おにいさん、待ってください
「わたし……は、蛟を解放したいし、朱羅とのことは誰からも口を出されたくない。欲張りかもしれないけれど、もう雪ちゃんと利市さんに隙があると思われたく、ない」
言葉にしていくなかで、揺らいでいた意志が徐々に明確な形を持って、私の中で強固になっていく。前と同じように、朱羅と誰に憚ることなく一緒にいたい。そのなかで、朱羅へのきもちをしっかりと見極めたいと、そう思ったから。
「華は、きっとそう言うと思ってた」
朱羅は私の言葉を聞いて、フッと吐息のように笑って。その息が、まだ近い距離にいるせいか、くちびるに触れる。それに驚いて思わず肩が跳ねると、そのままさらに朱羅が近づいて。瞳の黄金がぼやけて、輪郭が曖昧になっていく。朱羅の瞳の持つ魔力に囚われたかのように、意識がどこかぼんやりとしていく。そのまま朱羅が近づいてくるのをぼうっと見つめていると、不意に蘇芳さんの言葉が聞こえて。
「お!そのまま口吸いしちゃう!?吾は後ろ向いてるから、どうぞごゆっくり!!」
からかうような色を含んだ声に、ハッと意識がクリアになって、慌てて朱羅から距離を取った。途端に、熱を帯びていた顔が風に冷やされて、少しだけ冷静な思考を取り戻せたような気がして。
「待って…?!じゃあ朱羅は、意識のない私とキス…えっと、接吻?ちゅー?したってこと!?」
「ありゃ、余計なこと言ったかも」
あの綺麗な顔と、それも好きになってしまっている朱羅と、意識がないとしてもキスした…?そう考えただけで心臓が痛いほど跳ねる。どくどくという音が、聞こえてきそうなくらいに。
「華を失いたくなかった。助けるためだった。どれも言い訳だ。殴るなりなんなり、好きにすればいい。勝手をして悪かったな」
朱羅は潔くそう言うと、無抵抗を示すように両手を広げた。蘇芳さんは自分の発言が原因だとわかっているのか、おろおろとした様子で。
「でもほら、死んじゃうよりいいでしょう!?ネ!?」
提案したのは吾だし、それでしか助けられなそうなくらい衰弱してたし、なんて必死に言い募るものだから、おもしろくなってきてしまって。顔を伏せて肩を揺らすと、勘違いした蘇芳さんが困りきったような声で宥めにかかった。
「な、泣かないで人間ちゃん。朱羅は悪いことしてないよ。きみが大事だったから、だから」
「ッフ。んふふふ」
「え?」
「あはは、怒ってないですよ!キスのひとつやふたつ、命に比べたら軽いもんですって!」
堪えきれなくて笑いだすと、ぽかんとした顔で蘇芳さんが私を見つめて。それすらもおもしろさを助長して、さらに笑いが堪えきれなくなる。
「華」
お腹を抱えて笑っていると、朱羅が静かな声で私を呼ぶ。それを不思議に思って「なあに?」と問いかけながら振り向く。朱羅の伸びた手が、クイっと顎を持ち上げたかと思うと、そのまま朱羅との距離がゼロになった。
「…?!んっ〜!!?」
開いた口から、ぬるりとした何かが入り込んでくる。私の温度よりも低いそれは、柔らかな弾力を持っていて。それは顎の上をくすぐったり、歯列をなぞったり、縦横無尽に口の中を這い回る。
「ん、…ちょ……ぷは…」
「…っふ…」
くちゅりという音が聞こえて、恥ずかしさに目をギュッと閉じると、小さく笑うような音が聞こえて。なんで笑われたのかを考える余裕もなく、頭の中が真っ白になっていく。
「わぁお」
蘇芳さんの声が聞こえて、見られていることをかろうじて思い出す。ばんばんと朱羅の胸元を叩いて、ようやく朱羅の口が離れた。
「は、なんだ。キス、つまり口吸いのひとつやふたつ、命に比べたら軽いんだろう?御礼としてちゃんとさせてもらってもいいんじゃないか?」
「返礼品としての…っ!お取り扱いは!ございません!!」
それは残念だ。そうおどけた朱羅に、言い返す言葉が見当たらず、蘇芳さんの後ろに逃げ込んだ。




