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闇夜に紛れて

 朱羅を見送ったその日の夜。最近は朱羅に、抱き枕のように抱きしめられて寝ていたせいか、違和感があるせいでなかなか寝つけなくて。寝心地が良いところを探すように、ごろごろと寝返りを打ってはこれじゃないなあと身動ぎを繰り返して。そうして、ようやく睡魔がおとずれたのか、うとうととしだした頃のこと。夢うつつな状況のなかで、突如ガタンと大きな音がした。浅い眠りのせいで見た夢かな、と一瞬思ったけれど、どこか人の気配や視線のようなものを感じて。


「誰かいるの…?」


 恐る恐る出した声は、暗闇に吸い込まれていく。周囲を見渡しても、暗闇が広がるばかりで。部屋の様子は、薄ぼんやりとしかわからない。薄闇の中に、濃い影があることで、ようやく家具があることがわかるような。それくらいの視界では、部屋の中の異変は捉えられなくて。風で揺れた戸の音だったのかもしれない。そう結論を出しかけたとき、しゃら、と華の耳に簪の飾りが揺れる音が響く。今日1日で聞き覚えのあるものに変わったそれは、聞き間違いなんかじゃなくて。


「誰!!?」


 咄嗟にお守りのように懐に仕舞い込んでいたスマホで、簪を置いていたはずの枕元を照らす。音が教えてくれたように、そこからは簪がなくなっていて。代わりに雪ちゃんが、簪を握りしめて立っていた。突然眩い光に照らされたせいか、雪ちゃんは目をつむっていて。けれど、目が眩んでいるにも関わらず、自分が盗みに入ったことがバレたと悟ったのか、足を後ろに引くと外へと走り出す。


「待って!!!!返して!!」


 その背を裸足のまま追いかける。突然の出来事で、靴を履く暇すらなかったから。小さな砂利が私の足の裏をちくちくと刺激するのも、今は気にならなくて。走りながら叫んだ言葉が、寝静まった夜の村に響き渡る。反響して返ってきたその声は、どこか悲鳴のようにも聞こえて。まさか雪ちゃんが朱羅が私にくれた簪を夜中に忍び込んでまで盗むなんて、というきもちと、あれだけ釘を刺されたのだから大丈夫だろうと警戒心を緩めてしまった自分への呆れが胸のなかを駆け巡る。驚きと焦りと、ほんの少しの自省のきもち。それらを抱えて、雪ちゃんの背をひたすらに追いかける。


「は、はっ…し、つこいのよ!!」


 雪ちゃんが足を止めたのは、ずいぶん走った後で。気がつけば、村から少し離れている蛟のいる湖にいた。私と雪ちゃんの間に漂う空気とは対照的に、湖面は静かに月光を反射している。


(あれ?この光景、どこかで……)


 朱羅からもらった簪を取り返すことで頭がいっぱいだったけれど、湖面を反射する月光を見たことで、まるで月の魔力が落ち着かせたように、思考がクリアになっていく。そうして、どこか既視感のある光景が、どこで見たものか思い出して、ハッと息を呑んだ。


(夢の中に出てくる湖は、蛟のいる湖だったんだ……)


 蛟のいる湖に来たのは、太陽が昇っている時間だけ。だからこそ、夢で見たときに既視感がありながら、この場所であることに気がつけなかったのだ。


「アンタが来てから、めちゃくちゃよ!いままで全部全部、雪の思う通りだったのに!」


 呆然と辺りを見回しているうちに、雪ちゃんは息が整ったのだろう。まるで般若のような形相で、声高に叫び出した。私が口を挟む間もなく、雪ちゃんはどこかヒステリックに言葉を続けて。


「利市様は既婚者だって知ってて、必死に利市様に言い寄ってた私を嘲笑ってたんでしょ?!既婚者ってことを知ってたら!あんな美丈夫がいるって知ってたなら!!利市なんかに色目だって使わなかった!!」

「私だって知らなかった!利市さんが」

「うるさい!!」


 鋭く遮られた言葉が行き先を失って、口の中で潰れる。私も、利市さんが既婚者だと知ったのは、今日のあの一件のタイミングだ。朱羅がバラさなければ、永遠に知らない情報だった。それに、朱羅がいてもいなくても、私は利市さんには靡かなかった。だって、あのときは元の世界に帰ることを一番に考えていたから。朱羅を好きになったのだって、外見がかっこよかったからという理由じゃない。


「……雪ちゃんには、わからないだろうね」


 見た目、それも人化の術で人の姿をとっている朱羅しか知らないんだから。思わず漏れ出た言葉が癇に障ったのか、雪ちゃんの血走った目がぎょろりと私を睨みつける。


「わかるわよ。本当だったら、あのお方からこれを貰うのは雪だった。そうでしょ??」


 しゃら、しゃら。繊細な音を立てて飾りが揺れる。その音に般若のような形相を一変させた雪ちゃんは、簪を月光に透かすように掲げ持つ。その顔には、恍惚の笑みが浮かんでいて。


「綺麗……やっぱり、これは雪のものよ」


 一鱗は、その人の持つ気で染められるはず。それなのに、今は月明かりによって、朱羅の妖気で染め上げられたかのような、妖しい光を放っていて。それは、どんな宝石にも勝るような輝きのように感じた。けれど、雪ちゃんがそれが自分のもののように振る舞うのは、耐えきれなくて。


「違う。返して、それは貴女のものなんかじゃない」


 冬の空気にも負けないくらい、冷えた声が出る。朱羅のあの告白も、真摯な祈りに似た誓い(ねがい)すら、穢されたような気がして。今雪ちゃんに対して抱いている感情は、きっと怒りとは違う。だって、怒りに煮えたぎるどころか、凪のように静かに思考できているから。


「本当、腹が立つ!雪なんかに興味ない、相手にもならないって澄ました顔してるのも気に食わない!!」

「…………」

「そう、そうだわ。アンタ、生贄になる案もあったわよね?今そこの湖に落としたら、アンタが進んで生贄になったようにしか見えないわ。安心して、あのお方と私、幸せになるから!ふふっ!」


 雪ちゃんが喚いていることはわかるけれど。馬鹿馬鹿しくて、言葉を紡ぐ気すらなくなって。そうして、ふと気がつく。

 ——ああ、そうか。これが、嫌悪を通り過ぎて、無関心になるということなのか、と。

 別に、最初は雪ちゃんのことが嫌いなわけではなかった。むしろ、村にいる歳の近い女の子なのだから、仲良くなれればいいのにな、と夢想したこともある。ぜんぶ、ムダだったみたいだけれど。結局雪ちゃんは、自分がみんなにとってのお姫様であり続けたくて。ずっと、蝶よ花よと愛でられたかったのだろう。だから自分以外の若い女の子なんて、彼女の存在を脅かす敵でしかなかった。だからきっと、最初から相容れなかったのだ。


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