まだ知らない変化
茹だるような熱を感じて、目を覚ました。寝かされていた布団も、着ている服も汗で濡れていて。その不快さに眉を寄せる。起き上がると、ぽとりと額からぬるくなった手拭いが落ちた。何があったのか思い出そうとして、ずきりと頭が痛んで。けれど、何が起こったのかはちゃんと思い出すことができた。
(朱羅に何かを飲まされた、んだよね)
とろとろとした粘性のある何かを。咄嗟に押し返そうとしたときに、何も触れなかったから、あれは物質として存在するようなものではなかったように思う。なのに、かすかな甘さを感じた。それが何かまではわからなくて、考えれば考えるほどドツボにハマりそうになって。一度考えるのをやめようと、頭を振った。
「お風呂入りたい……」
ぽつりと呟いて、立ち上がると襖に手をかけた。前は朱羅の何らかの力によって、開かないことが多かった襖は、今日はスーッと簡単に開いて。何だか変な感じだなぁと思いながら、廊下に一歩出る。
「華様、湯浴みでしたらこちらへ」
その途端、平坦な声がかけられて。驚きのあまり肩が跳ねる。声の方を見遣ると、面布をしている中学生くらいの背丈の人がいた。
「私のことは気軽に式、とお呼びください。主人様の留守中、華様のお世話を仰せつかっております」
ぺこ、と頭を下げた式につられて、私も頭を下げる。そうすると、式はまた平坦な声で「華様が頭を下げる必要はありません」と言うと、くるりと背を向けた。どうやら、湯浴み——お風呂に入れる場所へと連れて行ってくれるらしい。
「あ。着替えはどうしたらいいかな?」
お風呂に入れるのは嬉しいけれど、朱羅に連れ込まれたのもあって、ほぼ身一つである。転移したときと同じように、スマホは持っていたけども。
「手配は済んでおりますので、ご安心ください」
一言そう簡潔に告げた式は、またスタスタと歩き出す。出かけているらしい朱羅が戻ってきたら質問攻めにしてやろうと思いながら、その背中を追いかけた。
*
「ほう?そもそも俺はあいつを自分の領域に連れ込むことを黙認してもらう代わりに、見つけるまではその課の仕事を手伝う、という契約の元で働いていたわけだが。今更それを覆そうとしている、と言ったのか?お前たち人間風情が??」
朱羅は不機嫌さを隠すこともなく、机を指でコツコツと叩く。一応、人化の術で取り繕った羅刹としての参加である。朱羅が人化の術をせずに、そのまま話し合いでもしようものなら、卒倒する人間が後を立たないので。
「で、ですから…その、羅刹様の領域に閉じ込められてしまうと、大変言いにくいのですが、その。彼女は失踪という扱いとなり、最後にいた羅刹様に容疑がかかるのです」
「それで?」
「そうなりますと、我々政府の名に傷がつくと言いますか……」
朱羅は、額から流れる冷や汗を拭っても拭っても垂れてくる腰の低い人間を、冷めた目で見る。朱羅にとって、政府の名誉などどうでも良い。朱羅は約束を何一つ違えてはいない。いつだって人間は都合の良いように、自分たち妖を使いたがる。人間は妖よりも遥かに非力で弱いくせに、強い立場を取って、自分が強者のように振る舞い、悦に浸る。それが立場が上であれば上であるほど、用意周到に他の存在に妖のことがバレないようにしながら。
「まぁ、しゅ……じゃなかった。羅刹の主張ももっともでしょ。吾が保存してる古〜い契約書に当時の上司のサイン入りで“羅刹が一人引き込むことを黙認す”って書いてあるし!それを反故にするのはどうかと思うよ?」
「で、ですが…!」
「そ、れ、に!今羅刹引き込めてウッキウキだからさあ。
——邪魔したら殺されるよ?」
ひっ、と喉が引き攣るような悲鳴を最後に、その人間はドタバタと扉に駆け寄ると、腰を抜かしかけながらみっともなく走り去っていく。その姿を見ていた蘇芳は、けらけらと嗤っていて。
「というかそもそも吾は朱羅の味方なのに、この場に呼んで何がしたかったの?狐里」
「いやなに、わっちが言うても迫力がないようで。蘇芳なら鬼神の迫力で、面倒ごとを追い払ってくれるやろなあって」
くるくると一番上座に当たる椅子で周る狐里が、くすくすと笑う。その姿を横目で見た朱羅は、スッと立ち上がると扉に向かってまっすぐ歩く。
「式から念が飛んできた。華が起きたらしい。俺は戻る」
部屋から出る間際、背後の蘇芳と狐里に告げると、蘇芳が愉快そうに声をかけてくる。
「それで、首尾はどんなかんじ??」
「後一歩、だな」
「ならいいや!一気に染めちゃうと、色々ダメになるから焦らないでね!」
そのアドバイスにひらりと手を振って、朱羅は今度こそ部屋を出た。




