をやっている。
「愛しい者と共にいられないの辛さが、お前にわかるか!」
私はため息をついた。そろそろ、いい加減にして欲しい。
「一緒にいればいいではないですか、その方と」
ジェームズ殿下は驚いたように私に振り返ったが、すぐにまたソッポを向くと叫び出した。
「結婚はおろか、愛妾にでさえ認めてもらえない。彼女は平民だからという、それだけの理由でだ!なんて理不尽なんだ」
それだけの理由ではないと思いますけど。例えば私という婚約者がいるとか、王族としての責務とか。
「そうですね、ではその方を囲って差し上げれば?私的な愛人には予算がつかないので暮らしは殿下の私財から出さねばなりませんが、アンさんにとっては十分でしょう」
殿下はまた、驚いたように私を振り返った。
「そのようなことができるのか。だが予算がつかないとは?」
この方はどうやら王族教育の敗北を体現しておいでのようだ。
「国がふさわしいと認めていない場合、国庫からの手当てはつかないのですよ。私どもの支出の流れは全て管理されております。好きに使えるのは個人財産として支給されている年金と、自分で稼いだ資産のみ。仕方のないことでございます。国民の血税ですから」
それこそ血税から支出されてきた教育費がもったいないことだ。
私は何度目かのため息をついた。
「でもアンさんは」
「ラヴィアンネッタだ!」
「……ラヴィアンネッタさんは、平民でしょう?彼女の生活を支えるのは殿下のお小遣いの中からの資金で十分なはずです」
殿下はふたたびソッポを向いた。機嫌が悪い時の癖なのだ。
「とても足りないのだ、お前の私財から支援してくれ」
あまりな発言に私は凍りついた。
「……なぜ私がそんなことをしなければならないのです?」
「お前は婚約者だろう」
「ええ、ですからますます、殿下のお相手の女性に支援をするなど、できないとは思われませんか?」
「婚約者なら相手を支えるべきだ」
「あら、これからは私を支えてくださるとの宣言ですか?そうですわね、婚約者ならお互いを支え合うべきですわよね?」
殿下は真っ赤になって黙り込んだ。恥じているのではない、怒っているのだ。
それにしたって、殿下は事業こそしていないが年金をそれなりに手にしているはず。それでも足りないってどれだけ豪遊しているの?
「お前がそんな冷たい女だとは知らなかった!いや知っていたがここまでとは。お前は王族の一員となる資格はない!お前との婚約は破棄する!」
殿下が怒鳴り始めた。頭痛がし始めた私は音もなく立ち上がると、殿下を見下ろした。現在はまだ私の方が背が高いのだ。殿下は明らかにひるんだ。
「殿下、二言はないでしょうね」
「ば、馬鹿にするつもりか、そんなことはできないだろうとたかを括っているのか。俺に二言はない、これでせいせいする!」
私は丁寧に礼を取るとまた殿下をじっと見下ろした。
「婚約破棄、承りました。私という婚約者がいなくなったとて、アンさんと殿下が正式に結婚する道はあり得ないことだけ、最後に申し上げておきます。それではどうぞ、お元気で」
答えも待たずに背を向けると、私はさっさと退出した。殿下も不愉快だっただろうけど、私だって大変不快だ。私はその足で、殿下の兄嫁、王太子妃であるセレーネ様に面会を申し込んだ。
「あなたはそれで本当にいいの?アメリアローズ。弟嫁ではなく、臣下として私に仕えなければならなくなるわよ」
「元々はセレーネ様をお支えしたいと耐えていた婚約でございます。侍女として補佐官としてお側に置いていただいた方が、よりお支えできます」
「ジェームズ殿下が将来の王弟であることに変わりはないわ。浮気したのは殿下だけど、それくらいのことでは王族からはずされないわ。平民の娘を本気で正妃にしようとするなら話は別だけど」
私とセレーネ様は同時にため息をついた。
「父上や兄上に叱られてしまった」
セレーネ様の補佐官となってから少し経ったある日、ジェームズ殿下がしょんぼりとしながらやってきた。勝手に婚約破棄を宣言したことを激怒され、謹慎の上、年金の支給を凍結されたのだ。
だからって私にはもう、何もできない。する気もない。私、忙しいんですが。
「ラヴィアンネッタ、いや、パン屋のアンか、あの娘は、僕の年金が凍結されたら途端に態度を変えて、去って行ったんだ。裕福な平民の方がまだ金回りがいいと言い捨ててね」
そうして彼女がいかに薄情か、裏切られた自分がいかに可哀想かを語り始めた。だから私、忙しいんですってば。
「殿下も同じことをなさったでしょう?」
私は書類を片手にせかせかと歩きながら返事をした。
「……なに?」
「殿下はアンさんがどんな方か、よくわかっていなかったではないですか。それでも、アンさんの容姿に恋なさった。いえ、欲情なさったでしょう?アンさんは殿下の地位と財産だけを欲し、殿下はアンさんの肉体だけを欲した。殿下がアンさんになさったことが、そのまま返ってきたのですよ」
殿下は足を止めたが私は振り返りもせず歩き続けた。慌てて追いついてくる。しつこいな。
「そ、それでだな、俺との婚約がなくなって、お前はよかったのか?」
「……お前と呼ばないでくださいね、もう婚約者ではありませんから」
「そ、その話なんだがな、ローズ」
「アメリアローズです、殿下。呼び捨てにもなさらないでくださいませ」
「あ、アメリアローズ、嬢。お前……、君との婚約なんだが……」
「解消の手続きのことなら、順調に進んでおりますよ。近日中には正式に受理されて、公式に発表されることになるでしょう」
「……」
全く、人を馬鹿にするのも程々にしてもらいたい。いくら殿下がまだ十四歳といっても無知がすぎる。
今後、彼が成長して、人生の暗黒期を抜けて、立派に成長して花束と宝石を抱えて跪き懇願でもすれば、今後のことを考え直してもいい。それまで、私が待てるかはわからないけどね。
今度こそ立ち尽くした殿下を置き去りに、私はまっすぐに歩き続けた。
ありがとうございました。




