おにいさん、なんて言ったんですか?
ふっ、と意識が浮上した。
目を開けると、部屋の中は既に暗くなっていて。もう夜の帳が下りた後だということがわかった。見える景色は傾いていて。寝返りを打ったのだろうと、その姿勢のままわずかな月明かりのなかで、部屋の観察をしようと目を凝らす。
襖は隙間なく閉じられていて、朱羅の許可がないと開かないのは、変わらないままなのだろうと予想できる。肝心の朱羅はどこにいるのだろうと思ったとき、ぐっと腹部を引き寄せられて。背中にぴたりと低めの体温がくっついた。
「!?」
突然のことで、びくっと体が跳ねる。どうやら朱羅は、私を抱き枕よろしく抱き込んで寝ているらしい。はじめにこの部屋で起きたときもそうだったなあと、呑気に考えてから、同じように抜け出そうと朱羅の腕に触れる。けれど今回はそこまで眠りが深くなかったのか、眠気を帯びた低く掠れた声が夜のしじまを破った。
「どこへいく」
背後の気配が近づいて、密やかにささやきが落とされて。距離が近いのか、それは吐息のように耳をくすぐる。それが恥ずかしくて身動ぎすると、さらに抱き寄せられて。
「逃すわけないだろう?」
その言葉と同時に、するりと私の足に朱羅の足が絡まって。どうしようと思考を巡らせる間もなく、ぬるい体温が頬に触れて顔を持ち上げられた。朱羅の胸にこつんと頭がぶつかって、身長差からか覗き込んでいる朱羅の目と視線が交差する。
「え、と、おはよう朱羅」
「もうこんばんはの時間だがな」
喉の奥で小さく笑った朱羅が、手を滑らせて耳に触れてきて。くすぐったさに身を竦ませると、暗闇に浮かぶ鈍い輝きの金色が、柔らかくたわむ。そのままその手は、すぐに耳から離れて、甘やかすような手つきで前髪を払って退ける。
「腹は減ってないか?」
「うん、お腹は減ってないよ。大丈夫」
「そうか。それならもう一度寝るといい」
不意に近づいた朱羅がぼやけて、無防備なおでこに柔らかな熱が触れた。そうしてかすかにリップ音が聞こえて。咄嗟におでこを手で押さえた。ドキドキと跳ねる鼓動が、眠気を遠ざけていく。
「ハハ、すげー音」
すげー音になった原因の朱羅が、そう言って愉快そうに笑うので、なんとなく腹が立って。胸元にくっついてる頭を動かして、仕返しにぐりぐりとやってみても、朱羅は笑ったままで、ダメージを負った様子がない。
「卑怯だ……!」
夜だからと自然と潜めた声で非難すると、それすらも笑いの燃料になってしまったのか、背中から伝わる振動がちょっとだけ大きくなる。
「嫌だったか?」
「いやではない……けど。そうじゃなくて…?!」
笑いの滲んだ声でそう問いかけられて、正直に答えてしまった後、ハッと我に返ってそういう問題ではないと言おうとした。けれど、朱羅にそっと目を塞がれて。暗闇に慣れた目で、わずかに見えていた景色も黒く塗りつぶされて見えなくなる。
「続きは明日な」
言外に寝ろと言われて、納得できなくて不貞腐れたきもちになる。けれどこうなってしまっては、話し合いをしようとしても、朱羅の性格上してくれないだろうなと思う。よくわからない力を使われて眠るよりはマシかなと、おとなしく体の力を抜いて。そうして、ひとつだけ朱羅に問いかけることにした。
「おとなしく寝たら、朱羅は私の話も聞いてくれる?」
その言葉には何の返事も返ってこなくて。ダメなのかなぁと、諦めて。もう今日はこのまま眠ろうと、朱羅の温もりから忍び寄ってきた睡魔に身を任せると、眠りに落ちる直前、ぽつりと呟く声が聞こえた。
「……華、お願いだから、――――――」




