メグ MEG
北関東の海沿いに位置するI県が有する関東最大の湖――その湖畔にある大型公園のベンチには若い娘の姿があった。
マクドナルドのクルー制服にブルゾンを羽織っている恰好で、髪は明るめの茶髪をピッグテールにしてまとめている。
歳は十八歳になるはずだが、小柄で童顔なためか中高生にしか見えない。
彼女はイヤホンをして両手持ちにしたスマホを凝視している。
また好きな映画でも見ているのだろう。
過ぎ行く風はやや肌寒く、色付いたイチョウの葉がハラハラと落ち、彼女の手元に落ちる。
その葉をサッと払い、視線の先の靴に気が付く。
赤のベースに黄色のライン、爪先がくるりと反り返って先に小さな球がついている特徴的な靴だ。
それでようやく、この子は俺の存在に気が付く。
「……遅いよぉ」
視線を上げ、頬を膨らませて見せる。
「悪い悪い。午前の演目が長引いちゃってな」
「まあ、仕事の後で着替えもしないで来たんだなってのは分かるけど……」
そう言いながら俺の恰好を見る。
カラフルな水玉模様が目を引くド派手な道化師衣装だ。カツラは外しメイクも落としたが、やはり奇矯な格好であることは否めない。公園にいる周囲の視線を独り占めしている自覚はある。
「そっちだってバイト服のままじゃねえかよ」
「レベルが違うでしょー。わたしはブルゾンも着てるし――まあいいや。早く座ってよ、お父さん」
「今日は朝飯抜いたから、お父さんお腹ペコペコだよ。今日の賄いは何だ、恵美」
嫁が家を出て行ったのは三年前のこと。
ろくな稼ぎもないくせに毎日浴びるように飲んで暴れて手を上げることもあったのだから、それはもう、俺が百パーセント悪い。
むしろこの時まで俺と所帯を持ち続けていたことに感謝しなくてならない。
嫁がいなくなることも寂しかったが、それ以上に辛かったのは、娘の恵美を連れて行ってしまったことだ。
勿論こんなアルコール依存の屑野郎に年頃の女の子を育てる甲斐性などある訳もないし、親権を争うつもりなど毛頭なかった。
こうして、月に一度でも面会交流させてもらえるだけで有難いというものだ。
現在、恵美は十八歳。
大学に通いながらマクドナルドでアルバイトをしている。
初めてのバイトは大変なようだが、真面目で社交的な恵美にこの仕事は合っているようで、楽しそうにしている。
「また朝ごはん抜いたの? どうせ二日酔いで食欲なかっただけでしょー? ちゃんと食べないとダメなんだからね。パフォーマンスに影響が出るんだから」
「ハハ、分かってるって」
唇を尖らせながら知ったことを言う恵美の言葉を、俺は笑って受け入れる。
「わたし、お酒が飲める歳になっても絶対飲まないって心に決めてるんだ。お酒飲んでいいことなんて一つもない」
「いい反面教師になれたって訳だ」
「誉めてないけどね。あと、賄いじゃないから。定食屋じゃあるまいし。従業員割で30%オフにはなるけど、それでもお金は払ってるんだから」
「有難いねェ。娘のおかげで今日初めてのおまんまにありつけるってんだから」
「もう……今だけだからね?」
上目遣いで恵美は言いながら、持ち帰り用の袋からゴソゴソと紙に包まれたハンバーガーを取り出す。
恵美はダブルチーズバーガーで、俺は普通のチーズバーガー。
通称ダブチと呼ばれるそのバーガーは娘イチオシで俺にも強く勧めてくるのだが、初老のアル中には重すぎる。
普通のチーズバーガーセットですら、毎回フライドポテトを残してしまうくらいだ。
それに対し、小柄な筈の恵美はニコニコでボリュームのあるハンバーガーにかぶりついている。
この子が幸せそうにしている時が、俺にとっての幸せだ。
マッククルー制服の若い女性と道化師服の中年男がベンチに並んでハンバーガーを食べている絵面が周りからどう見えているかは分らない。
ただ、俺にとっては今この瞬間の遣り取りが世界の全てだった。
「そう言えば、この前貸したDVD、見た?」
ハンバーガーを半分以上食べた辺りで、不意に口を開く恵美。
「ああ……見たよ」
そう言って俺は先月娘から借りたDVDをカバンから取り出し、差し出す。
タイトルは『エクソシスト・シャーク』。
パッケージには十字架を掲げる神父の背中と、奥から向かってくる巨大なサメが描かれている。
「どうだった?」
そう聞く恵美の目は期待で爛々と輝いている。
……困ったな。
