おにいさん、川に行くのでは?!
朱羅に手を引かれるまま、魔魚が釣れるという川まで徒歩で向かっている。繋がれた手を子どもみたいになんとなく揺らしながら歩くと、童心に戻った気がして楽しくて。ついつい揺らしてしまうのだけれど、朱羅は特に何も言ってこない。見上げると自然と目があって。その目は愉快そうに少しだけ細められたので、許可されたものだとして、構わず揺らしているとついには喉の奥で笑うような小さな笑い声が聞こえた。
「あ」
「どうした?」
そのとき、唐突に思い出した。朱羅は、川の用意が整ったから、釣りはできるようになったと言っていたことを。そのときは深く考えなかったけれど、川の用意ってなんだろう?そう思って、朱羅に聞いてみたのだけれど。
「ん?ああ、言葉の通りだ。4日間は俺の領域で過ごしてもらうと言っただろう?突貫だからな。人間界にある川と同じものを領域に用意するより、一時的に妖界の川を持ってくる方が簡単なんだ」
その言葉を聞いて、本気で4日間は朱羅の領域から出すつもりはなかったんだなあと驚く。それと同時に、川が準備できるのなら私が言った魚獲り対決はここでもできてしまうのではないかということに気がついてしまったのだけれど。藪蛇になるとまずいので、おとなしく相槌を返して。
「そうなの?」
「本当ならどっちも煩雑で面倒だけどな。妖界には金子さえ払えば、一定期間川の一部を借りられる商売をしているやつがいるんだ。設置費まで込みが売りだとかで、今回はそいつに頼んだ」
妖界、奥が深い……。そう思いながら興味津々で話に相槌を打っているのが伝わったらしい。朱羅は少しだけ愉快そうに、片方だけ口角をクイっと持ち上げて。
「そんなに興味があるなら今度行ってみるか?」
「え、ほんと!?」
「まあ人間を喰う奴らがいるから、牽制のために俺の妖気をたくさんつけないといけないがな」
妖気をつける、その言葉を聞いてそういえば、妖気でマーキングみたいなことをする方法について聞いてたっけ?と疑問に思う。少し考えても、答えは見つけられなくて。思い出せないのか、聞いていないのか、はっきりわからないけれど、この疑問を解消するべく朱羅に尋ねてみる。
「前に聞いてたら申し訳ないけど、妖気ってどうやってつけるの?」
その質問を聞いた朱羅は、よりいっそう笑みを深めて。突然立ち止まったかと思うと、グイッと距離を詰めてきた。朱羅の顔が目前に来たことに驚いて、咄嗟に引こうとした足は、繋いでいた手をくんっと軽い力で引っ張られたことで阻止されて。
「軽くつけるだけなら、今みたいに手を繋いだり、頭を撫でたり、軽い身体的接触でつく。が、しっかりつけるとなると……」
意味深長に言葉を切った朱羅が、そこで小さく笑う。揺らめく黄金は、覆い被さるようにして顔を近づけているせいか、どこか仄暗く光っていて。不意に、口元を呼気がくすぐるのを感じて朱羅との近さを再認識してしまった。どこか落ち着かない心地になってしまって、朱羅から目を逸らすと、意図的に出されたとわかるどろどろに蕩けた甘い声が空気を揺らして。
「試してみるか?俺はいつでも歓迎だが」
漂う妖しげな色気と、どこか艶めいた空気に耐えられなくなって、視線を左右に揺らす。けれど、朱羅は答えをもらうまでは解放するつもりがないらしい。それどころか、さらに距離を詰めてくるので、息がかかってしまうのが恥ずかしくて息を止める。
「ふ、時間切れだ」
「ちょ、まっ…?!」
意地悪く笑った朱羅は、そう言って私の静止を気にすることなく距離をゼロにした。繋いでいた手は、いつの間にか腰にまわされていて。驚きのあまり見開いていた目を咄嗟につむる。最初は柔らかく触れただけのくちびるは、数回触れては離れてを繰り返して。ぎゅっと引き結んでいたはずのくちびるが、息苦しくてほころんだ隙に、口付けが深いものに変わる。くちゅりと濡れた音がしたのが恥ずかしくて、さらにぎゅぅっと目をつむると、くちびるに触れる朱羅の熱が余計にわかって恥ずかしくて。薄目を開けると、朱羅は目を開けたまま、私を観察するように見ていて。目があったことに気がつくと、嬉しそうに目をたわませる。
「…ふ……んぁ…、……いき…でき、な……!」
「鼻で呼吸するんだ。ほら」
息も絶え絶えになりながら訴えると、私とは違って余裕の態度を崩さないまま朱羅がそう言って、また口付けを再開する。けれど、言われた通りにしたはずの鼻呼吸で、鼻息がふすふすと朱羅にかかるのが恥ずかしくて。すぐに鼻呼吸をやめてしまうと、また苦しくなってくる。翻弄されるがままになって、意識がぼんやりとしてきたところで、ようやく朱羅から解放された。
「はは、かわいい。とろーんてしてるな」
「ぅ……っ、は、あ…くるし……」
ぜえはあと息を整えている間も、朱羅はご機嫌に私の髪を撫でていて。時折、髪の感触を確かめるように、くるりと髪を指先に絡ませて遊んでいた。
「ひとでなしだ……」
「なんだ?知らなかったのか。俺は鬼だから人ではないぞ」
精一杯の悪態は、飄々とした態度の朱羅に流されて。その余裕さに歯噛みした。
「さて、じゃれあうのはここまでにしておこう。あとちょっと歩くが……歩けそうか?」
朱羅から始めたくせに、そんなことを言われて、少しだけむっとしたけれど。朱羅もちょっとやり過ぎたなとは思っているらしく。心配そうに覗き込むので、その態度に免じてゆるすことにした。でもまあ、それはそれとして。
「歩けないので運んでください」
そう言って朱羅に意趣返しも込めて、全体重をかけて寄りかかってやった。




