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気のいいおにいさんがヤンデレになるとは聞いてない!  作者: 夜星 灯
おにいさん、ヤンデレの片鱗が見えてます
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おにいさんとお風呂

 少し経ってから戻ってきた朱羅は、既に湯帷子という浴衣に似た語感のものに着替えてきていた。私にも同じデザインの物を渡すとくるりと背を向けて。


「着替え終わったら教えてくれ」


 そう言うので、自分の発言のせいだし、腹を括るしかないのかなと、諦めてごそごそとそれに着替え始めた。今着ているものを脱ぐと、ぱさりという軽い音を立てて、床に落ちる。それが朱羅の耳にも届いたのか、ふぅと大きく息を吐いて。


「……あー、なんだ。着替え終わったら呼んでもらえばよかったな。華も俺がいないほうが着替えやすいだろうし」

「んー、でももう終わるしいいよ。今更出ていかれると風が入って寒いし」


 躊躇いがちな言葉を不思議に思いながら返答すると、朱羅はさらに大きなため息を吐いて。


「ほんっと、華は警戒心が足りないな」

「いやだって、朱羅だし?」

「俺も男だぞ。またキスでもしてやろうか?」


 その言葉に先程の感触が鮮明に蘇ってきた。ボンっと湯気が出そうなくらい、急激に顔に熱が昇ったのがわかる。触れたくちびるの柔らかさとか、口の中を好き勝手に荒らしまわった舌の動きとか、やけに頭に残る水音とか、すべてがありありと思い出せてしまって。着替え終わったのに、顔の熱が冷めるまではとてもじゃないけれど、朱羅の顔なんて見れない。そう思って、朱羅に合図をすることなく黙っていたのに。


「ふ、顔真っ赤」


 衣擦れの音が聞こえなくなったことで着替え終わっていることを察したらしい朱羅が、唐突に振り向く。その朱羅の顔に、わずかに喜色を滲ませた柔らかな笑みが浮かんだのを見てしまって。さらに何も言えなくなって。思い出した感触を掻き消すようにくちびるを噛み締めた。


 *


 湯帷子はしっかりとしていて柔らかさもあったけれど、通気性がいいのか風をよく通して。これ以上脱衣所にいてもからかわれるだけだろうしと、そそくさと朱羅から逃げるように湯殿に繋がる扉を開けて、足元に気をつけながら中に入る。


「わ、あったか〜」


 中は湯気で満たされていて、むわっと蒸気が頬を撫でた。それが少し冷えてきていた身体には熱すぎない温度で、心地よくて。温泉の湯というだけあって、気をつけていても足元がかすかに滑るので、いつにも増して慎重に歩く。その横をスッと朱羅が歩いて抜かしていくので、朱羅の歩幅の大きさと、体幹の良さを少し恨んだ。


「ここに湯桶があるから、それで湯を掬って髪を流すといい」


 朱羅がそう言いながら指し示した桶は、どう見てもひとつしかなくて。反射のように「朱羅の分は?」と言葉が口を衝いて出た。それに苦く笑った朱羅は、緩く首を横に振って。


「ないな。普段は俺しか使わないからな。必然的にそうなる。まあ、華が永住するなら増やしても構わないが?」

「そうやって隙あらばすぐ言う!」

「俺の想いは伝えたんだ。なら、隠すこともない。華も俺のことは嫌いじゃなさそうだし。積極的にいくべきだろう?」


 くつくつと喉の奥で笑いながら、朱羅はからかい混じりに言葉を紡ぐ。それが大人の余裕のように感じられて。言葉に言い表せない感情を示す子どものように、地団駄を踏みたくなった。


「華が凍えて死にそうだったのが後に響くと思うと、怖くて心配でたまらなくなってここに連れてきたんだ。華から使え」


 目元を弓形に和らげた朱羅が、ふっと柔らかく吐息をこぼすようにそう言うので、お言葉に甘えて桶を手に取る。まず髪を濡らそうと、意気揚々とお風呂からお湯を掬ったのはいいけれど。ここで問題が発生した。

 銭湯においてあるのとそう変わらない桶は、並々にお湯を入れると重くてグラグラして。かなり持ち上げにくいのだ。それでと頑張ってぷるぷると震える腕で、ちゃぷちゃぷ表面を波うたせながら持ち上げた桶を、頭の上でひっくり返すとバシャンッと豪快に濡れた。


「んぷ」


 思ったよりも多いお湯のせいでふらついて、変な声が出た。これは桶にどこまでお湯を入れるのが最適か試されるな……!気合いを入れ直して、再度チャレンジしようとお湯に桶を入れようとした瞬間、桶が手からすり抜けた。


「ハァ、俺がお湯を掛けてやるから大人しくしてろ。まさかそんな……いや、そうだよな。そんな細い腕なら仕方ないよな」


 桶はすり抜けて飛んでいった、とかではなく、朱羅の手の中にあった。私がお湯をかけるまでの一部始終を見ていた朱羅は、手を出さずにはいられなかったらしい。


「本当にこいつ元の世界ではひとりで風呂に入ったり、料理したりできてたのか…?」


 お湯を掬いながら朱羅が小さく呟いた、本来なら聞こえなかっただろうなかなか失礼な呟き。それがお風呂場特有の反響によって、大きくなって聞こえてきてしまって。それに反論しても信じてもらえそうだなと思った私は、おとなしく口をつぐんだ。


「っは〜〜さいこ〜……!」


 その言葉に相槌を打つように、ちゃぷん、とお風呂の水面が波打つ。結局お湯をかけるところは、見かねた朱羅に手伝ってもらってしまったけれど、水量の調節がうまくて、ぐうの音も出なかった。でも、この気持ちよさのまえでは、どんな感情もお湯に溶けて消えるようで。羞恥心も反抗心も例外なく消えていくので、この世界ではお風呂も大変なんだなと、深く考えることはやめて気にしないことにした。


「それで、明日からはどうする?この領域内で魚釣りができるようにするには、まだ少し準備するために時間がいる。他のことならできるが……」


 濡れた髪がうっとおしいのか、髪をかきあげながら朱羅が尋ねる。丸い形のいいおでこが見えるのが新鮮でぼうっとそれを見ながら、昔の世界に似たこの世界でもできそうな遊びはなんかあったかなあと考えて。そうして、古典の資料集で見たとある遊びを思い出した。


「貝合わせ?っていうのやってみたい!古典の資料集で見たことあるけど、やったことないし。私のいた世界だと神経衰弱っていう、数字を揃える遊びはあったけど、それに似てる感じするし……」

「華のそういうところに学があると感じるな」

「えへへ、そうかな?」

「ああ。それに華のいた世界のむかしの時代の話は、俺の世界と少し似ている気がする。気のせいだろうがな」


 褒められたことが嬉しくて、少しだけ照れくさくなりながら返事をすると、さらに重ねて頷いてくれて。それが気恥ずかしいのに嬉しくて、そわそわする。だから、そのとき朱羅が少しだけ寂しさを声に滲ませたのに気がつけなかった。

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