悪魔のいけにえ
『たとえばこんなシチュエーションがありうる』
と寺生氏は説明する。
『《存在》からの逃避路を求めて山道を疾走していると、木陰の向こうにふと逃げ惑っていた筈の《存在》の姿がよぎる。奴の指攻撃は最大で四連続まで行うことが出来るが、その後はインターバルが必要になる。インターバルを終えたらランダムな場所に移動して、また攻撃の繰り返しだ。ここはもう身代わり作戦しかない。オメェの傘下のゾンビ総動員して行動を共にして、《存在》が目の前の出現したら四人犠牲にして逃げることを繰り返して下山するんだ。山の結界は生きているから、奴は山の外には絶対に出られねェ。だからそこまで行きゃ逃げ勝ちだ。結界と言うか境界線は見りゃ分かるようになってる。消耗戦だし運の要素が強いが、生還するにはこれしかねェ』
早口で説明する寺生と、すぐさま理解してまだ生きているゾンビたちを総動員させる利人。
ゾンビ相手にまだ生きているも何もないが。
「寺生さんはどうするんですか」
『オレはもう現在進行形で下山してるが――まァ、生きて帰れるかは運次第ダナ。最悪オレらが全滅したら、その時は寺生家の人間がどうにかしてくれンだろ。理想を言えばテメェのケツくらい自分で拭きたかったが、奴相手じゃどうしようもねェ』
「そうですか。検討を祈りますよ」
そう言って通話を終える。
何となく、もう会えないのだなと悟った。
ひょんなことで知り合って今まで共に死闘を乗り越えてきたが、最後は呆気ないものだ。
その後は、想定内の地獄が続いた。
かつてこの山を支配していた悪魔と、その後で次々とこの山に封印されていったモンスターたち。
舞い散る。
砕ける。
潰れる。
吹き飛ぶ。
爆ぜる。
枯れる。
眠りを妨げる。
爬行する鉄の王女。
絶えず自壊する泥の人形。
結合する。
反発する。
地に満ち己の無力を知る。
全て、悪魔にいけにえになる。
途中、顔半分を光の粒子にしながら八尺様が言った
「生きて帰ってね」
という言葉が印象的だった。
初めて「ポポポ」以外の、声真似でない生の声だ。
俺はこの時、初めて帽子の下の彼女の涼しげな双眸を見た。
感動的な場面だが、俺は同じく光の粒子になって消えていく柴田理恵を思い出していた。
それより、《存在》だ。
あんな間抜けな面構えなのに、あまりに凶悪すぎる。
見た目と性能に差がありすぎるのだ。
いや――今さらか。
この山では全てがチグハグだ。
胡散臭いオッサンが有能な霊能力者だったり、怨霊のくせにステゴロ最強だったり、親友だと思ってたのが嘘つきのサイコパスだったり、平凡な大学生だと思ってたのがゾンビだったり。
きっと誰もが皆、思い違いをしている。
何も見えていないし、分かっていない。
見えているのは虚像で、分かったつもりでイメージする認識図は現実と激しく乖離している。
だから名前と個々の要素だけを聞いただけで、ヴァニラ・アイスを美少女と勘違いするような事態が起こる。
いつだって、誰も何も分かってないのだ。
もちろん、今もそう。
完全に楽観視していた。
配下のゾンビたちを犠牲に突き進めば下山して生還できる――そんな、生ぬるい展望。
できる訳ないじゃないか。
増えたり減ったりで正確な数は把握していない。そう言えば八尺様はいつの間にかゾンビに戻っていたようだったが、それでも二〇人にも満たない人数だったのは分かっている。
それで、一度に四人消されるのだ。
あっと言う間に弾切れになるに決まっている。
案の定、利人は寺生との通話を終えて数十分ほどで手駒を全て使い果たしてしまった。
走る利人と、その肩に捕まるだけの俺。
お互いに、無言。
月明かりの下に、小さな山荘が見える。
「……あそこに、入ろうか」
そう言って山荘の前で俺を降ろし、月明かりの下の草むらで、右手を差し出して先を促す。
幼少期のフルーツジッパー・早瀬ノエルか。
俺は促されるままに中に入る。
そこも一切家具のない板敷きの六畳間で、俺は扉の横の壁際にズルズルと座り込む。
関節が固まってしまって、もう簡単な動作を行うのも難しい。
肘と膝はピンと伸びたまま。腰と首が動かせるのが救いか。
利人は俺の向かいにスッと正座して、こちらの目を見てはっきりと言う。
「僕たちはもう駄目だ。残念ながら、ここで死を待とう」
あまりに快活に言うものだから、俺は炭治郎に励ましの言葉をかけられた玄弥のような顔になってしまう。
「知っての通り、もう手駒はない。《存在》には敵わない。僕たちの戦いはここまでだよ。インターバルが終わって《存在》がここに現れるまでの命だ」
「そ、そそそ」
