朱羅の愛執
「どういうつもり、な。こう言えばわかるか?飲むのは針千本じゃなくて、相手のお願いごと。そうだろう?」
朱羅が口にしたのは、二人の間で決めた約束のルール、で。確かに、詳しいことは決めていなかったことを思い出す。あのとき、私は必ず朱羅のところへ戻ってくる、戻ってこられると愚直にも信じていたから。私は願いごとなんて何も決めていなかったし、朱羅もきっとそうだった。
「不思議か?」
朱羅が鎖を軽く引く。その力は私についている首輪に伝わって、自然と首が反る。自然と持ち上がった視線には、朱羅のどろどろとした愛おしさが煮詰められたような昏い黄金が輝いていて。
「考えたんだ。この数百年間」
鎖を握る手はそのままに、もう片方の手が、場違いなほど優しく頬を滑る。大事なものに触れるような手つきは、あの世界で過ごしていたときと変わらないのに。何かが決定的に違うと、直感が伝えてくる。すり、すりと優しく撫でられると、背筋が震える。
「ハハ、もしかして怯えているのか?だが、もう遅い。本当なら華は、俺と出会ったときに拒絶するべきだった」
「……朱羅が怖いわけじゃない。ただ、私が見ていた朱羅は、すべてじゃなかったのかもと思っているだけ」
「ああ、そうだな。俺も知らなかったが、存外執着してしまう質らしい」
さらに鎖が引き寄せられる。がちゃ、と耳障りな音が鳴る。朱羅の手が、するりと頬を滑るのをやめて、顎を持ち上げる。視線がその瞳に囚われたまま、逸らせなくなる。
「話が脱線したな。俺は考えたんだよ、華。俺が華から目を離すと、良くないことばかり起こる。なら、物理的に近くに捕えておけばお前はどこにもいけない。そうだろう?」
朱羅の端正な顔が近づく。鼻先を、朱羅の呼気がくすぐっていく。ぼやけないギリギリの距離で、朱羅が嗤う。
「俺の願いは、華を俺がいないと生きていけないようにすること」
そのフレーズには、既視感があった。かつて冗談だと、私をからかったときに使った言葉に、よく似ていたから。あのときは、依存すればいいのに、と言っていたのに。そのときよりも深く、絡みつくような執着の滲んだ言葉。言葉を失っている私に、朱羅は構わず言葉を続ける。
「だから手始めに、この領域に閉じこめて、俺の存在を徹底的にお前に刻みこむことにしたんだ。怖がることはない。華は俺に愛されていればいい」
「それは、こうまでしなければいけないことなの…?」
動揺で声が揺らぐ。その声には少しだけ非難の色が滲み出ていて。それを敏感に察知したのか、朱羅の顔に浮かんでいた歪な笑みが消える。
「どうして、俺が華がこの世界に戻ってきたとき、すぐに見つけられなかったと思う?」
真顔での問いかけに、頭の回転が鈍くなる。それでも、朱羅の問いかけに答えようと考えを巡らせるけど、私のちっぽけな記憶力ではなにも思い当たるものがなくて。無言の時間が続くと、朱羅は私が答えられないと悟ったらしく、仕方なさそうに息を吐く。
「俺は、桃が苦手なんだ。俺は邪気払いの気がある植物は好かんのでな。桃は鼻が使い物にならなくなるし、触れるとびりびりする。近寄るだけで頭が痛くなる。他にもそういう植物はあるが。基本邪気払いとして扱われるものは苦手だ。そう言ったが、覚えていなかったか?」
その言葉を聞いて、朱羅が教えてくれたあの日のことをようやく思い出す。朱羅の言葉は、一言一句違わず、あのときを辿ったように繰り返されていて。その記憶力の確かさは、朱羅の頭の良さを知らしめているようだった。
「…あっ」
そうか。だから朱羅にはわからなかったんだ。私の家も、私の通っている大学も、桃野市にあったから。桃の生産で有名な、桃野市に。
「ハハ、すっかり忘れていたと見える。だが、俺は華が忘れていたということを、すぐに信じられそうにない。雪、だったか?あの女の言葉が纏わりついてくる」
朱羅は申し訳なさそうに言葉を紡ぐけれど。私のことを信じられない理由を話すときは、一変して。乱雑に言葉を吐き捨てた。
「ほんとに、忘れてただけなの」
「ああ、大丈夫だ。怖がらなくていい」
震える声で忘れていただけなのだと主張すると、朱羅は私を甘やかすような声で宥める。朱羅は鎖を握っていた手から、鎖を離す。そうして、私の頭を撫でた。
「ゆっくり、俺のものになろうなあ」
恍惚とした声と言葉を疑問に思う間もなく、頭を撫でていたはずの手は、首輪を確かめるようになぞって。その後、その手は首を支えるように添えられる。
「…んっ〜!?」
突然重なるくちびるの感触に、目を見開いた。




