おにいさん、魔魚がこわいです
「よし、着いたぞ」
軽々と私を運んでいた朱羅がそう言って、ゆっくりと私を地面に降ろす。目の前には一見普通の川が広がっていて。妖界の川、といっても見た目は変わらないのかなと頷きかけたところで、パシャンと軽い水飛沫と共に小魚が飛んだ。
「あっ、見て朱羅!魚が跳ねてる!」
それに興奮して、意識を向けるために朱羅の袖を引っ張ると、朱羅はちょっとだけ困ったように笑って。
「そうだな、ちゃんと見てた。それから少しの間、川に近づくなよ。あの魚が跳ねたってことは、デカいのがくる」
「え、」
どういうこと?その言葉を口に出す前に、川面がお風呂の栓を抜いたときみたいに渦を巻いた。それにぎょっとしていると、大きな口がザパンっと水ごとすべてを飲み込んで。数秒後には何事もなかったかのように、さらさらと川の流れる音だけの、のどかな時間が返ってきた。
「待っっっって??」
「どうした?」
「いまのなに!?失敗したら私がエサじゃん!!?」
平然とした様子の朱羅を信じられないような目で見る。確かに朱羅にはなんか妖力があるから、こう、身を守る手段はあるんだと思う。たいして、私は非力で特に何の取り柄もない人間の小娘なわけで。釣りを放り投げて帰りたい気持ちになっていると、宥めるように朱羅が頭を撫でてきて。
「大丈夫だ。華を喰べようとした瞬間にあの魚を塵芥にするから」
「ぇ、あ、うん。ありがとう?」
身を守る手段として最強のカードでは?と動揺しながら、頷いて御礼を言うと朱羅は満足そうにして。魚の説明を揚々と始めた。
「最初に跳ねたのが青跳魚で、名前の通り青くてよく飛ぶ。あれの飛距離は妖力の量で変わるんだ」
「へえ〜。朱羅より妖力の量あったりするの?」
「そんなわけないだろ。あの体に俺より妖力があったら、力をつけたい妖が根こそぎ喰い尽くしてる」
「こわ……」
急にスン、と表情を落としたように真顔になった朱羅の、少しだけ低くなったトーンにぞわっと鳥肌が立つ。馬鹿にする意図はないけれど、もしかして、魔魚と同列に扱うのは無礼なことになるのかな。そんなことを考えていると、朱羅は小さくかぶりを振って。
「話を戻すぞ。妖の子どもはあれを捕って、羽の部分を広げて乾かした後、飛距離を競って遊ぶ」
「なんか、すごい。死体投げて遊んでる的な……?」
「言い方は悪いが、間違ってはないな」
私たちでいう紙飛行機や竹とんぼの代わりが、妖界ではあの魔魚ということになるらしい。干したら流石にこう、落ち窪んだ目とか、乾涸びた口や体とか怖くないのかなと思ったのだけれど。そもそも妖に人間の感覚を求めるのが間違いなのかもしれなかった。朱羅は得意げに、すべてを飲み込んで消えた魚の説明に移って。
「それで、あの大きい口のやつが水穴魚だ。大きく口を開けて水ごと小魚を丸呑みにするときに、水に穴が開いていくようだから、水穴魚。わかりやすいだろ?」
「それでいくと、青跳魚は青くて跳ねるから?」
「そうなるな」
そんな安直な名前の決め方でいいのかな、と思ったけれど、魔魚が不満を言うわけではなさそうだし。わかりやすいほうがいいのかなと考え直した。そういえば、朱羅はなんで青跳魚が出た後に、水穴魚が来るのがわかったのだろう。不思議に思って、首がこてんと傾くとその様子に気がついた朱羅は、言葉にしていないのに疑問を察したかのように、ひとつ頷いて。
「青跳魚が逃げようとしてピチピチ口の中で暴れるだろ?その感触が新鮮だから、青跳魚が大好物なんだ。俺が小さいうちは呑まれるから近づくなって蘇芳に言われてたな。まあ、妖力が大きいとあっちが逃げて行くんだが」
簡単な説明をくれたのだけれど、妖力がない私は水穴魚への防衛手段がないということで。ますます釣りが不安になってきた。既に乗り気ではないので、このまま朱羅の釣りでも見ていようかな、と思考がシフトしていく。普通に怖すぎる。完全に尻込みしている私を見て、朱羅は苦笑して。
「流石にここじゃないさ。川が見たいならこれだけで充分だろうが、釣りをするとなると人間には危険すぎるからな。この少し奥に、特別な生簀を設置してもらっている。そこが目的地だ」
そう言って、川の横にある橋を渡って小道の奥へと向かって行く。どうやら私を抱えたままだと、私に草木が当たりそうだから降ろしてくれたらしい。たたたっと小走りで朱羅の背を追いかけて。ちらりと後ろを見ると、また魚が跳ねたので、慌てて朱羅にくっついた。
「それで、目的のところにいる魚は危なくないの?」
「ああ。ちょっと特殊だがな。触れた者の気を拾って鱗の色を変えるんだ。一鱗、そう呼ばれている」
その言葉を最後に、朱羅が立ち止まる。目の前には、水が浮かんでいて。ベタみたいな鰭をゆらめかせた、地味な色の頭に大きな鱗がある魚が泳いでいた。
「やあやあいらっしゃい!待ってたよ!おまけの川はお気に召したかな!?」
水が空中に浮かんでいるという、どこか非現実的な光景に目を奪われていると、少しだけ甲高い声が、親しげに声をかけてきた。けれどその声の持ち主は、見渡しても見つからなくて。
「お、おばけ!?」
朱羅のことを盾にして朱羅の後ろに立つと、背中ががら空きになる。そう思った私は咄嗟に朱羅の腕の中へと入り込んで、身構えた。