「それでいいんだよ」俺がどもっている間に先を読まれて答えられてしまう。「精一杯やったけどね。詰んだよ。ここで投了だ――だからまあ、ゆっくり天国からのお迎えが来るのを待とうかね」
左手を後頭部にやって壁にもたれ掛って呑気なことを言う。
同じくフルーツジッパーの仲川瑠夏か。
「俺たちが行くのは地獄だよ」
こういう時だけ、スッと言葉が出る。
「エッフェル塔はパリだよ」とツッコむ女の子みたいだと我ながら思う。
「間違いないね。地獄へのカウントダウンだ」
それでもまだヘラヘラと笑う利人に、俺はずっと思っていたことを口にする。
「りり利人――さ、最初から、生きて帰るつもりなんてなかったんじゃないの?」
「……キッショ。何故だ! 何故分かる! 東野史也~!?」
事ここに及んでおどけて見せる利人に、俺はつっかえながらも静かに言う。
「てて寺生さんと話している時からずっと違和感があったんだ。殺人の証拠を掴まれてるから、さ、鮫島を消すってのがお前の目的だったよな。でで、でもさ、鮫島個人をどうこうしたって、証拠が消える訳じゃない。村の人間だか私設の闇組織だか知らないけど、このゲームにはかなりの人間が動いている。如月、古賀、愛理、それに利人にルール説明をしたって言う如月の妹――それだけじゃない、もっと沢山の人間だ。鮫島だけを殺しても駄目なんだ。りり利人が、そのくらいのこと分からない訳ないんだよな」
「まぁねぇ! 関係者全員抹殺して、アジトに乗り込んでデータ全部破棄するとかしないと無理だろうねぇ! そりゃ殺人鬼じゃなくてスパイの仕事だ! ジャンルが違う!」
「そそその後だってさ――」
「言いたいことは分かるよぉ! 『ぶっちゃけ、ゾンビが人間社会に溶け込んで生きるのなんて無理あるよな?』って言いたいんだろぉ!?」
両手を広げて俺の疑問を先取りする利人。
3Dの劇場版ドラえもんに出てくる大人になったスネ夫みたいだ。
「りり利人の、本当の目的って何」
「まず、殺人鬼がどう生きるべきなのか――真っ当な社会生活を送らず、人の生を奪うことで喜びを見出す人間がイニシアチブを取っている。これは、いけない。人に対してどうあるべきなのか――それがどういう意味なのか――本当にそれでいいのか――それがどういう影響を及ぼすのか――みんなが」
「ねっとり喋るなぁっ!」
思わず怒鳴ってしまった。
「そんなカツオに説教している波平みたいに」
「じじじ時間がないんだろ!? 結論を言ってくれ!」
「お前、だいたい察しついてるんじゃないの」
「お、お前の口から聞きたいんだよ」
「分かったよ――別に、僕の行動原理はシンプルだよ」
お前と、遊びたかっただけ。
「繰り返し言うけど、僕の人生は本当につまらなかったんだ。何に対しても興味も情熱もないから、何をしても心が動かない。女性の首を絞めるしか関心のない人間なんて、終わってるでしょ。だから僕は、自分の命にすら大した執着はなかった。こんな人間、いつ死んでもいいと思ってたよ」
淡々と語られる利人の本心。
「でもこの山に来て、お前と出逢って、いくつも死闘を繰り広げてさ――僕は初めて『面白い』って思えたんだよね。それと同時に、色んな感情も覚えたよ。怒り、焦り、恐怖、興奮――人を信頼し、感謝し尊敬して、情愛を抱く。勿論そのほとんどは演技だったけど――次第に、本物だと思うようになってきた。皮肉なことに、この悪夢みたいな地獄が、僕を人間にしてくれたんだよ。お前に対してもそうだ。最初はただの手駒ゾンビだった。だけど何度も身を挺して僕のことを守ってくれているのを見て、本気で親友だと思うようになっていたんだよね」
「で、でもそれは」
「そう、召喚されたモンスターがマスターを守るのは当たり前のことだ。分かってるよ。それでも僕は、絆された。お前が大事な存在だと思って――いや違うな。そんな情愛を感じるほど人間らしくなった自分を嬉しく思ってたのかな。まあもう何でもいいや。優勝とか鮫島の首とか生きて下山するとか、本当はどうでもよかったんだ。とにかく僕は出来るだけ長くお前とこの地獄を楽しみたかった。それだけだよ。モンスターが跋扈するこの戦場だけど、僕はテーマパークに来たみたいだと思ったよ」
もう、閉演時間みたいだけどね。
利人が顔を上げる。
《存在》がこっちを見て笑っている。
指が光る。
利人が。
俺が。
端の方からサラサラと砂になって崩れる。
最後に、お互い手を取り合った。
繋いだその手も、崩れる。
数瞬の内に無になる『親友』を見て――
もう俺は、何も思い浮かべなかった。
悪魔のいけにえ(1974) 監督:トビー・フーパ― 主演:ガンナー・ハンセン
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