言葉に迷ったが、口下手な人間が誤魔化しても上手くいかないだろうなと判断し、思ったままを口にする。
「正直、よく分からなかったなあ。観る前は悪魔に憑りつかれたサメと神父が戦う映画だと思ってたんだけど、何かよく分かんない場面が多くて……ううん、お父さん学がないからさあ、映像に込められた高尚な意味とか分かんないんだよなあ」
「高尚!?」
食べているダブチを吹き出しそうになる恵美。
「――アハハハハ! 違う違う! そんなの、ないない!」
一旦口の中のものを飲み込んでから上を向いて大口で笑い、ブンブンと手を振る。
「つまんなかったんでしょ!? お父さんのその感想、合ってる! Z級サメ映画って、そんなもんだから!」
「Z級……?」
「そ。ハリウッドとかで制作されるビッグバジェットはA級、低予算で作られたけどよく出来てるねって映画はB級、それからグゥゥーッとランクが下がって、脚本も演出も芝居も最低、退屈で意味不明、それを楽しむのがZ級!」
「つまらないを、楽しむのか?」
「そだよ! そういう楽しみ方もあるの! よく洋画に比べたら邦画なんてクソだって言う人がいるけど、それは間違い。ハリウッドだろうが駄作はたっくさんあるの。でもそういうのは配給会社が選別するから、普通は海を渡ってこない。唯一の例外がサメ映画。奴らは海を泳ぐからね。それで、どういう訳か一部の日本人にカルト的な人気があって、愛好家もたくさんいるワケ。でまあ、調子に乗ったのか知らないけど、今やサメ映画のサメは淡水を泳ぐとか巨大化するなんてのは優しい方で、空を飛ぶ、地中を潜る、別の動物と融合する、頭を増やすと何でもありなの。それでこの『エクソシスト・シャーク』はね、元々は『デビルシャーク』ってタイトルだったんだけど――」
始まった。
こうなると長い。
恵美は昔から映画が好きで、よく映画館にも連れて行ったし、レンタルビデオ屋にもよく行った。大学ではそれが高じて映画研究サークルなんてのに入ったらしい。そこの仲間に影響されたのか別の要因があったのかは知らないが、最近はサメ映画なるものにはまっているらしい。毎月の面会交流でDVDを借りて観るのが恒例化しているのだが、この数か月は珍妙なサメが大暴れする映画ばかり観させられている。はっきり言って何も面白くないのだが、娘が推すものだから仕方なく最後まで観る。それで感想に困るのだが、恵美はそれで満足らしい。こうして、サメ映画講義をしてくれる。
「……って、もー! ちゃんと聞いてるー!?」
「聞いてる聞いてる。ハハ、恵美は詳しいなあ」
「当ったり前でしょ! 将来の夢は映画監督なんだからね!」
「映画研究サークルだっけか。そこでは自主映画とか撮ったりするのか」
「するする! 今度ね、先輩の実家が湖畔に別宅があるらしくって、そこに集まって合宿撮影するんだよ!」
「湖畔に別宅って、何だい、その先輩ってのはお金持ちなのか」
「凄くない!? お父さんが国のお偉いさんらしくってね、その別宅にはホームシアターもあるんだって!」
「……へえ、そんなの東京の私立に通うものだとばかり思ってたのにな。恵美の大学にもいるんだな」
恵美が進学したのは地元の国立大学だ。
俺と嫁は私立でもいいと言ったのだが、優しいこの子は親の経済事情を考えて国立大学を受験し、見事現役合格を果たしたのだ。
優しく、明るく、聡明な子なのだ。
俺の遺伝子はどこに受け継がれたのだろう。
Z級と熟知しながら勧める〝いい性格〟辺りか、俺の要素は。
「あ、そろそろ休憩時間終わりだね。戻らないと」
恵美と話していると時間が過ぎるのが一瞬だ。俺は結局チーズバーガーを食べきるだけでサイドのポテトは食べきれなかったが、それは恵美が食べてくれるらしい。いつものことだ。
「じゃあ、次はこれね! これも、すっごく〝面白い〟からね! 期待していいよ! また感想聞かせて!」
そう言って、半ば押し出すようにしてDVDを渡し、恵美は踵を返してその場を後にする。
DVDのジャケットには『フランケンジョーズ』と書かれてあった。
マクドナルドのユニホームの裾をはためかせながら駆けていく娘の後ろ姿を、俺は生涯忘れることはないだろう。
その一週間後、恵美は湖畔にて水死体で発見されたのだ。
MEG ザ・モンスター(2018) 監督:ジョン・タートルトーブ 主演:ジェイソン・ステイサム
#今だけダブチ食べ美




