兆し Signs
祠を、壊した――?
「って、俺が!?」
思わず立ち上がっていた。少し頭が痛んだが、だいぶ和らいできている。
それよりも、今は祠だ。
「そうだよ。覚えてないものは仕方ないけど、事実は事実だからね」
頭痛は引いたが、それと同時に血の気も引いた。
弁償、賠償金、といった言葉が頭を過ぎる。謝罪で何とか――いや、それは虫がいいか。何とか自力で修復できないかもと一瞬思ったが、一目見て無理なレベルだと察する。
「でもさ、事故なんだよ。ぶつかっただけだもの。それであんなガラガラ崩れるなんて、ちょっと理不尽だって。そこは僕も証言するよ。故意じゃなかったってさ。史也のためだもの」
利人の言葉は頼もしいが、気は晴れない。
「……どこに言えばいいのかな。警察とか、役所とか?」
「警察――はやめよう。管轄外だよ。僕も詳しくないけど、役所の文化財とかを管理する部署じゃないの。窓口で聞けば分かるでしょ」
「と言うか、そもそもの話なんだけどさ――」
俺たち、何しにこんな山にやって来たんだ?
鬱蒼とした木々に囲まれた、人工物など壊れた祠くらいしかない山の奥である。
俺も利人も大学生だ。こんな山奥に住んでいるとは考えづらい。ならば何かをしに山に来たということになる。普通に考えれば登山だけど、俺はTシャツで利人はニットだ。無理ではないが、登山するには軽装すぎる気がする。
「そうだよね、覚えてないんだもんね……」
露骨に顔を曇らせ、こちらに背中を向けて癖のない黒髪をクシャクシャと搔いている。
事情しかない。
愚鈍な俺は都合よく記憶を失ってしまったが、利人は当然、全て分かっている。
だから、悩んでいる。
今さらながら、とてつもなく申し訳ない気持ちになる。
「……まあ、山に来た理由はおいおい話すよ。それより今は――何してるんですか」
利人の声色が急に変わる。
彼の視線を追うと、そこには一人の人影。
崩れた祠の瓦礫をしゃがみ込んで見ている。
年の頃は三〇代だろうか。
細面の痩せた男で、無造作に伸ばした長髪を後ろでしばっている。無精髭を生やし、おまけに火のついた紙煙草を咥えているものだから、何だかひどくだらしない印象を与える。
「これやったの、どっち?」
男が、ボソリと聞く。低く渋い声だ。
『これ』というのは当然、壊れた祠のことを指しているのだろう。その短い言葉だけでは断言できないが、咎めているというよりむしろ、純粋な疑問として聞いているように感じた。
「それは僕が――」
「俺がやりました!」
焦った。
この親友、ノータイムで罪を被ろうとしやがった。
いくら記憶を失ったって、人間性までなくした訳じゃない。
大人しく濡れ衣を着させて堪るか。
「スミマセン! あの、わざとじゃないんですけど、ぶつかっちゃったみたいで……これから届出を出そうと思ってたんですけど……」
「…………」
俺の言葉が聞こえているのかいないのか、無精髭の男は立ち上がり、目を眇めて手をポケットに突っ込み、こちらに向かってツカツカと歩いてくる。しゃがんでいる時は分からなかったが、かなり背が高い。物凄い猫背なのに、それでも俺より頭一つ以上大きい。
「……コイツ、何言ってンの?」
俺を指差し、利人に尋ねる。何だか分からないが無礼な男だ。
「スミマセン。かなり頭を強く打ったみたいで、記憶をなくして色々分からなくなっちゃってるみたいで――」
申し訳なさそうな利人。こんな得体の知れない男に低姿勢に出ることなどないのに。
「フ――ハハハ! ああそう! そういうことね! あーハイハイ!」
それまで両手ポケットインで前かがみ気味だった男、今は腹を抱えて身を反らせて笑っている。
と思うと、再び身を屈め、利人の肩に手を回し、耳元に口を寄せながら囁く。
「お前ら――死ぬなよ?」
利人は男を見る。男は利人を一瞥して、ヒラヒラと右手を振りながら背を向けて土の露出した道を去っていく。
「じゃあね~」
「ちょ、ちょっと待ってください! 死ぬって、祠を壊したからですか! 何が起きるんですか! 僕らは、どうすればいいんですか!」
叫ぶ利人。
男は、すでにいない。
数瞬の、静寂。
――ォォォ――
何か、聞こえた。
「何の音?」
「何が?」
利人はまだ男が去っていった方を見ている。
音は逆方向から聞こえた。
――ァォォォ――ン――
遠くから、何かが聞こえる。
高く、太く、頭と腹に響くような、そう、まるでサイレンみたいな……。
瞬間、総毛立った。
空気が張り詰める。
何かが――来る。
「史也、後ろ!」
利人の声に勢いよく振り向くと、こちらに向かって失踪してくる一つの影。
木々の間を縫うようにジグザグに高速移動しているため、視認が難しい。
一番手前の一際大きな木の幹から、影が姿を現した。
それは――。
サイン(2002) 監督:M・ナイト・シャマラン 主演:メル・ギブソン
#祠ネタ(おじさん)